いろいろなバリアフリーのカタチ
「バリアフリー」と一口で言っても、ひとそれぞれに考え方や感じ方は違う気がします。この他のテーマでもそれぞれにバリアフリーについて語られているので、それぞれ参考にしてください。
「バリアフリーが大事なことは何となくわかった。じゃあ、実際何が困っているんだろう?」と、関心を持ってくれる人が増えている今だからこそ、知ってもらうことからはじめることがとても大事であるように感じるのです。
2005年6月26日(日)「自立生活をするための5つのバリア」
6月22日の日記について、やまなさんからメールを頂いたので紹介しますね。
『車いすで子供達が成長し、自立生活するのは結構たいへんです。物理的バリアーの他に
制度的バリアー:就学、就労、地域でのきまりなど
情報的バリア−:得られる情報が制約される
意識のバリア−:みんなの心にある差別や偏見
無意識のバリア−:無関心、無知による悪意のないバリア−や、やり方が間違っている親切、これは案外きつい!
いろんなバリアーと戦ってたくましくなって欲しいのですが、心が固くなったり、自分のやり方はヘンかもと自省するゆとりが無くなっている障害を持った人を見るのは、これまで周りに恵まれてこなかった環境を思ってやりきれ無さが起ります。
1、
横浜市役所で小型の手動車いすの青年に会いました。介助なしで単独なので、とても辛そうなので声をかけてしまいました。
「小型の電動で随分便利なものが手に入るようになって来てるよ。 手動では行きたいところも我慢したり、物凄くたいへんだったりで、一番来易いはずの市役所でもエネルギーを使い過ぎてクタクタ状態になったりするでしょう。便利な機具は上手く使って、もっとやりたいことにエネルギーを使ってみませんか。」「僕は自分の主義で手動にこだわっているので、余計な事を言わないでくれ。 電動なんか使うとい身体が衰える。」と怒られました。
2、
博多の地下鉄で手動車いすに、両側にバックミラーを取り付け、片方だけ足のせを上げて、地面を片足で蹴り続けて後ろ向きに移動していく変なおじさんに会いました。(想像できますか?)ちょっとビックリ!「何でそんなことしてるの?たいへんでしょう。」周りの人もちょっと迷惑かも。「機能が残ってる片足を鍛練しているのだ!」なんか得意そう?!
3、
厚生省の補装具給付の考え方「両手の機能が残っている障害者は、手動車いすが漕げる。電動を使うと身体機能が衰えるので良くない。」従って下肢障害者には電動を給付しないのが全国的に基本的運用になっている。
社会人として自立生活をするために一番基本的なことの一つが「一人で、介助無しに」外出できることだと考えています。そのために交通バリアフリー法やハートビル法が制定されているのです。物理的バリア−だけでも出来るだけ無くしようという立派な建前です。最近、子供の時からの障害者は、疲れてくるのは当然なのだと分かってきました。車いす歴3年しか経っていなくても、「ありがとう」「すみませんが」を言い疲れたぞ!ってふと思うことがあるようになりました。ずっとそんな境遇の人をどれでけ理解出来ているのか自信がありません。心が固くならないような環境であって欲しいものです。』
やまなさん、メールをありがとうございました。
でもほんと、自立する、と言うことって、どういうことなんでしょうね。世の中にはいろんなバリアがあって、その感じ方も、その人その人で違ってくる。障害だって、人それぞれ違うわけで。あとはその人の生き方の問題になるとは思うんだけれど、あまりにも、生活を<選択>できる場面がこの社会は少ないんじゃないかと思う。もしくは選択できる環境が整っていても、その情報を知ることができずにいるんじゃないか。
いつも思うんですけど、このホームページをやっていて、「お前に何がわかる」と思われているんじゃないかなあ、というのがすごく気がかりです。というか、そういわれても「わかりません」というしかないんですが。基本的にそのひとのことは、その人にしかわからない、と言うのが、私自身の考えなんで。でも、そこで想像したり、理解しようとすることはできるかな、と。情報を共有したり、交換することで、少しは風通しがよくなるんじゃないか、と言う気持ちで、ずっとこの活動を17年やって来ました。
やまなさんの書いてくれたように、世の中にはたくさんのバリアがあり、そのバリアを感じながらみんな一生懸命生きている。そんな中でいろんな情報がクロスして、必要なときに必要な情報を手に入れることができる、そんな社会が実現できればいいなあ、と。そのためには、いろんな人がお互いのことを分かり合わないとだめだし、そのための努力をしていく必要があると思う。上記の1〜3のケースについても、自分自身驚いたし、でも、あり得ることだな、と思った。だけども、決して社会のせいにすることなく、もっといろんなアイディアがあるよ、と言うようなことを、もっともっと「がったん」を通じて伝えていきたいと思っています。なんだか、長くなってしまい、論点もずれてしまったかも。済みません、今日はこの辺で。
2005年6月24(金)「<自立を支援する>ためのバリアフリーに」
数日前と同様、今日も都合があって電車通勤。でも、考えてみると、世の中の人って、電車通勤の人って、すごく多いのかも、と思ったんですね。自分が車通勤なので、ぴんと来ないのもあるんですけど。というか、大部分が電車通勤、なのかな?まあ、電車通勤と言っても地域によって様々だとは思いますが。混み具合とかね。ラッシュの混みようと言ったら、すさまじいものがあるところもあるだろうし。「ああ、今日は電車通勤だなあ。」な〜んて、気楽に喋ってると怒られちゃうかも。
で、通勤スタイルとして電車通勤を選んだ場合、じゃあ、自分が車いすで今の時間帯に通勤できるか?といえば、難しいでしょうねえ。ラッシュの混み具合はそんなにひどくないし、自由に使えるエレベーターも一部分あるけれど、あくまでも一部分で。1カ所だけ、車いす対応エスカレーターを使わなければならない駅がある。さすがに毎日朝と帰りに、駅員さんを呼び止めて「済みませんが、使いたいんだけど」という勇気はないなあ。というか、逆に駅員さんから言われるでしょうね。「毎日は勘弁してください」とか、「ラッシュ時間帯は避けてください」とか。でも、それって使えないってことだものねえ。駅員さんの力を借りなきゃ使えない設備は、限りなく階段と同じだと思っていいのかも。言い過ぎか。でも、日常的には使えないってことは言えると思う。たまの旅行はいいかもしれないけれど、生きていくってことは毎日の日常の繰りかえしなわけで。もっと、バリアフリーの考え方を変えて行かなきゃ行けない時期に来ている気がします。「お世話する」ためのバリアフリーではなく、「自立を支援する」ためのバリアフリーであるべきではないか、と。これって、バリアフリーという言葉を「ボランティア」や「福祉」という言葉に置き換えることもできるだろうし。一歩前へ進むために、考えて行ければと思う今日この頃です。
