2011年のがったん日記


2011年12月31日(土)「東北地方の鉄道復旧について思うこと」

 お久しぶりです。皆様、お元気ですか。私も実家が11月に半壊の判定を受け、住居の補修の申請、そして一人暮らしの母が高齢者賃貸住宅へ転居と、慌ただしい日々を送っていました。もちろんその間も、千葉での仕事は続けていましたので、気持ちに余裕がない日々が続き、「がったん」を更新できずにいました。しかしながら、母の転居先での暮らしも少しずつ落ち着きはじめ、また、すこしずつ書いて行きたいと思えるようになりました。私の実家である仙台や、母の実家である岩手県陸前高田。その二つの町と千葉を、今年は何度も往復し、いろんなことを目にし、感じてきました。新聞報道でも、新しい地域のあり方について、いろんな意見が出てきています。それは鉄道についても例外ではありません。自分が感じたことを、すこし書いておきたいと考え、ペンを取りました。
 まず、ショックを受けたのは、11月の新聞投書欄に載っていた「三陸鉄道復旧、税の無駄遣い」という記事でした。三陸鉄道とは、岩手県の海岸部を走る第三セクターの鉄道で、母の実家は三陸鉄道につながる大船渡線沿線にあります。私が実際に目にしたのは、大船渡線と気仙沼線ですが、とにかく、線路、橋、駅舎、すべてが流されている箇所がとても多い。特に陸前高田近辺は、どこに線路があったのか、駅があったのかが、全くわからない。まさに、何もないわけです。日々の生活の匂いとか、営みを感じさせることができるものが何もない。以前あった風景を覚えているだけに、衝撃を覚えました。
 そして、復興させるということについても、いろんな考えがあることも知りました。その考えは、時間が経つにつれ、だんだん収集が付かなくなっていく感じもします。三陸鉄道の方が、「まずは、一日でも早く、動かせる部分から、動かすこと。そうしないと、鉄道の復旧はどんどん難しくなる。」私も、そう感じます。
 さて、鉄道の復旧が税の無駄遣いかどうか。それは、もちろん、税の「使い方」にあるのはわかっています。でも、どういう視点で使うのか。そこが、実際にそこに住む人と、そうではない人とでは大きく違ってくるのだと思います。では、東京で鉄道が止まったら?山手線や大手私鉄各線が止まると、大きな影響が出るでしょうから、必死になって復旧に努めることでしょう。バスで15両編成の輸送量をこなすのは、確かに無理があります。今回の地震での東北新幹線の素早い復旧には、目を見張るものがありました。もはや、新幹線は、経済にとって「動脈」であり、それを止めることの損失は計り知れない。そのことはすごくわかるし、そのおかげで、私もふるさとに何度も通うことができています。
 では,地方はどうか。1両、もしくは2両の気動車が、朝夕以外は席が埋まる位の乗車率。採算が合わないのも理解できます。それは、3.11.の地震前も同じでした。今や、鉄道事業で黒字化を達成することができる路線自体、少なくなってきていますものね。地方に行けばなおさらです。でも、考えてもみてください。新幹線では、いつもの学校や病院には通えません。仕事にだって通えない。まあ、そもそも、東北海岸部には、新幹線も高速道路もない。経済優先で、動脈を維持しても、毎日の生活には、ほとんど用をなさないのです。民間会社であるから、「採算」を意識しなければならないのか、それとも公共交通としての役割を意識するのか。復興策はいろいろ考えられてきていますが、生活のベースになるところを、もっと大事に考えていかねばいけないのではないか。そういうことを国全体で考えて行く必要があると思います。
 そして、町の復興に大事だと思うことがもう一つ。鉄道での復旧をあきらめて、バスでいいのでは、という案も出てきています。しかし、バスでは、町に残るのは「バス停」です。「駅」ではありません。バス停では、町はただの通過点になってしまいます。「駅前」という文化は消え、「町の中心」「核」となることは難しくなるでしょう。大きな国道や県道沿いだけが発達し、マイカーがないと生活できない町になってしまいます。元気のある町を取り戻すためにできること、しなければならないことを、もう一度整理して考えて行く必要があるのではないのでしょうか。
 ちょっと、時間がないので、また続きを書きたいと思います。今年も、残りわずか。皆様良いお年をお迎えください。


