住みやすい街、地図作りの取り組みから
                     〜心のバリアフリーヘの取り組み

     吉田二郎/ハンディマップがったん作成委員会

1.はじめに

 今、あなたが住んでいる街は、歩きやすいですか。知らない街は、どうでしょう。バリアフリーという言葉も、よく聞かれるようになりました。自分の住む街に、バリアを感じる人たちが、たくさんいます。この街にバリアがあるのか、住んでいる私たちにハンディがあるのか。どう感じるかは、考え方次第で答えは変わってきます。今回は、私が13年間福祉マップ作りに携わってきて感じたことを、述べてみたいと思います。

2.「ハンディマップがったん作成委員会」について

 今から13年前、旅が好きで全国を歩いていた私は、ふと「今、車イスを使って旅ができるのか?」と疑問を持ち、全国の駅を調べはじめました。仙台版、宮城版、東北版と作成し、1998年には「ハンディマップがったん作成委員会」を立ち上げ、全国137駅を掲載した全国版を出版しました。主要駅について、車イスを使って利用できるトイレやエレベーター、車イスタクシーの有無など、駅に「ハンディ」を感じる人たちが役立つ情報を掲載したものです。今後、ホームページの公開も予定しています。最終的には、全国900駅の情報を掲載する予定です。

3.駅とバリアフリーについて

 調査を続けているあいだに、バリアフリーという考え方が、日本でも随分広まってきました。街にある障害(=バリア)を取り除くことで、車イスをはじめ、ベビーカー、お年寄り、妊婦、その他多くの障害を感じる人々が、もっと暮らしやすくなるのではないか。そういった視点から、生活や社会環境をもっと見直して考えていこう、という考え方です。段差をスロープに変えて建物に入りやすくする、テレホンカードの片側にある切り込み、シャンプーのボトルにあるギザギザなどその代表的な例といえるでしょう。そのアイデアは、車イスを使用している人や、視覚に障害がある人たちへの配慮として発明されたものですが、すべての人にとって便利なものであるという評価が定着しています。
 では、車イスで生活している人たちにとって、街に出たときにどんなことがバリアになるのかを、調査で感じたことを交えながら見ていきたいと思います。

(1).「トイレ」

 外出した際に重要になってくるのが、まずはトイレでしょう。数は増えてきたとはいえ、内容、数、共に、まだ不十分なものも見受けられます。どのようなトイレが望ましいのかを簡単に述べてみたいと思います。
・洋式のトイレであること。
 〜和式ではしゃがめない場合が多いです。
・車イスが回転、もしくは余裕をもって入室できるスペースがあること。
・おむつを換えることができるベッドがあること。
 〜できれば大人にも対応できる大きさが望ましい。荷物を床に置かずにすむようにもなるでしょう。
・公共の場所には、必ず一つは分かりやすい場所に設置されたものであること。
 〜最近は、新幹線だけではなく在来線の特急や普通列車にも設置されるようになってきました。
・車イス用トイレは男子トイレと女子トイレの真ん中に設置されたものであること。
 〜調査中、車イス用トイレが時々、男子トイレの中にしかなかったり、女子トイレの中にしかなかったりするケースがありました。まさか「車イスだから、大丈夫。分かってもらえますよ」と設計したわけではないでしょうが、私だって女子トイレの中にしかないからといって、入っていくのは抵抗がありますし、その逆でもそうでしょう。設計する際に「自分だったら……」と考えるだけで随分違うと思うんですが・・・。 関西では、男女のトイレにそれぞれ一カ所ずつ車イス用トイレのある駅が結構多く、関東に住む私にとって、カルチャーショックでした。でも、よく考えたら当たり前のことなんですけどね。せめて一カ所なら男女の真ん中に・・・と、言いたいわけです。

2).「垂直移動」

 車イスで移動する際、バリアとなるのが「垂直移動」です。駅舎の橋上化、地下化が進むのと並行して、垂直移動を克服する方法が考えられてきました。そのいくつかを次に紹介したいと思います。、

・階段

 垂直移動の原点と言えるでしょうか。階段の下に立つと、思わず、は〜、とため息が出ます。この、線路を渡るという行為は、鉄道の抱える永遠の課題と言えるでしょう。それを克服するために、以下の方法が考えられてきました。まさに、人類の知恵、ですね。






・自由に使えるスロープ

 ホームの端をスロープにし、線路を横断しやすくする方法。昔は全国どこの駅でも見ることができましたが、小荷物輸送の衰退、駅舎の橋上化、地下化、降雪時の線路の除雪の難しさ、無人駅や鉄道量の増加などにより、確実に姿を消しています。安全上、線路横断時には駅員の付き添いが必要な駅が多いですが、工費は安く、駅員の肉体的負担、利用者の精神的負担も少なくて済みます。四国では、主要駅にスロープを積極的に活用している例が多く、今後の復権を期待します。