2005年6月22日(水)「バリアフリーの基本は、めんどくさくないこと!?」
昨日今日と仕事で子どもたちとお出かけ。なんだかたくさんいろんな乗り物に乗りました。電車とバスを乗り継いで、ああ、結構ヘビーだなあ、と。全部の駅にエレベーターがあるわけではないし。あと、バスに乗り込む、車いすを畳む、車いすを開く、バスから降りる、と慌ただしい。車いす対応エスカレーターは、駅員さんを呼んだり実際に操作したりで10分以上かかったりするから、上りは車いすを畳まずにそのまま後ろを押さえて乗車!下りは怖いので、車いすは車いすで畳んでえっちら降ろして、本人は手摺りにつかまり、ゆっくり降りる、と。
この手法はなんとか自分で歩行もできて、長距離は車いす、という場合に可能だけれど、車いすでしか移動手段がないときは困っちゃいますよね。やっぱり中途半端な設備ではなく、エレベーターが欲しいなあ…。基本は「めんどくさくない」こと。「特別に何か努力しなければ利用できない」ということではなくって。うん。
あと、感じたのは自動改札の幅!車いすが通れない!なので自動改札の前で車いすから降りて、本人は歩いて通過し、その後を車いすを畳んで私が通り、通過したらまたまた車いすを開き、本人が乗る、と。乗り換え改札には有人改札もないし。有人改札があったって、他の仲間と一緒になぜ自動改札を使ってはいけない!?子どもたちはやりたいんだから。切符を機械にシュバッ!!て(笑)。東京の私鉄では、ひとつの自動改札は幅広になってる駅を随分見かけるようになったけれど、JRはなんか少ない気がします。
なんだかいろんなことを考えた二日間でした。
2005年6月14日(火)「話し合いの<渦>を作りましょう!」
おとといは車いすのことを話し合える場がもっと欲しい!と、なんだか駄々っ子のような書き込みをしてしまいましたが(笑)、自分自身まだまだ知らないことが多いし、もっとたくさんのことを知りたい!という気持ちが強いです。ただ、まあ、仕事にしろ、家族にしろ、日々が慌ただしく、そのことに気持ちのすべてを注ぎ込めないのがとても残念ですが…。
そんなことを考えていたら、タイムリーにやまなさんからのメールが。以下に紹介しますね。
『昨日、ある大学で福祉の講座をもっている先生と話しましたが、車いすについて少し違う視点があることに気付かされました。車いすが道交法でしか規定されていないのは問題ではないかの話をしている過程で、「手動車いすは完全に歩行者と同じだが、電動車いすはちょっと違うのでは」と言われるのです?
手動は歩行のための代替え手段である事は誰でも疑問の余地は無い、自分の力だけで走る事もできる。レーサータイプの車いすでぶっ飛ばしている人にすれちがってビックリした事もありますが。
電動はきちんと位置付けをして、使う人の身体機能や能力に応じて整理し直し、自転車などと合わせて公共交通機関の乗車を考えてはどうか。北欧のようにもっと誰でもが自由に乗車出来るが、占有スペースに応じて料金を徴集する。もちろん障害者は無料、高齢者はどうするか考える。歩道や専用区分についても考え直す。
議論を特別な人のためにせず、皆の問題の中で位置付ける方が良いと言う考えです。そうすれば、電動は時速6キロ以下で走れない問題も、欧米のような基準を考えるきっかけになり得るのではないだろうか?
「ハンディのある人だけの特別な問題にしない」と言うのはかねがね考えている事なのですが、、、、。今の一般的な考えとかなり違い、「自分の力で動かす身体機能が無い障害なので電動を使う」障害者側からどのような反応がでるかが問題です。
手動でも自力走行する人と介助してもらう人は同じか?
細かい異論は一杯あることでしょうが、本当の意味での自立支援とからめて、議論してみたいと思います。』
う〜む…。なるほどねえ。<電動>の福祉機器に関しては、もっと違った視点で捉えて、社会生活の中でもっと使いやすくなれるよう、議論の糸口が見えてくるのではないか、という感じでしょうか。いろんな人が身近な問題として考えることができるよ、と。一理あり、ですね。考える人を増やして行かなきゃ、とは感じます。広がりが、ない気がして。そうじゃないと、何が大変だ、とか、困っていると言うことが見えにくい。結局当事者だけが抱え込んでしまいがちな気がします。
ただ、生活していく上で、電動車いすでなければ移動できない人、または使用することで生活が著しく向上する人って、たくさんいると思うんです。その人たちにとっては、カラダの一部として、自然な形で使いたいという気持ちが強いのではないか、と思うのですね。
どちらが生活の向上への早道なのかわからないんですけど、何かしかの<渦>を作っていく時期に来ている、そう感じています。
2005年6月12日(日)「車いすのことを話し合える場がもっと欲しい」
以前、「車いす学会」みたいなものがあったらいいな、と言う話をこの日記でしたように思うんですけど、あらためて「車いす学会」という言葉で「google」で検索してみたら、その自分の日記がヒット(笑)。う〜む…。せっかくですから再録しておきますが。
〜「車いすについて考える場がないんじゃないか。」結局二人でいろんなことを話していて、これはいい!と思ったアイディアも、それを伝える場、考えを共有する場がない。「〜学会」とか「〜シンポジウム」という集まりはいくつもあったとしても、<車いす>に関わるものはないんじゃないかと。いろいろネットで検索はしてみたんですけどもね。車いすに関わる問題はいろいろあると思うんです。「がったん」でも取り上げている<移動>の問題もそうだし。ただ、車いすそのものに対する問題について考える場が、今ないんじゃないか。使い勝手が悪いこともあるでしょう。こんな車いすがあったら、という意見もあるでしょう。そういう<生>の声が合ってもいいんじゃないかって思うんですよね。だって、他のいろんな製品だって、そういういろんなユーザーの声を反映しながらよりよいものになっていくと思うんです。車イスだってそういう仕組みがあれば、もっと変化が早い世界かなって。そのためにはいろんな声を集める場が欲しい。わかりやすい形での場が欲しい。
