がったん日記 2005年6月
2005年6月30日(木)「日記の整理中」
今今まで書いてきた日記を整理しています。しかし、振り返ってみると、昔はななふしがどーした、とか、とかげだ浦和レッズだ、息子が骨折したとか(笑)。いろんなことを書いてたなあ、と(笑)。今ではそのような内容はすべて別のホームページ「ぼくらのそら」で書いてますので、お暇な方は遊びに来てみて下さい。
2005年6月29日(水)「祝!?3000駅掲載!」
おお、約5年10ヶ月で、掲載駅が3000駅を超えました。まずは使いやすいデーターベース作り、というのを目標に頑張ってきましたが、なんとかいろんな方々に支えてもらいながらここまで来ることができました。「え、こんな駅も?」という駅もかなり含まれています。とても小さな無人駅、とか(笑)。ただ、自分が歩いてきた中で、車窓に映るホームの様子、駅舎の様子を、普通列車なんだからわかる範囲で記録していけば、誰かの役には立つかも…という気持ちでアップしてきました。これからも3000駅はひとつの通過点として、地道にたくさんの駅を紹介していきたいと思っています。
この先、冊子版ではあえて駅数を絞るつもりではありますが、ホームページはページ数や印刷代を気にしなくてもよいので、やりたいようにやっていきたいと考えています。気長にお付き合いいただき、旅立つときにふと「あんなホームページもあったなあ」と思い出してもらえたら幸いです。これからも「がったん」をよろしくお願いします。
2005年6月28日(火)「<地下の迷路>地下鉄大手町について」
今、地下鉄の駅の情報をアップしていますが、どうもネットで構内図をみても、ぴんと来ません。あまりにも複雑で、やはり一度自分で歩いてみなければ、と。あそこまで複雑だと、改修と言っても困難な部分があるだろうなあ、と。
まあ、複雑複雑と言ってもイメージが湧かないですかね。具体的にいうと、丸ノ内線、東西線、千代田線、三田線、半蔵門線の5路線が交わっていて、それが地下のなかで立体交差している、と。
この駅を作家の宮脇俊三さんは、「地下の迷路」と表現していました。不便な点は「構内が広く、複雑。出入り口が多く、どこから出たらよいか、入ったらいいか、迷う」「連絡通路が長く、延々と歩かされ、乗り換えに10分以上要することもある」などと表現していました。的確!地下の中なので、周りの風景などが目印にならず、方向感覚がマヒすることもあるでしょうね。
私自身何度か歩いているけれど、なんだかすっきりしないまま利用しています。う〜。
次回調査の時には頑張って調べてきたいと思っています。
2005年6月27日(月)「掲載駅数がもうすぐ3,000駅に」
気がついたら、駅数が3000駅を超えそうです。ただ、正確な数はもうわからない…(笑)。10ぐらいの誤差はありそうです。しかし、今になっては数えるのも大変で、ああ、エクセルとかできちんと整理しておけばよかった。まあ、今からでも遅くはないんですけど、それをやり出しちゃうと、本来の駅情報の追加が滞ってしまうんで、ある程度めどが付いたらにします。まあ、別に駅数を競ってるわけではないので、あくまでも目安、ってことで…。おお、でも、すごい数だ…。
2005年6月26日(日)「自立生活をするための5つのバリア」
6月22日の日記について、やまなさんからメールを頂いたので紹介しますね。
『車いすで子供達が成長し、自立生活するのは結構たいへんです。物理的バリアーの他に
制度的バリアー:就学、就労、地域でのきまりなど
情報的バリア−:得られる情報が制約される
意識のバリア−:みんなの心にある差別や偏見
無意識のバリア−:無関心、無知による悪意のないバリア−や、やり方が間違っている親切、これは案外きつい!
いろんなバリアーと戦ってたくましくなって欲しいのですが、心が固くなったり、自分のやり方はヘンかもと自省するゆとりが無くなっている障害を持った人を見るのは、これまで周りに恵まれてこなかった環境を思ってやりきれ無さが起ります。
1、
横浜市役所で小型の手動車いすの青年に会いました。介助なしで単独なので、とても辛そうなので声をかけてしまいました。
「小型の電動で随分便利なものが手に入るようになって来てるよ。 手動では行きたいところも我慢したり、物凄くたいへんだったりで、一番来易いはずの市役所でもエネルギーを使い過ぎてクタクタ状態になったりするでしょう。便利な機具は上手く使って、もっとやりたいことにエネルギーを使ってみませんか。」「僕は自分の主義で手動にこだわっているので、余計な事を言わないでくれ。 電動なんか使うとい身体が衰える。」と怒られました。
2、
博多の地下鉄で手動車いすに、両側にバックミラーを取り付け、片方だけ足のせを上げて、地面を片足で蹴り続けて後ろ向きに移動していく変なおじさんに会いました。(想像できますか?)ちょっとビックリ!「何でそんなことしてるの?たいへんでしょう。」周りの人もちょっと迷惑かも。「機能が残ってる片足を鍛練しているのだ!」なんか得意そう?!