 小さい駅などでは、自由に使えるスロープがまだ残っており、駅員さんに断らなくても利用できます。ただし、キャスターが線路に落ちないよう、注意が必要です。




・業務用スロープ

 
このスロープは、業務用です。駅の構内を通ったり、職員用通路を通ることが多く、また、列車量が多く、線路横断時の安全面から、駅員さんの付き添いが必要です。しかし、階段や、車いす対応エスカレーター、エスカルなどよりも、気持ち的にラクに利用できると言っていいでしょう。周囲の人の注目も浴びずにすみますしね。





・車イス専用階段昇降機(チェアメイト)

 キャタピラの付いた台車に車イスを乗せ、階段を昇降するもの。客観的にみて、特に下りは恐怖感を抱く人が多そうです。また、利用には事前に連絡が必要ですが、使用方法を習熟していない駅員も多く、結局人力で昇り降りするなんてことも。使用中は周囲から注目を浴びるので、精神的負担も大きいです。








・車イス専用リフト (エスカル)

 階段の側面に設置したガイドレールに沿って、昇降する箱型の昇降磯。かなり大型で、使用中に付き添う駅員の多さ、警報音など、かなりの注目を浴びることが予想され、精神的負担は前述のものと同様大きいです。また、利用には事前に連絡が必要です。








・車イス専用エスカレーター

 近年、首都圏を中心に急速に普及しているタイプ。エスカレーターの板が3枚水平になり、昇降するもの。エレベーターに比べ、比較的安価に設置でき、普段は通常のエスカレーターとして利用できるなど、一見便利に感じますが、使用中は他の人の利用はできなくなるため、人の流れを止めてしまい、使用中は周囲から注目を浴びるので、精神的負担も大きいです。また、習熟した駅員が少ない、事前連絡が必要、電動車イスのなかには利用できないタイプがあるなど、使い勝手はいま一つ。


 前述の3つは、あくまでも車イス専用であり、その他の交通弱者と呼ばれるお年寄りやベビーカー、妊婦等の利用はできません。これらの施設が完成することによって、自由に使えるエレベーターの設置が延び、バリアフリーな環境の実現は遠のく可能性が大きいと言えます。

・業務用エレベーター

 昔、荷物用に使われていたものや、新幹線や在来線の主要駅にあり、事前に許可が必要なエレベーターで、事実上車イス専用です。前述したものの中には、かなり老朽化しているものもあり、今後の動向が気になるところです。業務用エレベーターも結局、事前に連絡が必要であり、車イス以外の利用はできないため、その他のバリアを感じる人たちにとっては、何の解決にもなつていないといえるでしょう。







・自由に使えるエレベーター

 最近、新・改築した駅舎を中心に普及しており、車イスをはじめ、その他垂直移動にバリアを感じている人たちにとって、完成型といえるでしょう。バリアフリーなエレベーターの条件は、誰もが、事前連絡も、駅員の付き添いも必要とせず、分かりやすい場所で、いつでも利用できること。まさに、デパートのエレベーターの感覚ですね。この、当たり前とも言えることを実現するために、とても長い年月がかかってしまいました。本来、鉄道会社はサービス業のはず。私たち利用者も、感謝の心はもちろん必要ですが、きちんとお金は払うのだし、必要以上に頭を下げる必要はないと思うのです。デパートに「エレベーターを使わせてください」と2日前に電話する人はいないでしょう。それがなぜ、鉄道だとだめなのか。なぜ、日本の首都、東京駅でもそうなのか。バリアフリーという言葉をヒントに、今後みんなで考えていかなくてはいけない問題ではないでしょうか。「車イスのための・・・」から、「バリアを感じる人のための……」と考え方が少しずつ変わっていくといいなと思います。その施設を必要としている人がいる、そのことに多くの人が気づいていくことが、今必要なのではないでしょうか。

4.共用か、優先か

 さて、ここまで専用ではなく共用へ、という考え方の必要性を話してきましたが、共用化を進めていくなかで、あらたな問題も生じてきました。バリアを感じていた人たちの利用が増えたのはいいのですが、1つしかないトイレやエレベーターに利用が集中して必要性が高いと思われる車イスで生活している人たちが利用しつらい状態が生じてきました。今後は「共用」という考え方だけではなく「優先」という考え方も必要となってくるでしょうし、それだけ需要があるということでもあるのですから、増設という考え方も検討されていいと思います。また、多くの人にバリアフリーについて考えてもらうきっかけとして、シンボルマークを工夫したり、法案を整備したりと、今後も多方面からこの間題を考えていければと思います。

