公共交通機関のあり方を考える

 もともと、地方は人口が少ない地域なのだから、赤字には絶対になるんですよ。乗る人の数はは決まっているのだから。じゃあ、バスにしましょう、鉄道はなくしましょう、ということでよいのか。じゃあ、公共交通機関って何なのか。・・・むつかしいですよねえ・・・。「住民の足のはずの鉄道が、地方へ行けば行くほど、どんどん住民から離れてゆきます。」友だちの言葉が心に残りました。


2004年6月10日(木)「車に鉄道が勝てないのは?」

 今日は、千葉市まで出張だったんですよ。で、前日まで電車で行こうかなあ、と思っていたんですが、結局自分の車で行くことになりました。それは、なぜか?
1.車は、時間が早い。(駅までの足、乗り換えにかかる時間、各駅に停車していくロス、等)
2.車は、安い(安いのですね、これが。家計に与える影響は、大きい。)
でも、電車にだって、いいことはあるのでは?
1.渋滞知らず、道も覚える必要がない(車内は混み、路線名等は知る必要がありますが。)
2.車内で本が読める。(眠くなるけれど)
3.居眠りもできる(座れれば、ですが)
4.地球に負荷が少ない(家計に負荷はかかるけれど)
車イスユーザーの方も、そんなに違いはないと思われます。しいて言えば、電車は垂直移動の克服が課題といえるでしょう。エレベーターとかね。そう考えると、自分用にアレンジした自家用車があれば、自宅から目的地まで、それこそ「ドアからドアへ」ですね。
う〜ん、他にもなにかあるかなあ…。育ってきた環境もあるでしょう。私みたいに家に「マイカー」がなかったような家庭は、電車バスで移動するしかなかったので、今利用しても電車バスという公共交通機関には抵抗感がないんですが。皆さんは、どう思われます?


2004年3月29日(月)「九州新幹線と肥薩おれんじ鉄道の明暗」

 だいたい想像はついていました。少ない需要の奪い合いになり、新幹線の華やかさが突出し、在来線が片隅に追いやられている姿を。実際に各駅に降りたって見ると、在来線に活気がない。新幹線開業とともに、在来線はJRから切り離されて第3セクターの道を歩みました。しかし、その結果、運賃は上がり、無人駅は増加、ワンマン化、乗り換えの煩わしさと、マイナス面ばかりが見えてきます。駅員さん、車掌さんが一気に少なくなったので、運転手さんがなんでもこなさねばならない。おまけに手薄になるから、運賃の授受が確実に出来ているのか、心配な光景も・・・。
 「マイレール」の意識が育つのはいいです。でも、JR九州だって、地元に根付いた経営はしていたはず。このままじゃ、全国新幹線を作るたびに3セクターばかりが増えていくことになりそうです。
 それもこれも、速さばかりを追求しすぎた結果ではないか。今の在来線を生かした「ミニ新幹線」という選択肢だってあったはず。山形、秋田両ミニ新幹線の成功例もある。乗り換えをなくすというだけでも、地元にもたらすメリットは大きいはず。地元じゃ、新幹線の高架下の激しい騒音と振動の問題が出てきている様子。おまけに引っ越そうにも十分に金額的な補償が得られないケースが多いとも聞きます。
 すばらしい新幹線でした。ロケット、弾丸のようでしたよ。でも、その走っている下で、様々な問題が起きていること…。何とかしなければなりませんね。
 帰ってきました。結局更新作業は、フェリーの船上からは成功したものの、その翌日はホテルから携帯でやってもだめ、おまけに昨日小倉駅前の公衆電話からアタックするもだめ。ああ、何でだめなんだろう…。こっちの問題も何とかしなければ…。


2004年3月15日(月)「上越・並行在来線はどうなる?」

 3月12日の毎日新聞で「地域に根ざした鉄道を−上越・並行在来線、市民懇談会が提言」という記事を見つけました。昨日の「がったん日記」で九州新幹線のことを書きましたが、同じような現象が上越でも、北陸でも、長崎でも、そして北海道でも起きてくるはず。「地域の足」ではなく、「東京への足」であって、毎日の生活に本当に役立つのかどうか、すごく心配なんです。
 実はかみさんの実家が上越で、よく帰省するんです。「アンケートによると、日常的に在来線を利用しているのはわずか4%。」というのもうなずける部分もある。確かに3両編成の普通列車でOK、という輸送量だったりするし。だけども、それでいいのか、という気がするんですよね。
 地方に行くと、人口が元々少ないんだから、利用者だって少ないんです。それが普通列車しか走らせられない第3セクターになったら、経営が成り立たないのは当然じゃないですか。それを沿線自治体が担っていくのには限界がある。公共交通機関とはなんだろうと、考えさせられる今日この頃なのです。