3、
厚生省の補装具給付の考え方「両手の機能が残っている障害者は、手動車いすが漕げる。電動を使うと身体機能が衰えるので良くない。」従って下肢障害者には電動を給付しないのが全国的に基本的運用になっている。
社会人として自立生活をするために一番基本的なことの一つが「一人で、介助無しに」外出できることだと考えています。そのために交通バリアフリー法やハートビル法が制定されているのです。物理的バリア−だけでも出来るだけ無くしようという立派な建前です。最近、子供の時からの障害者は、疲れてくるのは当然なのだと分かってきました。車いす歴3年しか経っていなくても、「ありがとう」「すみませんが」を言い疲れたぞ!ってふと思うことがあるようになりました。ずっとそんな境遇の人をどれでけ理解出来ているのか自信がありません。心が固くならないような環境であって欲しいものです。』
やまなさん、メールをありがとうございました。
でもほんと、自立する、と言うことって、どういうことなんでしょうね。世の中にはいろんなバリアがあって、その感じ方も、その人その人で違ってくる。障害だって、人それぞれ違うわけで。あとはその人の生き方の問題になるとは思うんだけれど、あまりにも、生活を<選択>できる場面がこの社会は少ないんじゃないかと思う。もしくは選択できる環境が整っていても、その情報を知ることができずにいるんじゃないか。
いつも思うんですけど、このホームページをやっていて、「お前に何がわかる」と思われているんじゃないかなあ、というのがすごく気がかりです。というか、そういわれても「わかりません」というしかないんですが。基本的にそのひとのことは、その人にしかわからない、と言うのが、私自身の考えなんで。でも、そこで想像したり、理解しようとすることはできるかな、と。情報を共有したり、交換することで、少しは風通しがよくなるんじゃないか、と言う気持ちで、ずっとこの活動を17年やって来ました。
やまなさんの書いてくれたように、世の中にはたくさんのバリアがあり、そのバリアを感じながらみんな一生懸命生きている。そんな中でいろんな情報がクロスして、必要なときに必要な情報を手に入れることができる、そんな社会が実現できればいいなあ、と。そのためには、いろんな人がお互いのことを分かり合わないとだめだし、そのための努力をしていく必要があると思う。上記の1〜3のケースについても、自分自身驚いたし、でも、あり得ることだな、と思った。だけども、決して社会のせいにすることなく、もっといろんなアイディアがあるよ、と言うようなことを、もっともっと「がったん」を通じて伝えていきたいと思っています。なんだか、長くなってしまい、論点もずれてしまったかも。済みません、今日はこの辺で。
2005年6月25日(土)「地道に駅データ更新中」
毎日少しずつ更新しておりますが、なかなか地下鉄も大変…。ネットを確認しながらの作業のため、遅々として進みません。大阪の地下鉄も控えているというのに…。まあ、各駅の情報が「がったん」の基本ですから、おろそかにしないよう心がけています。
冊子版の完成も夏には難しそうです。この辺で少し冊子版の売り上げで、今までの調査費の我が家からの持ち出し分を返済しておきたいんですけれど…。まあ、毎日一歩一歩進むしかないっすね。見守ってやってください。
2005年6月24(金)「<自立を支援する>ためのバリアフリーに」
数日前と同様、今日も都合があって電車通勤。でも、考えてみると、世の中の人って、電車通勤の人って、すごく多いのかも、と思ったんですね。自分が車通勤なので、ぴんと来ないのもあるんですけど。というか、大部分が電車通勤、なのかな?まあ、電車通勤と言っても地域によって様々だとは思いますが。混み具合とかね。ラッシュの混みようと言ったら、すさまじいものがあるところもあるだろうし。「ああ、今日は電車通勤だなあ。」な〜んて、気楽に喋ってると怒られちゃうかも。
で、通勤スタイルとして電車通勤を選んだ場合、じゃあ、自分が車いすで今の時間帯に通勤できるか?といえば、難しいでしょうねえ。ラッシュの混み具合はそんなにひどくないし、自由に使えるエレベーターも一部分あるけれど、あくまでも一部分で。1カ所だけ、車いす対応エスカレーターを使わなければならない駅がある。さすがに毎日朝と帰りに、駅員さんを呼び止めて「済みませんが、使いたいんだけど」という勇気はないなあ。というか、逆に駅員さんから言われるでしょうね。「毎日は勘弁してください」とか、「ラッシュ時間帯は避けてください」とか。でも、それって使えないってことだものねえ。駅員さんの力を借りなきゃ使えない設備は、限りなく階段と同じだと思っていいのかも。言い過ぎか。でも、日常的には使えないってことは言えると思う。たまの旅行はいいかもしれないけれど、生きていくってことは毎日の日常の繰りかえしなわけで。もっと、バリアフリーの考え方を変えて行かなきゃ行けない時期に来ている気がします。「お世話する」ためのバリアフリーではなく、「自立を支援する」ためのバリアフリーであるべきではないか、と。これって、バリアフリーという言葉を「ボランティア」や「福祉」という言葉に置き換えることもできるだろうし。一歩前へ進むために、考えて行ければと思う今日この頃です。
2005年6月22日(水)「バリアフリーの基本は、めんどくさくないこと!?」
昨日今日と仕事で子どもたちとお出かけ。なんだかたくさんいろんな乗り物に乗りました。電車とバスを乗り継いで、ああ、結構ヘビーだなあ、と。全部の駅にエレベーターがあるわけではないし。あと、バスに乗り込む、車いすを畳む、車いすを開く、バスから降りる、と慌ただしい。車いす対応エスカレーターは、駅員さんを呼んだり実際に操作したりで10分以上かかったりするから、上りは車いすを畳まずにそのまま後ろを押さえて乗車!下りは怖いので、車いすは車いすで畳んでえっちら降ろして、本人は手摺りにつかまり、ゆっくり降りる、と。
この手法はなんとか自分で歩行もできて、長距離は車いす、という場合に可能だけれど、車いすでしか移動手段がないときは困っちゃいますよね。やっぱり中途半端な設備ではなく、エレベーターが欲しいなあ…。基本は「めんどくさくない」こと。「特別に何か努力しなければ利用できない」ということではなくって。うん。
あと、感じたのは自動改札の幅!車いすが通れない!なので自動改札の前で車いすから降りて、本人は歩いて通過し、その後を車いすを畳んで私が通り、通過したらまたまた車いすを開き、本人が乗る、と。乗り換え改札には有人改札もないし。有人改札があったって、他の仲間と一緒になぜ自動改札を使ってはいけない!?子どもたちはやりたいんだから。切符を機械にシュバッ!!て(笑)。東京の私鉄では、ひとつの自動改札は幅広になってる駅を随分見かけるようになったけれど、JRはなんか少ない気がします。