2011年10月10日(月)「<がったん>の今後の活動について」

  「がったん」の、今後についてご報告です。
 「がったん」は、最近更新も間隔が開き気味で、実用にかなうホームページとは言えない状態が続いています。新鮮な「情報」が第一であるはずなのに、心苦しい状態が続いています。
 そして、3月の大震災。これをきっかけに、我が家の生活も激変しました。東北に住む一人暮らしの母のケアもあり、我が家の家計も気がつくとかなり傾いてきているのが実情です。
 以前もお話ししておりましたが、この「がったん」は、どこからも金銭的援助等は受けておらず、あくまでも私の個人的範囲で活動しているものです。そのため、私自身の家庭の経済状況に依存している側面が大変強く、今後しばらくは、遠方等への調査等を控えなければならないと判断しました。
 しかしながら、今は各種ホームページやブログ等で、ある程度の情報を収集できるようになりました。エレベーターの新設等の情報は、公的機関等の発表もあり、ある程度の信頼に耐えうる情報であると考え、そのような情報を今後は反映させていく方向で、「がったん」のホームページを運営していきたいと思っています。
 また、今まで同様、がったんの掲示板へ書き込んでいただける方々との連絡をとりながら、その情報も反映していきます。
「現地で確認」という基本方針は、心の中では変わっておりませんが、上記のような現状をご理解いただき、今後も「がったん」を支えていただければ幸いです。
 なんとか、掲示板のスパムメールも収まってきました。ほんっと、この数ヶ月は、ひたすら消して消して、また消しての繰り返しで、よっぽど掲示板を閉鎖しようと思ったんですが、なんとかこのまま収束してくれれば、一安心。こちらもご活用くださればと思っております。
 これから本格的な寒さが到来します。どうか、体調を崩さぬよう、とにかく元気で。元気でお過ごしください。そしていつの日か必ず、皆さんと直接会って意見を交わしたいと考えております。メール等、お返事がなかなかできず申し訳ありません。いずれ必ずお返事しますので、もうしばらくお待ちください。
 今度の春は、特別な春になる。個人的には、そう感じております。その春を、楽しみに待っている今日この頃です。


2011年10月4日(火)「仙台空港鉄道、完全復旧!常磐線久ノ浜~広野間が10月10日に復旧。そして、青森県にある十和田観光鉄道が、廃線の危機」

 東日本大震災からもう少しで7ヶ月。鉄道関係にもニュースがいくつか流れてきています。
 まずは、仙台空港鉄道が完全復旧!そして、10月10日に、常磐線の久ノ浜~広野間が部分復旧します。新幹線の復旧のニュースももちろん嬉しかったけれど、生活の足である在来線が復旧するというニュースは、何よりも嬉しいですね。
 そして、青森県を走る、十和田観光鉄道が廃線の危機です。ニュースには、<「十和田電鉄支援せず」沿線3市町回答 廃線の可能性高まる>とあります。鉄道、というのは、地域や生活にとって、どんな意義があるのか。深く考えさせられてしまいます。


2011年8月7日(日)「復興支援には、高速無料化ではなく、鉄道やバスの無料パスを!」

 最近、高速の無料化をトラック等が悪用しているニュースを耳にしますが、そもそも、1000円高速をはじめ、高速道路「だけ」を優遇する最近の流れには、どうしても納得がいかない。
 今回の被災地向けの支援として1年間高速道路無料化の措置が取られていますけど、どうも基準があいまいです。そういう私も交付してもらって利用したりもしているわけですが…。確かに助かるんだけれども、あればもちろん助かるんだけれども、どうもいろんな人に役立つ制度ではないんじゃないか、と思うわけなんですね。
 考えて見れば、岩手の津波で被害にあった地区は、三陸といって、今まで新幹線も高速道路も、そういう「高速化」の恩恵は何にも受けてこなかった地域です。そんななか、車も家も流された人たちが、日常的に遠く離れたところを走る高速道路を利用するだろうか。それよりも、あと3年、いや、5年とも10年とも言われる、ローカル線の復旧に力とお金を注いで欲しい、それまでの生活の足を、もっと確保して欲しいと思っているのではないでしょうか。
 復旧までの代替バスを無料にするとか、地域のローカル線の無料パスを地元の人に発行するとか…。目立つ政策ではなく、もっと被災した人に寄り添った政策を、ぜひお願いしたい。これ以上車社会が進んでしまって、地方鉄道が復旧する前に、廃線、などという結末を迎えてしまわないよう、現地での声をもっともっと拾って欲しいなあ、と願う今日この頃なのです。