今、車いすを取り巻く環境が大きく変わってきていると思うんですね。ここ10年がバリアフリーという総論について話を進めてきたのであるとしたら、これからの10年は各論としての「車いす」について話し合う場が必要なんじゃないか。そんなことを思うのです。移動手段としての車いすそのもののこともそうだし、車いすを使って生活をすると言うことはどういうことなのか、とか。
もう電動にしても手動にしても、ひとことでは説明できないぐらい広がりがあり、そこにハンドル型という新しい考え方も出てきている。ユーザーとしては、明らかに選択の幅が広がってきているはず。なのに、今ひとつ普及しないのはなぜか。行政の壁か、情報の少なさ、なのか。いいものをたくさん知りたい。伝えたい。共有したい。そして、一つの渦を作りたい。そうすることで、もう少し過ごしやすい社会ができるんじゃないか。そんなことを今考えているところなのです。
2005年5月7日(土)「声、出していきましょう」
広島県福山市のたまさんからメールをもらいました。
「尼崎の事故・地震の避難所生活…他人事でありませんねぇ。今住んでいる場所から避難所が遠いし車いす生活をしてる事を近所の人は知らないのでどうなる事か?名古屋の洪水の時も知人の一人は電動車いすが水没しエレベーターも止まり救助隊が来なくて仲間がボートで救出に向かったと聞いてます。ちゃんと震災を教訓にマニュアル作ったのに…。福山市は洋式トイレも少なくポータブルも15個しか予備がないので避難所なんて行けないしどうなるんかなぁ?支援法は改悪の方に向かってるし、社会的弱者はどんどん生活しにくくなってる様に思えます。介助を受けないと生活できない者からお金を搾取するなんておかしいと思うのですが、精神障害者も通院時に5%負担のおかげで薬をもらったり治療を継続する32条が廃止されそうで大変です。がったんさんもできる所から頑張ってみえてすごいと思いますがまだまだ在宅や施設に隠れてる人も、多い現実を多くの人に知ってもらわないと変わらんのかなぁ?」
みんなそれぞれの立場で、先日の尼崎の列車事故は衝撃を受けていて。そのことが、一般の列車事故(列車事故に一般もなにもない気がしますけども)と違って、いろんな問題を含んでいるのだと言うことを、あらためて実感しました。別に社会には、列車事故だけじゃない問題が山積みで。しかしながら、当事者じゃなければわかりにくい問題もあるわけで。多くの人に知ってもらうことの大切さを感じます。たまさん、声、出していきましょう。
2004年12月28日(火)「国土交通省<快適性・安心性評価指標>について」
共同通信の記事を見ていたら、国土交通省が22日発表した公共交通の「快適性・安心性評価指標」の結果が載っていました。それによると、首都圏の鉄道で、入り口からホームまで車いすでも行けるバリアフリー化された駅の割合が最も多いのは東急東横線で90・5%ですって。なるほどねえ。ただ、パーセンテージで表そうとすると、駅数の多い鉄道会社は不利かな?東武鉄道やJR東日本とか、ちょっとかわいそうな気もする。まあ、首都圏に限定してあるから、まあ、いいのか。ただ、東急さんががんばってるのは、わかります。続いて2位は小田急小田原線の84.8パーセント、3位は東急田園都市線の81.5パーセント。いつか「がったん」なりのお出かけランキングでもしてみようと思うんだけど。せっかく全線乗ってるのだし。でも、公平性に欠けちゃうかな。う〜む。
ちなみに、国土交通省の指標の基準は、以下のとおり。1.「やさしく利用できる」、2.「気持ちよく利用できる」、3.「分かりやすく利用できる」、4.「安心して利用できる」という4つの視点に立ち、全部で49の具体的な指標を提案したとのこと。
逆にバリアフリー化されてない、という駅の割合の少ない鉄道は、0%の都営地下鉄大江戸線、東京メトロの銀座線、有楽町線の3線とか。ん?でも、銀座線はともかく、大江戸線は全駅にエレベーターがあると聞いてたけど。でもすご〜く地下深く走ってるって言うから、それで前述の4つの基準にひっかかったのかなあ。よくわかりませんが。感じ方は人それぞれだし、地上から地下6階ホームまで移動するのに時間がかかっても、自由に使えるエレベーターが完備していればいいや、という人もいるだろうし。難しい…。
相変わらず、更新ペースがゆっくりですみません。
2004年11月2日(火)「電車通勤、車イスシュミレーション」
普段はね、千葉と言うこともあり、車通勤なんですね。で、今日みたいにかみさんが車を使うと言うときには、電車通勤となります。正確には家→徒歩15分(もしくはかみさんの車送迎)→電車10分→バス20分→徒歩7分→職場、という感じ。これが座れずに、そして歩くので、毎日ならきついかなあ、と感じちゃうんですけれど。でもね、もう少しせめて職場がバス停から近ければ、電車通勤も考えるかも、いや、その方がラクかも、と感じる今日この頃。まだ、電車はそんなに混雑度は「超」と付くほどでもないし。ああ、でもバスは混むなあ。でも、まあ、いいかあ、と思える範囲ではあります。ただ、車イスを使用して、というと、難しさがありますが…。というか、気力、が続くか、という感じ。
シュミレーションすると、
○「自宅→とある常磐線の駅」−歩いて行くには坂があるので、それだけで疲れてしまいそう。車で送迎してもらうか、または路線バスも走ってるので、車イスのスロープ付きのバスをチェックすれば、可能か。乗車にはスロープの準備など、時間的ロスがありそう。毎日のことなら運転手さんも慣れてくれるかな。
○「駅構内」−1階外から2階改札までは自由に使えるエレベーターがあるので、楽勝。問題は2階改札から1階ホーム。車イス対応エスカレーター又は階段しかない。「ラッシュ時は困るんだよねえ」とか言われそう。でも、ラッシュ時に利用できなきゃ、仕事に行けないんだしねえ、そういわれても困るねえ。でも、毎日嫌みを言われるのもねえ、嫌だしなあ。
○「電車内」−常磐線快速は、不可能でしょう。混みすぎて。というか、乗らなきゃ行けない場所なら乗るしかないんだけどさ。私は柏駅で降りるから隣の各駅でOKなんですけど。そんなにまだ混んでない区間なので。でも、上野とか都心に仕事場があれば、乗るしかない!そう思えば、まだ乗れるスペースはある。でも、柏、松戸、と進むにつれて、超人的な混み方になるので、現実的に耐えられるかは??