なんだかいろんなことを考えた二日間でした。
2005年6月21日(火)「スピードより直通列車を!」
今日は(というか、更新は21日になっているけれど、実際は20日の夜に書いてます)久し振りの電車通勤。で、帰りに千葉の柏駅を通ったんですけど、もう、至る所にポスターやら横断幕が掲示してあって。内容は常磐線のスピードアップ。「特別快速、データイムに新登場!上野−柏間最速23分!(6分短縮)」というモノでした。まあ、つくばエクスプレスが8月に開業するから先手を打って対抗策、ということなんでしょう。でもね、最速、とか、スイスイ、とか強調されると、それで本当にいいのかな、と思ってしまうのです。
早いのに超したことはないし、利用者もきっと、それを求めているのだけれど、その手段があまりにも無理を重ねているモノであったとしたら、無理を前提に成り立っているのであるとしたら、一利用者として、その商品(サービス)にNOと言いたい。安全なモノを利用したい。そんな特別なことではないはずなのに、利用するには選択の余地はなく、私たちはその危なっかしい「商品」を利用するしかない。利用したくなくても、交通機関は日常生活ではそんなに選べないんですから。経済効率を最優先しちゃうと、そんな世の中にこれからどんどんなっていくのでしょうか。せめて、現場職員の締め付けがこれ以上厳しくならないことを祈っています。
私なんかは、昔から言ってることですが、速い列車より直通列車をもっと増やして欲しいですね。エレベーターをつけるのもバリアフリーのひとつのカタチだけれども、いろんな線に直通列車で乗り入れることにより、乗り換えを少なくすることも大きなバリアフリーだと思うんですけど。どうですか、JRさん。
あと、ついでに言っておきたいんですけど、闇雲に速く走らせるために停車駅を減らしたために不便を被る町があると言うことも認識していただきたい。まあ、私が住んでる我孫子市を特別快速が通過したり、特急列車が全部停車しなくなったり。私の個人的な愚痴、なのかもしれませんけどね。利用者の利便性を考えたときに、メリットデメリットを利用者の視点で考えているのか、すごく疑問に感じることが多いんですよ、最近。会社として、他者との競争ばかり目がいってしまってるように感じるんですよねえ…。まあ、私の思いすぎかもしれないですけど。よろしくたのみますよ、JRさん。
そうだ、20日の早朝の千葉の地震!ああ、びっくりしたあ…。久々に地震にたたき起こされましたよ。そうしたら、なんですか、新潟でも20日の昼間、大きな地震があったそうですね。お見舞い申し上げます。なんだか、これから台風のシーズンでもあるし、今年も自然災害のすごさを見せつけられそうな予感…。できるだけ、驚かなくていいように、こころの準備だけはしておきましょうか。
2005年6月20日(月)「車いすでバスに乗るということ」
やまなさんから以下のメールが届きました。いろいろと考えさせられた内容です。紹介しますね
『6月17日、大阪地裁で車いすでの市バス乗車における運転手の暴言や乗車拒否を受けた女性が起こした訴訟への判決がありました。車いすマークを表示しているステップバスで、運転手に乗車拒否や介助義務違反をする、障害者にとっては日常的とも言うべき事例についての提訴でした。6月22日(水)午後4時、判決検討会議が大阪弁護士会館で開催されます。
以下、担当弁護士さんからの説明です。
<大阪市バス乗車許否訴訟、一部勝訴(慰謝料5万円)
原告は車いすで普通バス(乗降口にステップのある通常のバス)に乗ろうとすると、「リフトバスに乗って下さい」と言って乗車拒否された。このほか3回車いすで乗車したことが背景となって暴言をはかれた(事実認定の有無は不明確)。大阪市は「手動式車いす利用者は普通バスにも乗れます」との広報ビラを配布している。車いす利用者がバスを利用できない場合がある、という、しかし、その点につき車椅子利用者に説明し、これを周知徹底させるべき信義側上の義務がある。大阪市は上記のことについて周知徹底させる方策を十分に講じず、車いす利用者の乗車に際しての対応を現場の運転手に一任していた。そのため、今回のようなトラブルを生じる原因となった。大阪市には、上記信義側上の説明義務を尽くさなかったという義務違反があり、原告が被った精神的苦痛は賠償すべき義務がある。慰謝料は5万円が相当。という判決。
当方は、乗車許否は論外、と主張していました。「ワンマンバスであるために車いす介助ができず、乗車拒否する場合がある」という大阪市の主張は認められない、ワンマンバスは人件費節減という大阪市の都合で、(本来車いす介助を担当する)車掌を廃止したのだから、運転手が車いす介助すべきは当然だ、と主張しました。しかし、裁判所は、そのような拒否できる場合があることを認めつつ、大阪市の説明不足を理由に慰謝料を認めたに過ぎません。
慰謝料は一部認められましたが、釈然としないものがあります。大阪市から「車いすではバスに乗れない場合がある」と説明されても納得が行かないでしょう。車掌が乗っていれば車いす利用者も介助を得ながら自由に乗降できたのに。結局、車いす利用者は大阪市の合理化政策の犠牲となったことになります。』
なるほど。車いすで乗車することの大変さが伝わって来ます。ワンマンバスは安全とコストを天秤にかけた結果であると、思っています。経営の効率化を図る上で仕方のない面もあるかな、とも思うし。でなければ、今の時代、存続か廃止か、という究極の選択を迫られてしまう。新幹線の並行在来線の問題もそうです。赤字=廃止、ワンマン化→便数削減→廃止、という図式がしっかりとできあがっていて、その解説が「民間企業ですから」と。そのため、利用者は地域の足として鉄道やバスが残ってくれるのなら、と不便なワンマン化という条件を飲まなければいけない状況であるように感じます。地方の公共交通機関の経営はどこも厳しいのはわかりますが…。ワンマン化する際には、そのために犠牲になる利用者がいることを、いつも念頭においていて欲しいものです。
2005年6月19日(日)「手動車いすについて」
やれやれ、週末の休みだからと言ってなかなか自由な時間が取れずにいる今日この頃。気がゆるんじゃうのと、仕事を持ち帰ってしまうのとがごちゃ混ぜになっているって感じですね。今日は日曜日。どれだけ「がったん」の作業が進むかな?
