同じだけど違う、違うけど同じ…。

  −「バリアフリー」と「共用文化」―

                    泉 泰行(福祉文化工房「とんとん」主宰)

 同じだけど違う、違うけど同じ…。これは、僕から吉田君に、そしてこの本を共有しながら旅を続ける皆さんに送る僕からの応援の手紙です。
 吉田君と初めて会ってから、もう7年になります。僕は吉田君の「車イスマップ」を見て、吉田君は僕とその仲間たちが作った北欧見聞記「車いすで自由に旅行のできる社会」を見て連絡を取り合ったのがきっかけです。その後、何回か直接会う機会はあったのですが、基本的には「文通」で交流を続けてきました。ネットワークがどうのこうのと言われる昨今ですが、僕と吉田君をつないできたものは極めて古典的な手段なのです(笑)。
 最初に吉田君の「車イスマップ」を見た時に、(僕とアプローチの方法が似てるなあ)と思いました。後で知ったのですが、詩や音楽などによって表現するところも似ていたりして…。特に、「ゆっくりでも確かな歩み」を大切にする部分と「遊び心」を忘れない部分は大きな共通点でしょう。
 当時は20歳を少し過ぎたばかりだった二人も、もう限りなく30歳に近づき、吉田君は養護学校の教諭、僕は自治体の職員として、それぞれの道を歩んでいます。今回は、この7年の歩みを振り返りながら、僕が研究をしている「バリアフリー」とその結果として生まれた「共用文化」という考え方について書いてみようと思います。

 今回の本のタイトルが「車イス」から「ハンディ」に変わったことでも分かるように、この7年でまちづくりのあり方は随分変わったというのが実感です。僕が「車いすで自由に旅行のできる社会」という本を作った7年前には、少なくとも「車いす」という言葉を出さなければ分かってもらえないという雰囲気がありました。
 当時、僕は「ベビーカーの視点」と「よいところさがし」が、日本におけるまちづくりの具体的なアプローチとして有効であると語っていました。現実に車いす利用者でない僕が車いすについて語るということに限界を感じていたのに加え、北欧でベビーカーの圧倒的な多さを実際に見たことが「ベビーカーの視点」を持った理由です。
 「よいところさがし」の必要性を感じたのは、こんなエピソードがあったからです。皆さんは誘導点字ブロックというものを御存知でしょうか。視覚障害者の方の移動がしやすいように設置されている黄色い板です。この誘導点字ブロックは世界に先駆けて日本で普及したものなのですが、北欧から帰ってきていろいろ話を聞くと、「誘導点字ブロックが普及しているというのは日本社会がやさしくない証拠。北欧社会はやさしいから、誘導点字ブロックがなくても安心してまちを歩ける」と何人かの人から言われました。(おいおい、自分たちの社会が生み出した「よいところ」まで無理に「悪いところ」に変えなくてもいいじゃない)と、その時思ったのです。「よいところさがし」にこだわった背景にはこうした自らの社会が創造してきた文化を軽視する風潮への危惧がありました。
 こうして、「ベビーカーの視点」と「よいところさがし」を基本に、旅行などに行った時にこまめに写真を撮っていきました。そうした営みの中で深く考えたのは、日本文化とまちづくりとの関係です。日本には寺や神社などの階段の多い文化財が多く、住宅なども「畳の文化」を基本としています。果して、この日本で北欧のようなまちづくりは実現するのだろうか、と途方に暮れたのです。
 そんな時に、「バリアフリー住宅」というものを見る機会に恵まれました。そこでは部屋と部屋との間の段差をなくしたり、廊下の幅を車いすが通れるようにしたり、手すりがつけやすい構造になっていたり、滑りにくい床や広い浴室など車いすでの生活が可能なものになっていました。何より僕が感心したのは、畳の部屋やふすま、障子といった日本建築の様式を活かしていたところでした。ここにこれからのまちづくりのヒントがあると思ったのです。

 こうして、「バリアフリー」についての研究を本格的に始めるようになりました。バリアフリーというのは、高齢者や障害者などすべての人が社会参加や自己実現を図っていくうえで障壁となっているものを取り除き、自らの意思で自由に行動できる生活環境や社会環境を整備していくことです。障害者と健常者との間の「敷居はずし」を行い、すべての人が共に生きる社会を作るノーマライゼーションという目的を実現するための具体的な手段であるとも言えるでしょう。
 バリアフリーという言葉はまだ新しい言葉ですが、段差をスロープ(傾斜)に変えて建物に入りやすくすることはその代表的な例です。スロープはもともとは車いすの方が通れるようにという配慮で設置されたものですが、ベビーカーや荷物を持った人などにも便利なものになっています。
 また、テレホンカードの片側にある切り込みなどもその一例。この切り込みはもともと視覚障害者の方への配慮として発明されたものなのですが、すべての人にとって便利なものとしての評価が定着しています。
 「ベビーカーや荷物を持った人などすべての人にとって便利」という視点の興味深いところは、従来の「福祉」や「障害」のイメージとは明らかに違うということです。今まで日本では、「障害者専用」という言葉に代表される「専用」の積み重ねでまちづくりが進んできました。これは、歴史的な経緯から言えば当然のことであり、今後も福祉機器など一人一人の状態に応じた「専用品」の意義が薄れることはなく、ますます重要になっていくでしょう。
 ただ、まちづくりにおいては、「専用」の矛盾が生じてきたことも事実です。車いすの人だけが専用スロープで建物の中に入り、専用エレベーターで二階に上がり、専用トイレを利用するというのは、「すべての人が共に生きる社会を作る」という目的を考えると、どこか不自然なのではないでしょうか。また、駅に設置されている障害者専用エレベーターに車いすの方が閉じ込められるといったアクシデントや、物置きと化している障害者専用トイレを見聞きするにつけ、設置者の意識の問題と同時に、「専用」そのものの限界を感じずにはいられなくなったのです。
 こうした現状を前提として、「共用文化」という言葉を使いながら、まちづくりを考えるようになりました。