○「柏駅」−もう、JRと東武野田線の乗り換えで、うお〜!!と列車が到着するたびに大運動会になるので(笑)、危険そう。まあ、その波間をうまくしのげば、OK。1階ホーム〜2階改札〜1階外バスターミナルは自由に使えるエレベーター完備なんで、アクセス面はなんの問題もない。問題は、あの人混み!!
○「バス内」−これも何本か走っているスロープ付きのバスをねらえそう。ただ、何本かしかないので、時間に拘束されることは避けられそうもないですね。あと、あの混雑した車内で、果たして揺れや人混みに耐えられるかは、ちょっと心配。
○「バス停→職場」−これは、坂などがないので、割合クリアできそう。でも、あくまで晴れてる場合ですよね。雨天時は傘をさせそうにないから、アウト、でしょうねえ。
いろいろ考えてみると、問題点が浮かび上がってきますね。まず、公共交通機関を利用しての車イスを使用した通勤は、天気に左右されること、垂直移動が壁になること。垂直移動への問題は、機械の操作など、駅員さんの力を借りるのは、現実的ではなく、長続きしそうにないこと。そしてラッシュ時への対応。
やはり、施設は利用者が「自由に使える」というところが一番大事だな、と。利用者であるお客も、駅等の職員もお互いに無理のない対応ができないと、やはり日々の利用は難しい。そして、周囲の理解、かな。それは毎日利用することで、自然に深まっていくことだとは思うのですけれど。
…このようなことを考えること自体が、現実的じゃないんでしょうか。でも、こういうことがサラリと自然にできてしまう、そんな社会にしたいなあ、と、まじめに思う秋なのでした。
2004年8月10日(火)「阪急電車の車内携帯事情」
阪急電車は、終日先頭と最後尾の車両が、携帯の電源を切ることになってるんですね。他の車両ではマナーモードにして通話はご遠慮下さい、というものでした。他の鉄道各社では優先席付近では電源を切り、その他ではマナーモードに、というのが一般的な気がしますが。果たして、実際にはどれくらい守られているのでしょうか…。
携帯がこれほどまでに普及した現在、だめと言うだけじゃなく、どの程度で折り合いを付けていくか、共存できる道を探すのが得策な気がします。確かにペースメーカーを使用している人たちにとっては、命に関わるわけで、現実的に確実に安心できるスペースを確保するためには、阪急の取り組みは、よい一例になると思います。でも、あとは乗客のモラルに任せねばならない、というのは同じだとは思いますが…。
2004年6月20日(日)「福祉タクシーと車イスタクシー」
なんか、地域によって、人によって、定義の仕方やとらえ方が随分違うと言うことを実感する今日この頃。がったんサポーターのDAIさんよりメールを頂き、お友達のmukkuさんのホームページを紹介して頂きました。「全国福祉タクシー通信」というホームページで、現在は千葉県内の福祉タクシー実施状況の情報が中心に掲載されています。そのお友達の方のホームぺージに関するコメントです。「全国各市町村の福祉タクシー制度について観やすいHPを作ろうと思っています。今のところは情報が少ない為、千葉県内のみ掲載ですが、今後は全国状況の掲載を考えています。皆さんの地方の福祉タクシー制度の情報をお待ちしています。」
車イスタクシーといえば、私は「車イスをたたまずに乗ったまま乗り込める、リフトまたはスロープ付きのタクシー」というイメージがあります。そして、福祉タクシーというと、各地方行政から交付される「福祉タクシー利用券」を使用して利用するタクシーの総称、というイメージでしょうか。この中にはもちろん車イスタクシーも含まれますが、千葉市などでは以下のように様々な方を対象にしていますね。
○身体障害者手帳1級・2級
○療育手帳○A(マルエー)(○Aの1・○Aの2)からAの2
○障害者手帳(精神)1級
○特別児童扶養手当1級受給者
○障害児福祉手当又は特別障害者手当受給者
○福祉手当(経過措置)受給者
○ねたきり老人福祉手当又は痴呆性老人福祉手当受給者
※自動車燃料費助成を受けている者を除く。
千葉市では一般タクシーを利用する場合、「2,600円未満:半額(10円未満切捨)を支払う。2,600円以上:1,300円を差し引いた額を支払う。」となっているけど、私の住んでいる我孫子市は「タクシーの初乗り料金分を助成する制度」であったり、そもそも対象者も以下のような感じで違いがあります。
○身体障害者手帳の1級か2級の方
○療育手帳のマルA、マルAの1、マルAの2、Aの1、Aの2の方
○精神障害者保健福祉手帳の1級の方
市町村によっても、制度は様々。みなさんの住んでいる町はどうですか?
いろんな側面から「福祉」を考えてみるのも、また一つではないだろうかと。勉強になります。DAIさん、そしてmukkuさん、ありがとうございました。
2004年4月7日(水)「福祉のまんなか、にある駅」
九州は福岡県宗像市の玄関駅、東郷駅に降り立ちました。駅にはまず自由に使えるエレベーターが設置されていました。その脇には、人にやさしいまちづくり事業で設置した旨の掲示物があり、なるほど、と感じました。
そして、駅前に降り立つと、「宗像駅前サービスセンター」の看板が。駅前にあるんですね。このような福祉施設が。ロータリーには身障者用トイレもあり、そして、右側のたて看板。ちょっと気恥ずかしくなるようなネーミングだけれども(笑)、言いたいことはきちんと伝わってきました。何より、行動を通して。一番いい場所に大事なものを置く。その真ん中にあるのが、駅である、という地図。こういう街で生活してみたい、そう思わせる宗像市の玄関口でした。そういえば、「がったん」の冊子版の注文も、宗像市から随分あったんですよ。感慨深い訪問でした。
2004年4月5日(月)「九州新幹線の駅に多目的室を発見!」
九州新幹線の熊本県新八代駅で写真のような多目的室を発見しました。入り口の看板には「この部屋は、授乳、おむつ交換や、お客様の体調が思わしくない時などに利用できます。ご希望の方は駅係員までお申し付け下さい」と書いてありました。
おお、これなら、具合が悪くなったときも安心。鹿児島中央駅にも同様の部屋があるとのこと。お出かけの際にはぜひ利用してみてはいかがでしょうか。もちろん、身障者用トイレと自由に使えるエレベーターは完備されていますので。
2004年2月27日(金)「障害を<持つ>から障害が<ある>の時代へ」
先日興味深い話を聞きました。今福祉の世界では、「障害を持っている」という言い方はせずに、「障害がある」という言い方をするんだよ、と。なるほどなるほど。
思い当たるところがあるといえば、「がったん」も同じ。ついつい「車いすの人」と言いがちなんですが、別に<車いす=人>じゃなくって。わかりきったことではあるんだけれども、コトバというのは慎重に扱わなきゃいけない、ということ。パーフェクトは難しいだろうけれども、傷つく人もきっといるわけだし。コトバを使った人が気づかないだけで。