先日職場で手動の車いすを直してたんですね。ステップが壊れたんで。で、車いすをひっくり返して、部品を外そうとしたんですけど、すごいですね、あらためてみると。なんて言うんだろ。シンプルなんですよ、構造がすごく。ドライバーひとつで部品をバラかしたりするのが。部品ひとつひとつもすごく計算されて作られてる気がしました。ブレーキにしても、すごく小さな力でブレーキをかけることができる。てこの原理、かな?で、どの手動の車いすも部品が共通化しているから、何か部品を交換するときも、やりくりが付くし。さすが、長年使われ続けてきたスタンダード!っていうかんじですねえ。標準仕様ってこういうことを言うのか、と。
ただ、それって、裏を返せば画一的というか、そこにあるから使うって言う感じで、おしゃれでも何でもなくって。もっと、生活の中に取り込んでいくのならば、もっといろいろ工夫できる部分があってもいい気がします。今風に言うと、カスタマイズ、っていうのカナ?色にしてもカタチにしても、その人に会ったモノをもっと考えられるようになるといいなあ、と思いました。随分変わってきているようですけど。オーダーメイドで頼める部分も増えてきているみたいですし。自分の身体の一部になるわけですから、
もっと選択の幅が広がってもいいのではないかな、と。
あと、値段。いったい今、いくらぐらいするんだろ?と思ってネットを見たら、標準仕様のモノが1万円台で新品が販売されているところもあって。なんか昔はもっと高かったような気がしますが…。
2005年6月16日(木)「今日も元気なやまなさん、博多へGO!飛行機編」
昨日に続き、やまなさんのレポート、飛行機編です。
『航空機への車いす搭乗はかねてから問題が指摘されてきました。この度、福岡DPI参加のため、伊丹ー福岡をANAとJALで往復し、どのような問題があるか検証してみました。
1、どのような障害者も機内乗り入れ用車いすに移乗を強要される。どうして飛行機には車いすスペー スが無いのか?座席が固定出来るのだから、電動車いすを床からシートベルトで固定するのは簡単 な事です。ジャンボやエヤバスなど大型機では十分可能なのではないでしょうか。
2、1時間前の搭乗手続きを要請されるが、搭乗用車いすで長時間待つことが困難な障害者への配慮がない。
3、ホームページには何種類かの車いすを用意してあると記載してあるが、空港には1種類しか置いて 無く、その車いすで大丈夫ですかと問わない。
4、積込みにはコンテナに固定して乗せられる機種と、混載で普通の荷物と一緒にターンテーブルに出 てくる機種の場合がある。預ける時にその事の説明がな無ければ、それに対応した積込み要請が出来ず、混載した場合破損事故が起り易い。
5、どの航空会社も障害者本人への配慮やサービスは、丁寧で親切であるが、障害者介助の訓練を受 けているか疑問。どのような教育を実施しているか誰か知っていますか?
6、電動車いすは一種の精密機械であり、細心の配慮で積込む必要があることを十分わきまえて欲しい 。単なる荷物ではない、壊すとすごく迷惑がかかるとの認識が必要。
7、バッテリー取外しは、転倒時の液漏れと誤作動による暴走を防ぐ為なので、通常の電動車いすは、電源キーを抜けば誤作 動は起らず、固定して積込めば横倒しになることはあり得ない。従ってバッテリーの取外しは無意味なのに世界中の空港で 行われているのは何故?(液漏れ、誤作動の恐れが無い事を説明出来れば、外さず積み込める)
8、飛行機の搭乗口とボーディングブリッジの段差。機種により多少の差があるとの事ですが、予想外に段差がある。空港は入口までは完全にバリアフリーなのに、最後にしっかり段差があるが、携帯スロープで超えられる範囲。
9、機内に車いすスペースを作り、自分の車いすで搭乗出来れば、航空機は車いすにとって使い易い乗物になる。主要空港はバリアフリーになっていて、交通アクセスも問題ないはず。片側3座席のMDは中央通路も狭く、入口もすぐに直角に曲がら なくてはならず、通常の車いす乗り入れは無理のよう。しかし、座席を外して車いすスペースを作れる機種はかなり多いはず で、寸法的な可能性と固定方法の実証検討を始めて欲しい。
福岡空港でJALに出発30分前に車いすチェックインをして搭乗してみました。来るのが遅いと嫌がらずに頑張って乗せてくれましたが、結果は失敗でした。伊丹ー福岡は新幹線が主な交通機関になってしまっているようで、JALもANAも片側3列づつで、細長いMDの機種を就航させているようです。以前のような大型機でなく、狭いが長くて結構多く乗れる機体です。
同じ機体のように見えても、積込みにコンテナが使えるのと貨物室に混載する機種があるのに気付かず、積込み方法の説明も無かったので、コンテナ収納と同じように分解積込みを指示して搭乗。伊丹で受け取り場に行きビックリ!ターンテーブルに私の車いすが廻っていたのです。
単にビニ−ル袋に入っているだけで、エヤーキャップも当ててなかったので、本体は多少凹んだり傷が付いたくらいで済みましたが、座は取り付けネジのプラスチック部分が2ケ所壊れていました。コンテナに入れないなら、分解しないほうが安全だったのに。取外した座はやはりビニール袋に入れただけだったので、機内でゴロゴロ転げていた模様。肘掛け固定ボルトと座席固定ボルトが壊れていたのです。
なんとか使用は出来たので走行して帰宅しましたが、明日から修理です。JALはきちんと対応してくれるようですが、以下反省です。
1、どういう状態で積込むのか確認して預ける。
2、安心して積込みできる時間的ゆとりは必要ーー1時間前位に空港に着けば十分です。』
…はあ〜。なんだかすごいレポートですが。飛行機ってどうもまだまだベールに包まれているところが多いと思うんです。え?と言うようなことも、普通に行われていたりするし。「飛行機なんだから、我慢して」と。写真の車内用車いすだって、20年前と何ら進化していなくって、なんだか驚くやら、あきれるやら。その車いすでいいですか?以前に「これに乗ってくれなきゃ」という姿勢。う〜ん…。あと、機内になぜ車いすスペースがないのか、という疑問ももっとも。なるほどなるほど。しかし、車いすを大事に扱ってくれないのは、ちょっと哀しいなあ。飛行機のバリアフリーはまだまだ、というところなのでしょうか。ふ〜。
やまなさん、レポートありがとうございました。おかげで、飛行機の現状、よくわかりました!