1).バリアフリーのためのシンボルマークについて

 現在普及している車イスマークは、1969年に国際障害者リハビリテーション協会によって制定され、現在は街の多くの場面で見かけるまでに普及しました。多くの人が「車イスを使って生活することの大変さ」に気づくきっかけにもなり、一定の成果をあげてきたといえるでしょう。その一方で、マークとして事イスが前面に出てしまったために、「専用」という新しい壁ができてしまい、自分たちの問題として考えることが難しくなってしまった側面もあるように思うのです。
 何かに気づく、何かを考えるきっかけとして、シンボルとしてのマークはこれからも有効だと考えます。ですから制定から三〇年近くたった今、もう一歩前へ進むために、バリアフリーという考えを大きく取り入れた新しいマークを提案したいと思います。多くの人が街中のトイレやエレベーターに貼ってあるこのマークを見て、「大変なのは車イスを使っている人たちだけではなく、多くの人がこの施設を必要としているんだな」と気づき、考えるきっかけになればと思います。そして、「共用」や「優先」という考えが深まり、車イス専用リフトや車イス専用エスカレーターなどの中途半端な存在に、多くの人が気づいていくでしょう。そして、ことさら「バリアフリー」という言葉を口にしなくても、こうした身近な場面から、バリアフリーの考え方が社会に溶け込んでいくのだと思います。

2).バリアフリー法案の制定

 バリアフリーな術づくりを具現化するため、今年五月に「交通バリアフリー法案」が国会で成立しました。この法案により、一日の乗降客が5000人以上の駅には、バリアフリー化が義務づけられるようになります。5000人という数字にこだわらず、近くに病院や公共施設があれば、その対象に入れて、検討して欲しいと思います。
 しかし、現実には鉄道各社にしても、すべての駅が新幹線や山手線の駅ではないのですから、費用対効果でいえば二の足を踏んでしまうことでしょう。経費をすべて捻出することも、多少無理があるのかもしれません。ただ、鉄道会社サイドで忘れて欲しくないことは、公共性が強いとはいえ、駅は自社の大切な商品のはずです。どうすれば人が集まるのか、知恵を絞って頂きたいと思いますし、市町村などの各自治体は、街の玄関駅として位置づけ、活性化していく方策を考えていくべきでしょう。
 以上の点を踏まえて考えていくと、駅を鉄道会社と市町村との二者で運営し、地域のコミュニティの一つとして育てていくことが有効でであると考えます。具体的な公共施設として、図書館や体育館、ホール。金融機関や市町村の出張所、老人ホームや保育所などの施設、その他たくさんの複合施設が思い浮かびます。その複合施設にエレベーターや車イス用トイレがあることは何の違和感もなく、需要も多いでしょう。バリアを意識することなく、自然に集まれる空間が増えていくことを願っています。

5.おわりに

 駅に車イスで使えるトイレがある。今ではわりと当たり前の風景ですが、10年前は特別な出来事でした。まして自由に使えるエレベーターであるとか、列車内の車イス対応トイレなど、あれば助かるとは思いつつも、実現するなどと真面目に考えたことはなかったような気がします。
 この国では、使う人、つくる人という役割が、きれいに分かれているように思います。使う人が「不便だ」「こうだったら」と思っても、その声が束になり、かつ、つくっている人の耳に届き、さらにある程度の時間を費やさねば、施設は変わりませんでした。国際障害者年がスタートだとしても、今年でもう20年、です。
 しかし、言い換えれば、それだけの時間が、考え方を変える準備期間として必要だったのかもしれません。建物はすぐ変えることができても、人の心を変えるのにはきっと時間がかかるのでしょう。「バリアフリー」という言葉が、多くの人の心をつかみ、曲がりなりにも法案もできました。テレビドラマでも「障害」というデリケートなテーマを、さらりと取り上げていたり。
 いま、人々の心が動いています。それも、つくり手側の心が。これからものすごいスピードで、世の中が変わっていくでしょう。その時々に、軌道修正をしながら、住みやすい街をつくっていくことができればと思うのです。いろいろなハンディを抱えてきた私たち世代が、体験してきた多くの出来事。いつの日かバリアが解かれ、日常に溶け込んでいくことによって、次の世代の子どもたちに「なにが大変だったの?」と聞かれる位、当たり前の出来事になる日もそう遠くないのかもしれませんね。
 バリアフリーとは、私たちの暮らしの根っこに大きく流れている考え方です。これを抜きにして、これからの高齢者社会は語れないでしょうし、それぞれの生き方や価値観も、大きく変えていくでしょう。人々の考え方が、時間をかけつつも自然に変化していくことこそが、大きな力になることを私は信じています。

 ○「教育と医学」(編集・教育と医学の会/発行・慶応義塾大学出版会)2000年12月号の、「特集・心のバリアフリー」に掲載された、本会代表の論文を若干の加筆をして、転載したものです。

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