ですので、「がったん」では、今まで一貫して<車いすで生活している人>というような表現を心がけてきました。もし皆さんの中で「今はこんな表現の仕方をするんだよ」というのをご存知の方がいましたら教えてください。よろしくお願いします。
あと、「障害」というコトバも「障碍」と表記する方もいますよね。それぞれに思いを込めていらっしゃるんだなあ、と感じます。できるだけ言葉に敏感でいたいと常日頃思う「がったん」なのであります。
2004年2月8日(日)「やさしさのものさし」
2月5日の毎日新聞にこんな記事が。「<節分会>車椅子参加を拒む 長野・善光寺」??車イスに節分?なんのこっちゃ?と思っていたら、なるほど。ありそうなお話で・・・。
紙面によると、「長野市の善光寺が3日行った「節分会」の豆まきで、車椅子の身体障害者の参加を拒否していたことが5日、分かった。善光寺側は「安全が確保できないため」と説明しているが、拒否された両手足が不自由な同市内の男性(59)は「どんな人でも等しく受け入れる善光寺らしからぬ行為だ」と憤っている。」
権利を声高に主張するのは個人的に好きではないんですけれど、しかしなあ。安全が確保できないのであれば、なにか安全を確保できる手だてを考えればいいわけであって。おまけに普段から善光寺は車イスを利用した参拝客にスロープを設置するなど、「やさしい」お寺として評判だったとのこと。じゃあ、やさしくなるためにはスロープを設置すればいいのか、エレベーターを設置すればいいのか?もちろん、そんなわけじゃなくって。
「がったん」的には、ラッシュ時に車イスを使って混み合う電車に乗る場合。安全が確保できないので、自ら遠慮して時間をずらすなどするべきなのか。でも、もしね。通勤のためにどうしてもその電車に乗らなければならないのだとしたら?乗るのを遠慮して、時間をずらす?自家用車を買う?そのために免許も取る?そもそもなぜ電車にみんなと同じように乗ってはいけないのか?
「やさしさ」って、難しい。人それぞれに、やさしさのものさしは違うから。相手の気持ちを少しでも思うことができるか?その辺かなあ、と今、感じています。
2004年1月17日(土)「一日乗降客5000人以下のバリアフリーは?」
中日新聞によると、JR草津線・手原駅(同市手原)の駅舎改築工事がスタートしたとのこと。完成は今年10月の予定で、総事業費は13億円。エレベーターなどバリアフリー化も実施されるとのことで、そうか、15億円もかかるのか、と。ピンとこないけれど、それぐらいのお金がかかるんだな、と感じました。
このニュースを見て思ったのは、一日の乗降客が4400人だという事。交通バリアフリー法では、一定規模の旅客施設の例として、「鉄道駅については、1日の利用者数が5千人以上であること又は相当数の高齢者、身体障害者等の利用が見込まれること等。」と書いてあります。そうすると、なんていうか、5000人以下の駅はどう考えていけばいいのか?というところに行き着くと思うんですね。まあ、くくりというか、「線」は必要だから5000人というのも順当かな、とは思うんですけれど、基本的にはすべての駅にエレベーターが付いて欲しい。でも、確かに「すべて」というと現実味が薄れてしまうのも事実。だから、乗降客の少ない駅には自由に使えるスロープを必ず設置する、とか、きめ細やかな法律にしてもらえたら、もっとよかったかな、と今になって思うのです。バリアフリーというと、まずエレベーターに思いが行きがちで、スロープは気付かれにくかったりするけれど、もっとスロープが見直されていいと思う。乗降客が5000人以下だからいいや、じゃなくて、乗降客の少ない駅には少ない駅なりの設備設置を考えていくべきではないか。そういうことを思ったわけです。
2003年12月16日(火)「外国のバリアフリーは?」
TVではイラクのフセインさんの映像ががんがん流れていて。そのときふと、イラクのバリアフリーって、どうなってるのかなあ、と。そういうことを考えたわけです。
戦争をしていると、せっかくバリアフリーにしても、すぐ壊されちゃいそうだしなあ・・・。まあ、街全体そもそもの環境がばりあふりー、という国もあるだろうし。日本のように「さあ、バリアフリー化しなきゃ!」と改築するまでもなくね。もともとのベースにバリアフリーの考え方があれば、昔から街に根付いているという国もあるだろうし。
いつか、外国の街も見てみたい。外国の施設に車イスマークが貼ってあるのか、とかね。いろいろ興味深いものがあるなあ、と思う今日この頃なのであります。
本日我が家に無事ADSLが開通!アナログと違って速い、速い!今回のコースは1メガ。先日は1.5メガでしたけど、スピードの違いが際だたず。値段もすごく安くておくれました。
2003年11月9日(日)「ひまわり号のお話」
今日はひまわり号の話題です。熊本日日新聞社 と南日本新聞にひまわり号の記事が載っていました。
熊本の「ひまわり号」は、今年で20年目。列車で旅をしたいという障害者の夢をかなえようと1984年に熊本〜阿蘇間を走ったのが始まり。以後、年一回の恒例行事として「ひまわり号を走らす実行委員会」(山本あや会長)がボランティアの後押しを受け継続。これまで阿蘇や人吉、博多、島原など県内外に出掛けてきたとのこと。千人が参加した旅行もあるそうです。すごいですねえ。
鹿児島は今年10年目。1994年、加治木町の国立南九州病院の筋ジストロフィー患者の希望をかなえようと、市民団体が鹿児島市の市電を借り、市内観光などに出かけたことが始まり。以後、会社員や学生などが「ひまわり電車を走らせる会」(戸川千草実行委員長)を組織。年1回、障害者と一緒に電車やバス、列車などで小旅行を楽しんできたそうです。
このほかにも全国各地で同じようなひまわり号が走っているはず。でも、なかなか記事になりにくいのか、あまり活動内容が知られることが少ないように感じます。バリアフリーが進んできたとはいえ、車イスを利用して自分一人で外出するのは、まだまだ様々な面でバリアがあるのが現実。そして不自由さを感じるのは個人個人全く違うと思うし、エレベーターができたとしても、やっぱり介助者が必要、という人も多いと思います。出会いが少ない、とか。
そういう面から考えると、ひまわり号の存在って、まだまだ必要だと思います。そのような電車が、走っていると言うこと。そのことから多くの人がいろんなことを感じるはず。ぜひこの活動が、長く続いていくことを願っています。
2003年10月19日(日)「わかりやすさがすべてではない、こと」
2003年9月10日(水)「後ろめたさを感じる子どもたちを育てよう」
まったく、困ったことです。今日仕事で電車に乗る機会があって、メンバーの中に車いすを使ってる人もいて。駅で身障者用トイレを使おうと思ったんですよ。そうしたら、なんと、トイレに鍵が!改札の駅員さんに一声かけて開けてもらい使うシステムになっていたのです。駅員さんによると、「高校生がたむろしてたばこ吸ったりするんで、鍵をかけることにしたんです。」とのこと。う〜む、しょうがないなあ、でも、仕方ないのかなあ、と思い、淋しい気持ちになった自分。で、しばらくして次の駅に行くと、またもや鍵が!あー、不便!!