2005年6月15日(水)「今日も元気なやまなさん、博多へGO!新幹線編」
やまなさんが博多道中のレポートを送って下さいました。紹介しますね。
『車いすでは初めての博多、初めての飛行機でいろいろなことがわかりました。
1、都心にJRが新幹線と同じ駅にあり、空港までも天神から地下鉄11分 は都市機能としてダントツ。
2、地下鉄と連絡エレベーターは素晴らしい。ホームゲートを既存駅にも設 置する姿勢、一般乗降口とエレベーターが原則同じ位置にあるように 配慮してあるなどやれば出来る好例!
3、ハンドル形新幹線乗車は完全にJR東海が主導し、東京司令所の判 断以外、独自の判断で乗車させないことを徹底しだしている。
4、福岡市はバリアフリーに意欲的に取組む姿勢があることは分かったが 地下鉄以外の道路事情や通路は問題が多く、熟成していない感じ。
以下具体的な報告です。
●月曜は朝、博多駅で新幹線乗車の交渉をしました。博多駅は私の電動車いすは乗車可能か判断出来ず、新幹線司令所に
問合せましたが、どうしても許可か出ず乗車出来ませんでした。駅員達は乗れるだろうと言う感じでしたが、新幹線はあらゆる判断が東京司令所の権限で、そこはJR東海との共同体勢なのでどうにもならないと分かりました。JR西日本の管轄の新神戸までなら良いだろうとの交渉もしましたが、結局ハンドル形はまったく乗車させない事にしていると判明しました。
今のところ、ハンドル形で新幹線に乗車するには、機械で切符を買い、自動改札を通って勝手に介助無しで乗車し、同じように下車するしか方法がありません。入場券を買ってホームまで上がりチェックしてみましたが、博多駅はホームとの隙間はほとんど無いのに段差が10センチ以上あり、誰かのサポートが無いと1人で乗り込むのは無理でした。また、新大阪駅はホームとの隙間が大きく渡し板が必要で、改札から先は業務用エレベーターしか無いので、勝手乗降が出来ません。京都駅も同様です。そんな訳で帰りはJALにせざるをえませんでした。
●天神付近は市役所とイムズの周囲だけ歩道段差は改善され、エレベーターもすごく良く、広場と市役所の建築的景観もグッドでした。急に思い付いて福岡市役所の服部係長を訪問、下記の要請をしました。
1、新幹線乗車拒否は人権侵害改善勧告にもとるので、行政側からも働きかけてほしい。
2、地下鉄や地上エレベーターは素晴らしいのに、道路は車いすが通行出来ないなど、いびつな事を認識し改善してください。
3、JR博多駅構内の地下鉄連絡エレベーターは1基しか無いのに、キオスクで隠され案内表示も一つも無く、一番重要なエレ ベーターが分からないのはヘンです。旅行者にも明確にわかる表示をして下さい。
…など話しましたが、明日関係会議があるので早速検討課題にするとのこと、今後の改善をチェックして下さい。
●それから、補装具給付担当者にも会い、電動車いすの給付について福岡市の実態を聞きましたが、やはり上肢に障害が無い障害者は手動が使えるので電動はダメとのこと。それが間違っていることを説明し、必要な理由があれば判定に持ち込むようにと、他府県の実情や厚生省の見解など話して要請しておきました。(ハンドル形給付は年間6名だけ、新任担当はまだ白紙状態ですが前任者は車いす を規定しているのは道交法と答えられるほど良く勉強されていました。行政福祉関係者で初めてきちんと勉強している人に会った感じでしたよ!)』
…JR東海さんって、すごく発言力あるんですねえ…。まあ、日本一のドル箱の東海道新幹線を抱えているんですから、当然と言えば当然、分割民営化の際にわかっていたと言えばわかっていたことですが…。自分達の生活に直結する部分で力関係が見えてきてしまうと、それに合わせて生活していくことが、すごく違和感がある。利用者の声が反映された交通機関であって欲しい。
でも、せめて新幹線くらいは、利用の仕方の足並みを揃えて欲しい。わかりにくいですって。形態はほぼおんなじなのに、乗れる乗れないが鉄道会社によってそれぞれ違う、そして、その内容が利用者に対して充分に知らされていないのは。
なんとなくそれでもわかりやすいかな、とも感じる新幹線。それだけ私たちの生活に身近な存在といえるのかも。じゃあ、それがが飛行機だったら?!なんとなく、知ってるようで知らないことの多い航空会社の対応。次回はやまなさんの飛行機搭乗レポートです!