2011年8月6日(土)「掲示板への書き込み、いつもありがとうございます!」

 いつも掲示板への書き込み、ありがとうございます!本日、春先からの書き込み分についてアップ完了しました。大変遅くなり、申し訳ありませんでした。
 この夏に、本業もちょっと一息つけているので、気持ち的にも少し楽になりました。これからまた、すこしづつ書き始めたいと思っています。
 しかしまあ、この、スパムメールって言うんですか?迷惑メールのすごいこと!毎日一生懸命消し続けて数ヶ月。ようやく下火になってきました。きっとコンピューターで自動的に送りつけてるんでしょうけど、何とかなりませんかねえ…。ネットの世界の、面倒なところというか、影というか…。まあ今のところ、根本的な解決はなく、ひたすら消し続けながらうまくそらし、続けていければと考えています。
 夏本番ですね。体調に気をつけ、元気にお過ごしくださいね。


2011年8月4日(木)「節電でも、エレベーターは動かそう!」

 お久しぶりです。地震からもうすぐ5ヶ月、「がったん」が止まってから3ヶ月。このままだと、なんだか忘れられてしまうのでは…という危機感をちょっぴり抱いたりしている今日この頃。とりあえず、更新しよう、トップページの壁紙も取り替えてすっきりしよう!と、久しぶりに「がったん」と向き合っています。
 震災で、生活が大きく変わりました。もちろん、町を津波で失った方々を思えば、たいしたことではないとは思うのですが…。先月の中旬に岩手県陸前高田の親の実家に伺ったときも、3月下旬に訪れたときと比べて、町全体が、時が止まっている印象を受けました。確かに、道路とか橋とか、復旧してきているのも事実です。しかしながら、建物の全く建っていない町を車で走っていると、あれ、ここはどこを走っているのだろう?という錯覚に何度もとらわれてしまいました。何度も走った道のはずなのに、道路はあるんだけど、どの路地を曲がるのか、とか、そういうことがわからない。そうかと思うと、ぽつんと、ホームの駅名表。そこでようやく、ああ、ここは、駅か、と…。いかに今まで、建物を目印に移動してきていたのかを痛感しました。その建物が、全くない状態のなか、線路はやはり元通りには引けないのでしょう。誰が、どこで生活していくのか。考える時間が、きっとまだまだ必要なのだと思います。
 千葉をはじめとする関東でも、節電が叫ばれるのと同時に、さまざまな支障が生じるようになりました。駅や鉄道でいうと、列車の減便はもとより、移動のベースになる「垂直移動」が困難になってきていることです。バリアフリーでせっかく良い流れが出てきているエレベーター等設置の動きが、今後しぼんでいかないか心配しています。今回の地震で感じたことは、節電は必要なのだけど、どうも性急に節電に走りすぎ、必要な電気まで消すことにやっきになっていたのではないか。ちょっとパニック的な要素もあった気がしますね。
 節電は大切だし、必要なんだけれども、ライフラインの部分はきちんと確保しながらの節電であるべきじゃないのか。今回の節電で、今までの不必要に明るい町の明かりに気づき、それがなくても生活に支障はないことに多くの人が気づいたはず。生きるための電気は必要であり、「余暇(?)」に関わる電気は、限りなく絞っていくべきではないか。そんなことを考えた、この約5ヶ月だったように感じます。あ、もちろん、駅構内の暗すぎる照明は、視覚が不自由な方にとっては困ってしまうと思うので、やはり、ほどほどの線を見つけないといけない。
 もう、原発に依存した以前のような生活には戻ることはないでしょう。それでも、ある程度のことはやっていけることが今回わかったわけです。くれぐれも、経済と生命を天秤にかけてはいけない。「経済が停滞する…」という心配もあるかもしれないけど、日本での生活が、本当に豊かになると言うことがどういうことか、みんなで考えなければならない時期にきているように感じます。
 今回は東北が被災したけれど、次は必ず関東の番。そのときに慌てないためにも、今回の地震や東北での被害を自分のこととして受け止めていく必要性を、強く感じている今日この頃です。