一体、どうしてこうなってしまったんだろう。昔は駅側が倉庫や掃除用具入れに使っていて、まったくう、って例が多かったんですけど、今は先述の高校生のたばこ。
なんでかなあ。どういう気持ちで高校生はたばこを吸っているのかなあ・・・。隠れて吸えるスペースがあってラッキー!みたいなもんで、後ろめたさなんてないんじゃないか。そんなことを思っちゃうんですね・・・。じゃなきゃ、吸えないと思うんだ。もっと突き詰めれば、吸ってる高校生だけが悪いんじゃなくて、どうしてこのトイレが必要なのかを、私たち大人が子どもたちにキチンと伝えてこなかったせいじゃないか、という気も、するわけです。
別に、教育とか、学校のシステムとか、そんな大きなことを言いたいわけじゃなくって。家庭でもっと、簡単にできることがあるんじゃないか、と。例えば、TVでバリアフリーや車いすについてのニュースが流れたり、街でエレベーターや身障者用トイレを目にしたときに「なんだか知ってる?」と話題にするとか。学校だけでは教えられることって、限られていると思うんですよ。だから、ぜひ家庭で大人が気づかせてあげたい。
で、それを高校生になってからやると、「うるせーなー」とうるさがられるだけなので(笑)、ちっちゃな時に、ひらたく言えば、大人の話をしっかり聞いてくれる歳の時に(笑)、ぜひ話題にして欲しいと思っています。それだけで世の中は大きく変わると思う。結果はカタチになってすぐには見えないし、100点とか点数化もできないけど。
でも、知らないまんま、大人にしちゃいけない。子どもは大人から知らされる権利があるし、大人は子どもに知らせる権利があるんじゃないか。・・・って、なんだか小難しい話になっちゃいましたけど(笑)。せめて身障者用トイレでたばこを吸っているとき、後ろめたさを感じる子に育てていきたい、と。そう言う子を増やす努力を、今からでも遅くないので、始めたいっすね、と。そう言うお話でした。
追伸。マスコミの方々へ。もっとバリアフリーのニュース、流してくださいね。よいきっかけになるような。どうぞよろしく、です。
2003年8月18日(月)「車いすで使いやすいホーム水飲み場」
写真が暗くてごめんなさい。わかります?新京成電鉄薬園台駅のホームに、水飲み場があったんです。で、そこに車いすマークが。??よくある水飲み場、と思って、しばらく考えたんですが、たぶん、車いすでも利用できますよ、というメッセージなのだと、私は理解しました。今は、各地で、ホーム上のスペースの問題や衛生面で、このような水飲み場が姿を消していると聞きます。昔はよく、夜行列車でホームに降り立った朝、顔を洗ったものです。
この薬園台駅は、長距離列車もこないし、団地の中の新しい駅。どんな風に使われていくのかはわかりませんが、車いすマークにはこんな使い方もあるんだな、と実感した出来事でした。
でも、できることなら、どーん!と車いすマークを掲げなくても、自然に使える設備が増えて欲しい。本来、誰もが使える施設がいいわけですから。車いすを利用していても使える、ということが確認できたら、施設的にはOKであって、さらりと自然に他の施設と併設してほしい。周りに理解を求めるためのマークであれば、そのマークがなくても、優先する気持ちが早く社会に生まれてきて欲しい。そのようなことを思ったりする今日この頃なのです。
2003年7月31日(木)「ゆったり試着室、発見!」
津田沼のイトーヨーカドーの2階に「ゆったり試着室」という看板を見つけました。シンボルマークも車いすとハンガー。試着室の中は、そうですねえ、身障者用トイレのスペースをちょっと広くした感じ。で、中には簡単な長いすがあるんですね。これがシンプルで、使いやすそう。・・・って、言葉で言ってもなんかうまく伝わらないなあ・・・。イトーヨーカドーのHPを見てると、「従来の約四倍のスペースに手すり・ベンチを設置した段差のない試着室をつくりました。」とありますが。写真撮らせてもらおうと思ったら、許可がないと・・・と言われ、だめでした。残念。もっと、PRすればいいのになー。いいことなんだから。もったいないですう。
でも、イトーヨーカドーグループでは少しずつ増えてきているとのこと。あなたの街のヨーカドーには、ありますか?