2005年6月14日(火)「話し合いの<渦>を作りましょう!」
おとといは車いすのことを話し合える場がもっと欲しい!と、なんだか駄々っ子のような書き込みをしてしまいましたが(笑)、自分自身まだまだ知らないことが多いし、もっとたくさんのことを知りたい!という気持ちが強いです。ただ、まあ、仕事にしろ、家族にしろ、日々が慌ただしく、そのことに気持ちのすべてを注ぎ込めないのがとても残念ですが…。
そんなことを考えていたら、タイムリーにやまなさんからのメールが。以下に紹介しますね。
『昨日、ある大学で福祉の講座をもっている先生と話しましたが、車いすについて少し違う視点があることに気付かされました。車いすが道交法でしか規定されていないのは問題ではないかの話をしている過程で、「手動車いすは完全に歩行者と同じだが、電動車いすはちょっと違うのでは」と言われるのです?
手動は歩行のための代替え手段である事は誰でも疑問の余地は無い、自分の力だけで走る事もできる。レーサータイプの車いすでぶっ飛ばしている人にすれちがってビックリした事もありますが。
電動はきちんと位置付けをして、使う人の身体機能や能力に応じて整理し直し、自転車などと合わせて公共交通機関の乗車を考えてはどうか。北欧のようにもっと誰でもが自由に乗車出来るが、占有スペースに応じて料金を徴集する。もちろん障害者は無料、高齢者はどうするか考える。歩道や専用区分についても考え直す。
議論を特別な人のためにせず、皆の問題の中で位置付ける方が良いと言う考えです。そうすれば、電動は時速6キロ以下で走れない問題も、欧米のような基準を考えるきっかけになり得るのではないだろうか?
「ハンディのある人だけの特別な問題にしない」と言うのはかねがね考えている事なのですが、、、、。今の一般的な考えとかなり違い、「自分の力で動かす身体機能が無い障害なので電動を使う」障害者側からどのような反応がでるかが問題です。
手動でも自力走行する人と介助してもらう人は同じか?
細かい異論は一杯あることでしょうが、本当の意味での自立支援とからめて、議論してみたいと思います。』
う〜む…。なるほどねえ。<電動>の福祉機器に関しては、もっと違った視点で捉えて、社会生活の中でもっと使いやすくなれるよう、議論の糸口が見えてくるのではないか、という感じでしょうか。いろんな人が身近な問題として考えることができるよ、と。一理あり、ですね。考える人を増やして行かなきゃ、とは感じます。広がりが、ない気がして。そうじゃないと、何が大変だ、とか、困っていると言うことが見えにくい。結局当事者だけが抱え込んでしまいがちな気がします。
ただ、生活していく上で、電動車いすでなければ移動できない人、または使用することで生活が著しく向上する人って、たくさんいると思うんです。その人たちにとっては、カラダの一部として、自然な形で使いたいという気持ちが強いのではないか、と思うのですね。
どちらが生活の向上への早道なのかわからないんですけど、何かしかの<渦>を作っていく時期に来ている、そう感じています。
2005年6月12日(日)「車いすのことを話し合える場がもっと欲しい」
以前、「車いす学会」みたいなものがあったらいいな、と言う話をこの日記でしたように思うんですけど、あらためて「車いす学会」という言葉で「google」で検索してみたら、その自分の日記がヒット(笑)。う〜む…。せっかくですから再録しておきますが。
〜「車いすについて考える場がないんじゃないか。」結局二人でいろんなことを話していて、これはいい!と思ったアイディアも、それを伝える場、考えを共有する場がない。「〜学会」とか「〜シンポジウム」という集まりはいくつもあったとしても、<車いす>に関わるものはないんじゃないかと。いろいろネットで検索はしてみたんですけどもね。車いすに関わる問題はいろいろあると思うんです。「がったん」でも取り上げている<移動>の問題もそうだし。ただ、車いすそのものに対する問題について考える場が、今ないんじゃないか。使い勝手が悪いこともあるでしょう。こんな車いすがあったら、という意見もあるでしょう。そういう<生>の声が合ってもいいんじゃないかって思うんですよね。だって、他のいろんな製品だって、そういういろんなユーザーの声を反映しながらよりよいものになっていくと思うんです。車イスだってそういう仕組みがあれば、もっと変化が早い世界かなって。そのためにはいろんな声を集める場が欲しい。わかりやすい形での場が欲しい。
今、車いすを取り巻く環境が大きく変わってきていると思うんですね。ここ10年がバリアフリーという総論について話を進めてきたのであるとしたら、これからの10年は各論としての「車いす」について話し合う場が必要なんじゃないか。そんなことを思うのです。移動手段としての車いすそのもののこともそうだし、車いすを使って生活をすると言うことはどういうことなのか、とか。