2011年5月1日(日)「大震災、その後~本当の復興とは?」

 3月、そして4月と、嵐のような日々が過ぎていきました。この約50日の間で、母と共に千葉と岩手、宮城をいろんなルートで往復し、様々な被災地の様子を見てきました。とても言葉で表現できるものではないし、いまでもがれきの山を目の当たりにすると、気持ちがざわざわと揺れてしまう自分がいます。
 羽田~山形空港からはじまり、羽田~花巻空港、そして、羽田~仙台空港と、一月の間に東北の3つの空港に臨時便で降り立つことになるとは…。今考えても普段ならあり得ないこと。それだけ非常時だったと言えるのかなと思いますが…。本当に、今回は、JALさんに大変お世話になりました。あれだけ乗客もキャンセル待ち等でパニック状態にあった中、必死に対応していたスタッフの方々には頭が下がります。そして、東北新幹線等、鉄道という公共交通機関が動かないときの、航空機というライフラインの選択肢として、臨時便を臨機応変に飛ばす必要性を感じました。
 震災時、高速バスは徐々に復旧し、最初こそガソリン不足で運行が危ぶまれた時期があったようですが、中長距離のメインの移動手段になっていました。臨時便も次々走り、心強く感じました。
 そして、4月29日に全線開通した、東北新幹線。私もこれに乗って、今仙台に帰省していますが、本当に助かります。時間が読めるし、何より疲れ具合が違います。値段的にも安心感があるし。ああ、故郷とやっとつながった、と思えた出来事でした。
 しかし、ここで考えなければならないのは、果たして新幹線だけが復興のシンボルと言えるのか?ということ。東北に住んでいる人にとっては、新幹線は「生活」で毎日使う移動手段ではないわけです。あくまでも、遠くの人がたまに東北を行き来するための移動手段。本当に東北の人が必要としているのは、地元を走る在来線のはず。なぜ飛行機や新幹線はこんなにも速く復旧できて、在来線が後回しになっているのか?東京を中心とする、中央の発想でしか、復興を考えていないのではないか?地元では、そんな話も聞きました。
 岩手には三陸鉄道という第三セクターのローカル線があります。津波で甚大な被害を受けつつも、運行できる区間で無料の救援列車をなんとか走らせていました。生きて行く上で一番大切なモノは何か?それを、今も避難所で生活を送らざるを得ない方々は、ずっと考えているはず。そのことに、私たちは想像力を働かせる必要があるのではないか。そんなことを考えてしまいます。
 確かに、常磐線の宮城福島県の区間、仙石線、石巻線、気仙沼線、大船渡線、三陸鉄道、山田線、八戸線などは、津波で路盤ごと流されてしまっている区間が多いです。私がみた大船渡線の沿線の町では、もう、駅や線路を含めた町全体が消滅していました。ほんとに何も残ってなくて…。じゃあ、これから線路を敷こうにも、その列車を利用する地元の人たちがどこに住むのか、それが決まらないことには線路を復旧させることは難しいでしょう。地元では2,3年かかるんじゃないか、とも言われています。それまで私たちは、新幹線や飛行機だけではない、生活に根ざした交通網をどうすればいいのかを共に考え、継続的に支援し続けていくことが必要なのではないか、と考えます。こういう時は、昔の国鉄のように国有のモノであれば、復旧はもう少し早いのではないかなあ、と感じますね。JRのように、経営の主体が民間だと、どうしても採算を完全に度外視して建設する訳にもいかないでしょうし、できることも限られてくるように感じるから…。
 本当に復興が感じられるときと言うのは、東北の沿岸部の鉄道網が復旧したときなのではないかなあ、と考える今日この頃です。