2003年7月25日(金)「知ってもらうことからはじめよう」
今日から、更新日時と日記の日時を変えてみました。なので、25日の日記が二つありますが、ご了承下さい。
昨日はぶつぶつグチみたいに書いてしまいましたが、結局どんなことで困っているのかが、周りの人にうまく伝わっていないのではないか。みんな悪気なんか全然なくって(あたりまえだけど)、純粋に知らないだけではないか。だったら、「こんなことが不便なんです。」「こうなると、使いやすいんです。」と、声を出すことが大事ではないか。「バリアフリーが大事なことは何となくわかった。じゃあ、実際何が困っているんだろう?」と、関心を持ってくれる人が増えている今だからこそ、知ってもらうことからはじめることがとても大事であるように感じるのです。
でも、伝える側は「感情的」にならずにね。そこがなかなか難しいんですが(笑)。特に毎日の生活に直結してる場合などは「権利」という言葉を多用してしまいがちだけれど、それが前面に出てしまうと、幅広い理解は得られない気がするんですね。私自身、そういう強い主張に、ちょっと抵抗があった時期もあるし。なんか、誤解を招きそうな気もしますが・・・。
「権利」じゃなくって、そうあることが「自然」であることを、もっと強調できればいいと思うんですね。10数年前は、あまりにも「権利」を主張しすぎた部分もあるんじゃないかと。だからこそ、その後「共用」という考えが芽生え、「バリアフリー」という流れができ、「みんなに便利で、必要なもの」ということに多くの人が気付き、街が変わってきている・・・。もちろん、昔からこういう活動をしてきている人たちの声が、実を結びつつあるのかな、とも思いますが。自分自身、あの頃の反省の意味も込めて、そんなことを思ったりしているわけです。
その時の「武器」が、私たちの「コトバ」なわけで。「伝え方」を工夫して、大事に使いたいものであります。はい。
2003年6月26日(木)「松島のバリアフリー」
今回松島に行く機会があったんですが、バリアフリーが充実していてびっくり!昔は(と言っても20年前くらい)そんな感じじゃ全然なかったのにね。でも、いまだに変わらないのはJRの松島海岸駅。ここの駅は1階が改札で、2階がホームなんですけど、今も階段のみです。日本三景の松島ですから、養護学校の校外学習も多いと聞いてますが、きっと大変なことでしょうねえ・・・。
遊覧船に乗って塩釜から松島に入る、というルートがオーソドックスですが、塩釜側の最寄り駅、JR本塩釜駅には自由に使えるエレベーターが近年設置されたので、松島海岸も!?と思ったんですが、駅の構造上難しいんですって。スペースがない、とのこと。確かに、斜面にあるので、きついんです。でも、なんとかならないかなあ・・・。夏には花火もあるしね。う〜む。利用頻度は多いと思うんですが。特に、団体。真剣に検討してもよいと思います。JRさん。どうぞ宜しく御願いします。
2003年5月4日(日)「10年先を走っていた仙台市営地下鉄」
仙台を南北に走る地下鉄。今から16年前に開業したのですが、その頃から自由に使えるエレベーターが黒松駅を除き完備され(今は黒松駅にも設置されています。)、身障者用トイレも全駅設置と、当時としてはすごく画期的だったのを覚えています。ただ、身障者用手帳の扱いであるとか、自由に使えるエレベーターなんだけれども、付き添いが必ずいなきゃいけません、とか、自動販売機のボタンが確か「特殊」とかいうボタンを押して購入するために、「特殊」って何?と感じる人が多かったりとか・・・。あの頃はまだバリアフリーと言う言葉も一般的ではなく、ましてや車いすを利用して町を歩く、と言うことがかなり「ニュース」?になってた時代。そのころ一緒に町に飛び出していた友人たちは勇気があふれていたんだなあ、と今になって思います。お互い若かったのかも、とかね。
今じゃ仙台の地下鉄もすっかり町に溶け込んでいるのでしょう。逆に私が10年ほど前に千葉に出てきたとき、東京の地下鉄に乗って「何で階段ばっかりなんだ?」と思ったのを思い出します。仙台の地下鉄は、時代の10年先を行っていたんですね。
2003年2月12日(水)「バリアフリーとお金」
2月10日の神戸新聞に「三宮駅周辺をバリアフリー化 神戸市が補正予算案」という記事が載っていました。「JR駅の北側 に地下鉄通路に降りるエレベーターを設置するほか、駅南側のフェニックスプ ラザ跡のビル建設にあわせて整備する空中デッキ三カ所のうち二カ所に着手、歩道拡幅や段差解消にも取り組む。」ということです。2億3千万円という金額らしいですが、考えてみると、億単位の金額が街づくりにはやはりかかってしまうということですね。億って、あんまりピンとこないんですけど(笑)。個人じゃどうにもなんない金額だし、中小企業でも簡単に出せる金額ではないはず。バリアフリーになることが一番いいんだけど、そのためには行政の後押しが必ず必要になってくるんだろうなあ、と。ということは、そのために使われるお金は私たちの税金なわけで、その使い道にもっと敏感になりたいと思う。必ずしも福祉に重点的にお金が使われているわけではない。当たり前のことなんだけど。
増税の話って、「どれくらい上げる」ということに論議が集中しがちだけど、「何に使う」というところをもっと真剣に考えたい。「〜のために使うから、これくらい上げます」といわれれば、もっと納得するんだけどなあ・・・。でも、そうはいっても、本当にそう使われているのか疑わしかったりするわけで。思わず疑ってしまうあたりが、そもそも悲しい・・・。給料はどんどん下がり、税金はどんどん上がる。生命保険なんかも予定利率が一方的に下げられて、年金なんかも負担がもっと高くなり、医療費の自己負担は本人も4月から3割だ・・・、って、もうやめよっか。おやすみなさい(笑)。
2002年10月23日(水)「バリアフリーの渦づくり」
先日職場で、いい話を聞いたので、ちょっと紹介します。実際に聞いたお話のテーマは教育関係なので、ちょっと違うんですけど、「がったん」でも当てはまることがあるかな、と思って。公共交通機関の移動に関するバリアフリーの問題に置き換えて考えてみました。
バリアフリーを実現していくには、バリアを感じる人だけではなく、鉄道会社などの事業者、建物などを設計する人、実際に建てる人、そして今のところバリアを感じない多くの人々などが、共通の理念や目標を持って取り組むことが大事になってくる。そうやって取り組むと、集団としての渦ができる。この渦によって、この問題に関わっていく人々が次々に育っていく。今、社会に必要なのは、この渦づくりではないか・・・。
どうでしょう。その渦作りの始まりとして、バリアフリー法案の制定、バリアフリーという言葉の社会への浸透、それによる人々の意識の変化があげられます。今はまだ小さな渦ですが、これからきっと大きな渦へと成長していくと思っています。特に、多くの人々の考え方が変わりつつある、ということが、何より大きいことだと思っています。駅や街が最終的に変わっていくのは、私たちの次の世代になってしまうかもしれないけれど、街は少しずつ、確実に変わってきている。そのことを伝えたくて、このホームページを作っています。これからも、よろしくお願いします。