もう電動にしても手動にしても、ひとことでは説明できないぐらい広がりがあり、そこにハンドル型という新しい考え方も出てきている。ユーザーとしては、明らかに選択の幅が広がってきているはず。なのに、今ひとつ普及しないのはなぜか。行政の壁か、情報の少なさ、なのか。いいものをたくさん知りたい。伝えたい。共有したい。そして、一つの渦を作りたい。そうすることで、もう少し過ごしやすい社会ができるんじゃないか。そんなことを今考えているところなのです。
2005年6月11日(土)「ハンドル型電動車いすの対応が、街によって違う?!」
やまなさんから以下のメールが届きました。紹介しますね。
『ハンドル形電動車いすを全面的に乗車させないと広報している
大阪、堺市の「ふれあいバス」の担当者と電話で話しました。
http://www.city.sakai.osaka.jp/city/info/_koutuseisaku/bus/bus.html
「ハンドル形電動車いすだけを一律に乗車出来ない」と言うのは、JR東海にたいして出された人権侵害勧告がそのままあてはまる。関西でそのような誤った認識でコミにュティバスを運行しているのは堺市だけで、ハンドルが付いているからダメは通用しない。
乗車可能なものは乗せることが出来る判断が出来るように改めてください。大阪ではセニアカ−も含めて全部OKなのに、隣の堺市が全部ダメは問題です。早急に改めてください。
以上のことを良く説明して話し合いましたが、協同運行している南海バスの意向で単純に一律拒否し、その意味を理解していなかったことが良く分かりました。たぶん検討、改正してくれるだろうと期待しています。
ノンステップバスとリフトバスの2種にどのような現実的な規則を設けれるかは、「どうしても必要なら単純に物理的な数値基準を設定する、間違ってもハンドルの有無を条件にしないこと。」ホームページの改正で応えたいそうですが、何時になるでしょう?』
大阪でいいことが堺市ではだめ、というケースは、他の町でも結構あるんでしょうね。やはり交渉するときも、「○△市ではよいのになんで自分達の市ではできないのか?」というかたちが、話が進みやすい気がしました。
となるとですね、最初に前例を作ると言うことはとても大事なんだな、と。今、世の中はどう動いているか、という情報に触れると言うことも大事になってきますね。やまなさんのような「ニュース」は、なかなか記事として取り上げられにくい記事だと思うんです。いわゆる「達成」したり「完成」したことではなく、あくまでもいろんな出来事の「過程」なわけですから。
「がったん」はこれからも、やまなさんをはじめ、いろんな方が取り組んでいるニュースを話題にしていきたいと思っています。メールや掲示板でどうぞお寄せ下さいね。
2005年6月9日(木)「情報は、行く前はシンプルに、現地ではたっぷりと!」
きょうさんから掲示板に書き込みがありました。東京の地下鉄はわかりにくいぞ、と。常々私もそう感じているので、自分だけじゃなかった!と嬉しかったです。普段使わない土地の路線はただでさえわかりにくいのに、土の中が迷路になっている。そして階段を下りたり、上ったり…。それを乗り換えの駅では延々と繰り返す駅もありますしね。それを言葉で表現するのはなかなか難しいなあ、と、JR、私鉄、そして地下鉄まで調査を進めて来て、「壁」にぶつかっている感じです。
写真があればイメージが湧くかなあ、とも思ったけど、駅舎が存在しないことがほとんどだし、地上にはどこでも同じような階段の入り口があるだけで。「A−5出口」とかいわれても(笑)。
なので、目的地まで誘導してくれる「ナビ」が現地で必要になってくると思うんです。「がったん」では、地上から地下ホームまでエレベーターがあるよ、という情報を発信。で、現地では目的地まで、床面のガイドラインや、天井部、壁面等の掲示物がガイドできればいい、と。今はそんな風に思っています。
その看板も、どうも控えめなモノが多すぎると思うんですね。「景観」を損ねる、とでも思っているんだろうか。でも、町中には、交通標識がた〜くさんあるじゃないですか。「止まれ」や「速度標識」は、どんな道にもありますよね。必要な情報だから存在するわけで。移動に制約を感じている人にとって、エレベーターなどを使った垂直移動のルート情報も、これからたっぷりと提供して欲しいと思ってます。
あと、都合の悪い情報は提供しない傾向があるなあ、と感じるんですけど、どうでしょう?例えば、地下鉄なんかでも地下1階改札から地下2階のホームまでの情報は「エレベーターあり」と構内図で表記していても、地下1階改札から地上までの構内図が載っていなかったりする。で、実際そこは階段しかなかったりするわけで。う〜む、だなあ、と。で、階段しかない駅は構内図が載ってなかったり、バリアフリーかが進んでないのかなあ、っていう鉄道会社のホームページなどは、簡単な表一枚、とか、ホームページにバリアフリー情報自体がない、なんていう会社もあったり。
確かにバリアフリー化が進んでいない場合は、会社にとってマイナスのイメージになるかもしれない。しかしマイナスの情報も含めて、多くの情報を発信している会社に、好感を覚えます。
きょうさんの掲示板への書き込みを最後に転記しておきますね。「がったん」のこれからのあり方にすごく参考になりました。きょうさん、いつもありがとうございます!