2004年3月14日(日)「九州新幹線開業!」

 昨日、九州新幹線が部分開業しましたね。地元では、どうでしょう。新幹線と在来線が分離されたことで、在来線の経営が不安定になるのでは、という懸念もあると聞きますが…。東北新幹線の八戸延長開業でも在来線問題が浮かび上がっていると聞きますし。生活の足として考えると、バランスが難しいですよねえ。推移を見守っていきたいです。博多〜鹿児島間が完全開業するのが6〜8年後と言いますので、どちらも大事に育てていきたいですね。


2003年11月6日(木)「国鉄がまだ元気だった頃」

 今度の日曜日は選挙ですが、その争点になっているのが高速道路の民営化。郵便局の民営化。なんだかみんな民営化すればうまくいきそうな感じに聞こえてきますねえ。おまけに高速道路は民営化して料金もただにしようとしてるわけで。でもね。ただになってラッキーって思うのは、いったいどれだけの人がいるのかなと思うわけです。
 これを国鉄、ちょっと待って。国鉄って、わかりますよね(笑)。JRの前の鉄道会社といえばわかりやすいですかね。で、この国鉄をあのとき「無料化しますよ」という政治家はいなかったのか。高速道路はこんなにも現実的な話題になっているのに。
 やはり高速道路は生活に身近じゃない分、利用者が少なく、恩恵を受ける人は限られる。それを無料化して大きな声をあげるのはどうかな、と思う。それよりは鉄道、それも新幹線じゃなくて在来線をもっと取り上げるべきじゃないか。無いと困る人は、全国至る所にいそう。それだけ生活に直結しているわけで。なのに新幹線を通したあと、在来線が第3セクターになって料金が高くなったり。国とか、政治とか、考えさせられてしまいますね。
 観光よりもまず日々の生活を、もっと考えていかなければと考える今日この頃です。


2003年6月16(月)「ローカル線の行方」

 6月15日の朝日新聞に、「地方鉄道、3分の2以上が赤字 国交省外郭団体が報告書」という記事が載っていました。全国にはたくさんのローカル線があります。都会の電車とは違い、風光明媚な路線から、ひたすら地味な山間部などを走る路線など、生活の足として根付く路線たち。しかし、実態は多くの赤字を抱え、採算性という観点から言えば、鉄道という交通手段で人々を運ぶスタイルに明らかに無理が生じている路線が多いことも事実。バスでもいいのではないか、または、バスですら空気輸送が予想され、経営事態が成り立たないケースが多いように思います。記事でも地方鉄道の3分の2以上が赤字だとのこと。
 採算性か、公共性か。地元には大きな課題が突きつけられており、この不況で、結論を急がされていくのでしょう。
ちなみに、上位5社は 1位 北越急行(新潟県六日町、新潟県)、2位 智頭急行(鳥取市、兵庫県・岡山県・鳥取県) 、3位江ノ島電鉄(神奈川県藤沢市、神奈川県)、4位 遠州鉄道(静岡県浜松市、静岡県)、5位 岡山電気軌道とのこと。このうち、北越急行は、北陸新幹線開業の暁には、特急通過型路線という使命を終え、利用客が今後減っていくことが予想されます。下位5社は、 1位 阿佐海岸鉄道(徳島県宍喰町、徳島県・高知県)、2位 三木鉄道(兵庫県三木市、兵庫県)、3位 紀州鉄道(東京都千代田区、和歌山県)、4位 北海道ちほく高原鉄道(北海道北見市、北海道)、5位 秋田内陸縦貫鉄道(秋田県阿仁町、秋田県) になっています。
 雪国では、雪で道路が不通になったときの大切な移動手段でもあります。「生活の足」としての鉄道のことをもっとみんなで真剣に考えていく必要があると思っています。