2011年3月25日(金)「今、自分ができることは~震災に遭って」

 大震災から2週間がたちました。いまだに全貌がつかめずに、原発事故も重なって、日常生活が「3.11.」を境に大きく変わってしまいました。被害に遭われた方々に、心からお見舞い申し上げます。
 私自身、仕事が年度末に向けて忙しくなり、「がったん」の更新も滞っていた時の大地震。その後は、仙台に住む母を千葉に連れて来るために仙台入りしたり、親戚や友人知人の安否に胸を痛めたり、なにかと心がざわざわして、文章を書く気持ちになれませんでした。2週間経ち、ちょっと自分の気持ちにも余裕が出てきたので、とりあえず、この2週間の近況を描いておきたいと思います。メールをいただいたりしておきながら、まだ返事を書けないでいます。すみません。でも、すべて目を通しています。ありがとうございます。お返事はおって書きますので、もう少しお待ちくださいね。あと、「がったん」として、なにが今できるのかも、考えています。自分にしかできないこと…。もう少し、考えて見るつもりです。
 
 地震の日、私は千葉にいたのですが、30数年前に「宮城県沖地震」を体験して、地震の恐ろしさを分かっていたはずの自分ですら、まったく次元の違う揺れを前に、言葉を失いました。今までは、どん!と大きな縦揺れが来て、その後横揺れが1分間ほど続いて収まっていく…、という感じだったのに、今回はだんだん、だんだん揺れが大きくなっていき、横に少しずつ大地がずれていくような、そのままザーっと流されてしまうような恐怖感がありました。これはただ事じゃないな、と思ったのもつかの間、立て続けに襲う余震。千葉ですらそれぐらい揺れたのですから、東北ではさぞ大きな揺れだったことでしょう。
 そして、襲ってきた津波。私の実家は仙台で、親の実家が岩手の陸前高田市にあります。祖父の家に行くと、家は海が見渡せる高台にあります。「チリ津波地震の時も、三陸地震の時も、みんながここに避難して、津波を見守った」と祖父が語っていた高台にも、今回は容赦なく津波が襲いかかり、多くの家や人を飲み込んだようだ、とのこと。そのすさまじい破壊力をテレビの映像で見ましたが、自然の力のすごさをあらためて感じました。
 そして、原発事故。かみさんが昔、新潟の柏崎市に住んでいました。そこには、福島と同じような原発銀座、世界で一番規模が大きい、「柏崎刈羽原発」があるのです。しかし、運営は東京電力、地元住民が使用する電力は東北電力。そう、福島の原発と同じ図式が成り立ちます。東京で使う電気を、福島や新潟で発電し、送り届けてもらっているという事実。「絶対に安全」と言われていたモノが崩壊する時、あまりにもリスクが高い生活をしていたのだと言うことを、私たちはもう少し考えていいと思います。

 「がったん」的に、上の話をなぞっていくと、地震で線路と車両、駅舎が流された東北沿岸部の鉄道。具体的には、常磐線、仙石線、石巻線、気仙沼線、大船渡線、三陸鉄道、山田線、八戸線が、壊滅的な損傷を受け、復旧の見通しが立っていないとのこと。利用の際は、ご注意ください。
 原発では、線路の復旧もさることながら、その区間を今後列車が走れるのか?という問題があります。放射能レベルが落ちていくことで見通しも立ってくるのでしょうが、原発自体のコントロールがまだできない状況では、より深刻だと思われます。また、関東では計画停電の影響で、鉄道の運行にも大きな乱れが生じました。また、エレベーター等は、使用停止の駅が多いです。近所の駅に聞きますと、駅員が作動させて利用してもらうことはできるが、計画停電の時間と重なると、最悪、エレベーター運転中に停止し、閉じ込められてしまう危険性があるので、一概にはいえない、と言うことでした。これも、現地での計画停電の実施次第と言うことになります。
 あと、ガソリンの問題もありますね。もちろん、電気で走る電車もそうですが、地方ではディーゼルカーと言う、重油で走る車両もあります。そうすると、このガソリン不足の昨今、運行できないという路線もあるようです。
 