「だから、情報を伝えるって難しいと思うんですよね。実際に車いすに乗って利用してどうだったっていうことを伝えられたらいいんですけどね。でも、どうだろー・・・自由に使えるエレベーターと言っても、電動車いすだと電車に乗り込む時にスロープを使う関係もあって、駅員さんに案内されるし、自由に使えるって誰が自由に使えるのかって思う時があります。前にも言ったけど、簡潔な情報がいいですね。エレベーター有りとかだけで、あー、この駅は使えるってわかるしね。」
2005年6月7日(火)「電動車いすのスピードについて」
先日道を歩いていたら、歩道をシャ〜ッと速いスピードで横切る電動車いすが。そのスピードが、とにかく今まで見たことがないスピードだったので、ちょっとびっくりしたんですね。で、そのことをやまなさんに話したら、その電動は外国製の車いすだろう、と。外国製の車いすは、もともと12キロのスピードを出せる性能があり、だけれども、その車いすを日本で使用するにあたっては、速度が最高6キロに定められているんだ、と話して下さいました。
「でもね」とやまなさん。「実際6キロのスピードはかなりゆっくりで、一般的な日常生活を営むには不自由なことが多い。だって、普通に生活していれば歩くだけじゃなくって小走りもするし、急いでいれば駆け足、って時もあるだろう。なのにそれを一律に「車いすだから6キロ」と決めるのはどうなのかなあ。」「車いすはいわば<足>のかわりであり、歩行者であるわけで。道交法上、自転車のような軽車両ではない。だから、本人の運転技術の問題もあるだろうけど、普通の生活に近づける、そんな電動車いすとして、柔軟に使い方は考えてもいいのじゃないか。」
<電動車いすは6キロ>という固定観念が今まで私の中にもあったので、いざ、すごいスピードの車いすを目にするとびっくりしちゃうけど、スピードが出る車いすもある、と頭の片隅にちょっとでもあれば、もっと受け止めやすいのかな、と感じました。
2005年6月6日(月)「地下鉄は、難しい」
今、東京の地下鉄の駅情報をアップしているんですけど、大変です。地下鉄は構内図が各社のホームページでしっかりデータが出てるんで、それを参考にしながらの作業なんですが、元々が地下への移動が前提なわけで、垂直移動が今ひとつイメージできない駅がありますね。で、かつ、地下の中で路線の乗り換えもあるわけで、ああ、これは大変だ、とあらためて認識した次第です。まあ、いつものことではありますが、ぼちぼちいきますね。はい。
2005年6月5日(日)「最近の電車のスピードについて」
昨日電子どもたちと一緒に乗りました。どうも尼崎の事故から電車の先頭に乗るのがちょっと怖くなってしまい、一番後ろの車両に乗ったりしてるんですけど。子どもたちは線路を見たいんですけどね。「ここからも見えるさあ」とかいって、最後尾の走り去る車窓を見させる、と(笑)。しかし、感じたのは、常磐線の快速に乗って、直線コース。いつもだったらぶわーって飛ばしているような木がするんですが、なんか、妙にゆっくり。最高90キロでしたね。標識には120キロとか出てた気がしますが。土曜日だし、ダイヤに余裕があったのかもしれません。そうかと思うと隣のホームを特急列車の「ひたち」がすっごいスピードで通過していきます。同じ線路を130キロ強で飛ばすわけで。曲線の区間もあるから、今更ですが、過酷なダイヤで走っているんだな、と感じます。それが、利用者の求めているものなのか、他者との又は高速バスとの競争に向けた企業努力なのか、わからないけれど、少し私たち利用者も考えるべき時期に来てるのかもしれません。速けりゃいいのか、って。
でも、今だから思いますけど、回復運転って、ちょっと考えちゃいますね。車内放送で「これから回復運転に努めます」とか言われると、今まではよろしくたのむよ、とか思ってましたけど、今はもういいよ、ゆっくり頼むよ、とか思っちゃいますね。仕事遅刻してもいいから、って。それくらい心に残る、大きな事故でした。
そう感じていたら、やまなさんからメールが届きました。割と日常的に電車を利用している人にとっては他人事じゃないし、同じようなことを考えて利用しているんだろうな、と。そんなことを感じました。
<やまなさんからのメール>
「JR尼崎事故の後、車いす乗車に対して対応が変化していないか確かめるため、大阪駅〜芦屋駅(山陽本線)、芦屋駅〜天満宮駅(東西線)へ乗車してみました。
対応が丁寧になっていました!若い駅員はあまり変わりませんが、年輩の駅員は親切になっている感じがします。
また、大阪駅は駅ビル大改造に備え、さまざまな付帯工事が始まっていて、ホーム改造が0番線から順に行われ、現在3番線工事中です。環状線や関空快速の0番線に新しくエレベーターが付いていました。今後数年間、大阪駅は工事でホームがいつもと変わったりしますので注意が必要です。
東海道・山陽本線の新快速は直線区間が多く、時速130キロでぶっとばす感じですが、乗っていてずいぶん早いなあと思います。この前横浜〜新宿間の湘南ラインに乗った時は、カーブや高低が多くて危ない路線だなと思いましたが、東海道・山陽線の京阪神間は比較的真直ぐで軌道敷地も広くそれほど危ない感じはしません。(このスピードで私鉄の狭い軌道敷地だったら恐怖を感じるかな)
駅員の話では、「本線は違いますよっ。」とのことでした。ちなみに大阪市営地下鉄の最高時速は70キロで、それ以上の高速運転は出来ないので安心して下さいとのことでした。電車のスピードにちょっと神経質になっているこの頃です。」
電車から降りて改札に向かおうとすると、下の娘が「車掌さんに手を振らなきゃ!」といって、そのままホームに。いつの時代も憧れなんですよねえ。照れくさそうに手を振り返してくれた車掌さん、ありがとう。世間からの視線が厳しい今日この頃でしょうが、安全第一でどうぞよろしく。
2005年6月4日(土)「今夏の調査について」
福井駅がバリアフリー化されました。以前は階段での利用でしたからこれからはぐっと利用しやすくなることでしょう。
あと、東京都の荻窪駅も少しずつバリアフリーかが進んでいるよ、との健人さんからのメール。いつもありがとうございます!
さあ、いつのまにか6月になっていました。「がったん」としてはいろんなやりたいことのアイディアがたくさんわいてきているんですが、何せ時間が足りない…。本業の仕事が年々忙しくなってきており、それは単純に仕事量が増えているのか、それとも私の仕事の要領が悪いのか(笑)。それにしてもどういうこと?というのが、私の偽らざる心境(笑)。
そんなわけで、冊子版の発行も夏は厳しそう…。とりあえず、今年の夏は東京と大阪の地下鉄、広島、福岡近郊を調査し、それを踏まえて今までの全データを整理し、冊子版の完成へ向けて進んでいきたい。そのように感じているところです。詳しい調査日程はもう少ししたら発表しますので、ぜひお近くの方はお会いできたら嬉しいです。どうぞよろしくお願いします。