先日21日に、岡山県の山陽新聞に「がったん」の記事を掲載していただきました。お近くの方は、ぜひご覧ください。
2002年9月14日(土)「知る、ということ」
今日、恐竜博に行ってきました。いやあ、すごい人だ・・・。中に入ると、そんなに混んでないんですが、入場するまでが、なんと80分!最初は入場するまで110分かかりますよ〜とかアナウンスしてたので、なんか帰りたくなっちゃったんですが(笑)、子どもたちは「おなかすいた」「まだなの〜」とか言いながらも、帰りたくはない様子。みんなでじっと耐えましたよ。でも、ずっと並んでいたら、腰が痛くなりました。やれやれ。
で、メインの恐竜も素敵でしたよ。子どもは大の恐竜好きなんですが、骨だけだと、ピンとこないようですね。それよりも、今年の夏に訪れた長野県の長野市にある茶臼山自然植物園(恐竜公園)のほうが、リアルで、子どもにはわかりやすいと思います。お近くで恐竜好きの人がいましたら、ぜひどうぞ。
恐竜博の小話をひとつ。館内には車いすを利用して見学している方が多かったんです。で、スタッフの若いお兄さんに、「車いすで見学するときは・・・」と聞いたんですね。すると、「障害者で車いすを利用している方は、エレベーターのある専用通路で入り口までご案内します。」「?障害者で、車いす??」「ですから、交通事故などで怪我をされた方とか・・・。」「・・・車いすを利用していれば、障害者の人が多いんじゃないかい?」「あ、ああ、そうですね。手帳をお持ちになってくだされば、ということです。」「もちろん、知的障害を持っている方でも・・・」「手帳をご提示いただければOKです。」・・・やっと、ぴんと来たおにいさんでした。まあ、以前の和歌山カレー事件見たいな事もあるしねえ・・・。
でもですね、別にスタッフの方のことをなんだかんだと言いたくてこうして書いているわけじゃないんです。「あ、そうか」、と気付くことがどれだけ大事か、ということです。とくに知的障害を持っている方は、車いすを利用しているわけではないことが多く、見た感じが障害を感じさせないことが多いです。すると、80分の列に並んでください、と。そう案内されることも多いのではと思うのです。ただ、80分並ぶだけの見通しを持つことは、大変難しい。つい、甘やかしている、なんていわれてしまう。でも、終わりが見えない時間を耐えることがどんなに大変か、決してわがままなのではなく、見通しを持てないから不安定になっているという事実をわかってほしいのです。
確かに、「車いすだから」、「障害者だから」という理由で列に並ばなくてよいのか、特別扱いでいいのか、逆差別ではないか、という議論もある。でも、その時間を、さまざまな理由で耐えられない人もいる。すべてが優先されなくてもいいと思うけれど、配慮はさまざまな場面で必要なのだと、多くの人に知ってもらうことが今、大事なのではないかと、誤解を受けやすいテーマではありますが、今回書いてみました。
では、また。きょうは、このへんで。おやすみなさい。
2002年7月18日(木)「ベスト・バリアフリーステーション・賞」
なんだか、うまく表現できませんが(笑)。一口に言うと、バリアフリーが充実した駅はどこか、という問題です。全国の多くの駅の中で、少しずつバリアフリーが整った駅が増えてきています。自分自身、数多くの駅に降り立ってきました。それを踏まえてさあ、どこだ?と考えてみたわけです。北から考えてみると、新千歳空港駅、秋田駅、長野新幹線の駅、関西空港駅、成田空港駅、高松駅に西鹿児島駅・・・。小さい駅などは新築、改築された駅に、充実した駅が目立ちます。ただ、全国的に見れば、まだまだ点にしか過ぎないし、大きな駅などは改築もままならないという駅が多いように感じます。これからどんどん増えていくと思いますが、「モデル駅」のような存在の駅がいくつかできると、参考になり、広がり方も速いのでは、と考えます。どこか、選定してくれるところはありますかね?ん?私が自分でやればいいのか(笑)。まあ、冊子版がひと段落したら取り組んで見ましょう。
・・・なんだか、独り言のような文章(大笑)。すみません〜。
皆さんの「ベストバリアフリーステーション」はどの駅ですか?
2002年3月16日(土)「関東と関西」
いやあ、忙しい・・・。本業の仕事のことですが、年度末ということもあって、ばたばたしています。「がったん」に時間を割くことができずにいて、なんか、もどかしいです。
昨日、ホームページを見てくださっている方から、メールをいただいたきました。「東京と大阪で、バリアフリー度の差はあるだろうか」という内容で、いろいろと私なりに考えてみたんですけど、なんとなく考え方の違いを感じさせられる出来事がいくつか思い出されたので、ここにも記しておきます。
○関西の身障者用トイレは男女それぞれに一箇所ずつあることが多い。
○大阪市地下鉄には、「ええまちマップ」という栞が各駅においてあり、バリアフリー情報が詳しく掲載されている。
このような考え方が、関西の根底に流れているのかな、と、そんなことを感じました。
2001年11月10日(土曜日)
バリアフリーは大切だと言うことは、充分わかっているんだけれど、新築ではない既存の施設の場合は、予算の関係でなかなか実現が難しいことが多いようです。・・・と、自分自身、感じることがあります。でも、お金のからむ問題と言うのは、本当に難しい。たとえば、自分が喫茶店を経営していて、身障者用トイレを改築して設置できるお金の余裕があるか、借家だったらどうか、2階建てで、エレベーターが必要になったら・・・。無利子貸し付けでも、結局返さなきゃいけないし、補助が出たとしても、実際問題どれだけの額が出るか。自分には経営の才能はないので、よくわからないけども、「わかってるよ!」という場面が多いのも、事実だと思う。特に福祉の分野って。
昔、とある鉄道会社のスタッフの方と話をしたとき、「いろんな団体の方に、『わかってない!』といわれることが多いんですが、できる範囲で自分たちも精一杯頑張っているんだ、と、わかっていただきたいんですけどねえ・・・。」と、つぶやいていたのを、なんだか、ふと思い出したので、書いてみました。今から13年前の話です。
こういうところにも、相手の立場を思いやることができるちょっとしたやさしさ、気持ちの余裕を、もてるといいなと思います。自戒を込めて。
2001年7月22日(日曜日)
今回の更新で、調査駅が600を超えました。すでに調査済みで、アップするだけだったとはいえ、本業の仕事と並行してのため、こんなに時間がかかってしまいました。この夏も調査はしますし、またストックがたまりそうです。でも、できるだけ、がんばってアップしていきますから、ときどき遊びに来てやってください。
昨日の新聞を見ていたら、ある政治家の人が「先日は車いすでお見苦しいところをお見せしました・・・。」と発言したと書いてありました。きっと、病気か怪我で車いす生活を体験されたのかな、と思いましたが、それにしても「お見苦しい」はないだろう・・・と思ってしまいました。私も揚げ足を取るつもりはないし、この方もきっと軽い気持ちで発言したのだとは思います。でも、この発言の重み、感じて欲しい。どうしてこんなに反響があるのか?その胸の内をたくさん知って欲しいと考えます。