 車いすを利用した移動が、この震災時にどこまで可能かどうか、私にも分からない部分がありますが、たとえば、私が地震発生3日目に、千葉から恒例の母を千葉に避難させるために仙台入りしたときの様子を個々で少し。
 ルートは、千葉県の我孫子からJRで羽田空港→山形空港→タクシー→仙台実家→山形空港→羽田空港→JR→我孫子、というルートを通りました。飛行機の臨時便、無事乗れるかな…、と思ったら、それ以前に、まずは常磐線が松戸までしか動いてない!結局、我孫子から松戸まで5時間歩きましたよ~。そこから本数が減らされて混雑している常磐線に乗り、羽田からはキャンセル待ちが298番で、その日は乗れず。羽田近辺に1泊して再度キャンセル待ちの列に早く並ぶために4時に羽田空港へ…。そして、昼の便に乗ることができ、山形空港からタクシーで仙台入り。そのタクシーに母を乗せ、山形空港へ戻り、1泊。そして、翌日の飛行機で羽田へ…。
 あまりにも非常時で、参考にならないかもしれませんが、ひとつ言えることは、いくら高齢の母と一緒と言っても、乗車時の配慮はしてもらえても、チケットを手に入れる配慮はしてくれないということ。もちろん、みんな必死で並んでるし、早く故郷に行きたいしで殺気立ってる。でも、そのために費やすエネルギーが余計にかかる人がいるということを、もう少し配慮してくれる余裕があるといいなあ、と感じました。
 まあ、なんとか車で下道でいくことも考えたんだけど、ガソリンは片道分しかないわけで、現地の仙台でガソリンを補給できなかったら帰ってこれないと思ってやめました。そうしたら、案の定、仙台ではガソリン不足でスタンドに長蛇の列!どのスタンドが開店するか分からない状態で、でも開くかもしれないと思って並ばなければならない状況。途中立ち寄った、車いすを使って生活している知人は、灯油もガソリンも買えずにつらい…、と話していました。
 非常時の支援のあり方を、落ち着いたらもう少し考えて見る必要があると思います。

 以上、久しぶりの文章で、まとまりがなくすみません。とりあえず、私は元気です。皆さんも、それぞれの場所で、それぞれの震災を受け止められたことと思います。元気に、希望を失わず歩いて行きましょう。共に-。
    
                                 ハンディマップがったん作成委員会 代表 吉田二郎


2011年1月16日(日)「新年のご挨拶&九州JR折尾駅について」

 新年明けましておめでとうございます。今年もよろしくお願いします。
 …といいつつ、すでに1月も折り返し地点…。元気でがんばっていきますよ~。
 昨年末からいろいろと情報をバスさんからいただいておりましたが、九州・福岡県・JRの折尾駅と中間駅の情報を更新しました。遅くなってごめんなさい!
 あと、蒔田さんからも、折尾駅の情報をいただいていました。こちらも大変掲載が遅くなり、お役に立てるかどうかわからない部分もあるのですが、折尾駅が地元の方々に愛されていることが伝わってくる記事ですので、ご覧いただければと思っています。12月25日付けの朝日新聞です。http://homepage3.nifty.com/orio/

<蒔田さんからのメール>
12月28日(火)、JR九州に、「折尾駅舎を移動させ、仮駅舎として保存活用する」要望書を提出してきました。
内容は、
◆ JR九州の手で残すことは難しい。
◇ 駅舎保存は、市民と住民に任せている。
◇ 住民が駅舎を保存しようという機運を高め、
  北九州市がその気になれば、実現は可能!
いろいろ課題が見つかりましたが、可能性は0%ではありませんでした。今後どのようにしていくか検討したいと思います。

蒔田さん、お元気ですか?遅くなって本当にすみません。またお会いして、いろいろお話をしたいです!


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