 この「共用文化」という考え方は、「バリアフリー・デザイン」を一歩進める形で定義付けられた「ユニバーサル・デザイン」と相通じるものです。さまざまな人がごく自然に利用できるようにあらかじめ工夫をしておくことが重要な点と言えるでしょう。「共用文化」や「ユニバーサル・デザイン」に基づくものというのは、その内容が洗練されればされるほど、一見して配慮がなされていることが分かりにくくなるという特徴があります。先ほど紹介した建物のスロープにしても、最初から平坦にして自動ドアにすれば立派なバリアフリーです。そういう意味では、「共用文化」というのは気付かれないことに意義がある忍者のような悲しい性を持った(笑)ものなのです。
 では、「共用文化」の視点で駅を見てみるとどうなるでしょうか。きっと、この本をお読みの皆さんの方が詳細に分析できると思いますが、少しだけ例を挙げてみると…。エレベーターがないというのは論外ですが、障害者専用エレベーターも障害者専用トイレも不自然ということになるでしょう。車いす対応エスカレーターも改善の余地があると判断できます。また、列車の中に入るさいに、ベビーカーをそのまま入れることが困難な列車の設計にも問題があると言えるのではないでしょうか。
 最初に「まちづくりのあり方は随分変わった」と書きましたが、すべての人の社会参加がこく自然に実現する「共用文化」という視点で見ていけば、「移動・交通」という人間にとって非常に大切な営みの中心地である駅でさえ、まだまだ課題がたくさんあることに気付かされるのです。
 ここまで読んでこられると、「じゃあ、改札口もなくしたらいいじゃないか」と思われる方もおられるかもしれません。確かに、北欧をはじめとするヨーロッパの駅の多くには改札口はありませんし、改札口が物理約障壁になっていることも事実でしょう。
 でも、「共用文化」の視点では改札口は残すべきだと考えます。なぜなら、改札口はそれ自体が貴重な文化だからです。改札口がドラマの別れや再会の場面に頻繁に登場するのは偶然ではなく、そこに日本国有の情緒的な文化があるからなのではないでしょうか。
 では、どうするのか。改札口の幅を広げるなどの方法によって、どんな状態の人であってもごく自然に同じ改札口を通れるようにすると共に、切符の識別が簡単に出来るような工夫をすることを提案したいと思います。バリアフリーが大切だからといって、既存の文化を何でも壊していいわけではなく、文化を土台にしながらバリアフリーを実現することこそが大切なのではないでしょうか。「共用文化」をイメージする時に、この改札口の例を思い出していただければと思うのです。

 「車いすの視点」と「ベビーカーの視点」、「よいところさがし」と「悪いところさがし」、「バリアフリー・デザイン」と「ユニバーサル・デザイン」、「専用文化」と「共用文化」・・・。みんな、最後に到着したいと思っている駅は同じで、乗る列車が違うだけです。僕は「共用文化」という列車に乗り、目的の駅を目指します。できれば一人でも多くの皆さんと同じ列車に乗って、楽しく旅をしたい。でも、一番の願いは、目的とする駅で皆さんと再会し、到着の喜びを分かちあうことです。
 この本は、僕と吉田君にとっては途中駅なのかもしれません。そして、再び始まる長い長い旅に向けた準備をする場所なのでしょう。

 同じだけど違う、違うけど同じ・・・。これは、僕から吉田君に、そしてこの本を共有しながら旅を続ける皆さんに送る僕からの応援の手紙なのです。



―泉 泰行(いずみ やすゆき)―

 1968年、愛媛県生まれ。1990年に北欧旅行の体験をまとめた冊子「車いすで自由に旅行のできる社会」を発行。その後、音楽活動やエッセイ・小説執筆などの活動を展開し、1994年には学生時代の子ども会育成サークルでの経験を題材にした中編小説集「僕のボランティア漂流記」(人の森出版)を発行。1995年に自治体内で自主研究サークル「バリアフリー・クラブ」を結成し、1997年3月に共用文化を基本理念とした政策提言報告書「バリアフリー・ビレッジ報告」を発行。同年6月から「共用文化」と「あそび文化」の創造を目的とした福祉文化工房「とんとん」の設立に向けての準備を行っている。

 現在、日本福祉文化学会会員、愛媛県職員。


「お断り」

 この文章は、1998年に発行された「ハンディマップがったん」に掲載されたものを、今回再録したものです。表記に時差がありますが、内容の本質は現在でも充分通用するものであり、バリアフリーの本質を的確に表現してあると考え、そのままの文章を掲載してあります。
 なお、この原稿を執筆してくださった泉泰行さんですが、1997年10月に急逝されました。ご遺族の了解を得て、今回再録させていただいております。あらためて、ご冥福を心よりお祈りいたします。

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