2003年3月22日(土)「地方鉄道の行方〜銚子電気鉄道」

 今日は地方鉄道の今後を考えていきたいと思います。やはり地方に行くと、乗客数が少ない。で、本数も少ない。鉄道各社も収入増を目指すのだけれど、沿線の人口そのものが少ないのだから、地域の足としては限界がある。ではどうするか、というと、観光路線としての模索。しかし、これも安定した輸送量を確保するには不安定な面がある。やはり、基本は通学通勤を主とした「生活の足」。でも、収入はかぎられる・・・。という堂々巡りになっちゃうんですけども。
 で、銚子電気鉄道は「ぬれ煎餅」の製造販売を始めたのです。これが大ヒットして市民の足としての鉄道部門の経営基盤の安定化に寄与しているとのこと。銚子は醤油の町だから、イメージ的に「煎餅」がヒットしたのでしょう。確かに地方の小規模な鉄道各社にとって、大きな観光資源があるところはまれなのかもしれません。でも、「鉄道」というカタチで「足」を残すのであれば、何かしらの方策を探っていかなければならないと感じます。知恵、が試されるところですね。
 地方鉄道の経営基盤は、ご覧のようにどこも厳しい。それはある意味、どうしようもないのでしょう。バリアフリーの面で言っても、新たな設備投資は厳しい。でも、何らかの移動面のバリアを取り除く道を考えなければ、と思います。そこで、スロープ等の既存の設備に手を加えるカタチの、無理のない設備投資を提案したい。「お金」に左右されないバリアフリーのカタチをこれから模索していく必要性を感じました。


2002年12月20日(金)「肥薩オレンジ鉄道とは?」

 今日ネットを見ていたら、「肥薩オレンジ鉄道」の文字が。一瞬?となったものの、考えてみたら九州新幹線開業によって廃止される八代〜川内間の並行在来線の第三セクター会社の名前なんですね。開業は平成16年春とのことですが、またもや東北新幹線八戸開業時に生じた諸問題と、鹿児島県の沿線住民は向き合うことになるのだな、と感じました。何とかならないものですかねえ。ミニ新幹線にすれば、何かにつけて負荷が少ないだろうに・・・。駅での乗換えだって、在来線の駅をうまく使えるし、なんといっても、JRから分離されることがなければ、運賃も変わらないし・・・。もうこの辺で、東京に直結することにすべてを注ぎ込むことは、見直すべき時期に来ているのでは・・・と感じます。私は千葉に住んではいますが、もともとは東北出身です。東北への憧れも確かにあったけれど、新幹線もあったけど、新幹線にもずいぶん助けられたけど・・・。在来線は、それまでと同じように動いていたんです。在来線がなくなったり不便になるのだったら、きっと新幹線はいらないと、あの時も言っていたと思う。まずは地元の足を大事にする気持ちをまずは持ちたいものだ、と、あらためて感じました。まずはともあれ、がんばれ、肥薩オレンジ鉄道!


2002年11月25日(月)「消え行くカード式公衆電話」

 今、朝日新聞のホームページを見ていたら、こんな記事が出ていました。「カード式公衆電話残して。−障害児の親らが切望」。いったい何のことかと思うでしょう。まあ、詳しいことはリンクにジャンプしてみていただくにして、簡単に言うと、次のようなことです。
 養護学校にはみどりのカード式公衆電話があるところが多く、子どもたちが下校前に練習もかねて自宅に電話をしている。テレホンカードは現金と違って、扱いやすく、下校途中のトラブルにもなりにくく、助かっている。でも、採算性の問題で、月額利用料金4000円未満のカード式公衆電話が廃止される方向で動いており、保護者が存続を求めているとのこと・・・。
 何を言いたいのかというと、やはり公共のものであったはずの公衆電話も、採算を理由に廃止されるのだな、ということ。「弱者」という考え方は、いろいろあると思うんです。障害を持っているということ、交通手段など、何らかの「手段」を持たないため、不便をこうむっているということ・・・。もっといろいろあるのでしょう。このような社会的弱者に対して、「採算」という問題は、本当に手厳しいものだなと、あらためて思います。公衆電話?携帯電話があるじゃないか。・・・ない人もいるんです。(私もないけど、ひがみじゃないよ。)公衆電話なんて、なくたってかまわないよ。・・・あの阪神大震災で、公衆電話が大活躍したじゃないですか。
 手軽さや便利さばかりを追求すると、いろんなことが見えなくなる気がしています。ないと困る人のことを知ること、想像すること。そのために立ち止まって考える心の余裕が、今の私たちに必要なことじゃないかなあ、と考えるんですけど・・・。う〜む。昨日の第3セクターの鉄道の話と、根本は同じ気がして、書いてみました。


2002年11月24日(日)「公共交通機関の難しさ」

 昨日、第3セクターの鉄道のことを書きましたが、今日はその続き。「がったん日記」を読んだよと、青森県の昔の友だちからメールをもらったんですね。その鉄道の沿線に住んでるんですけど、公共交通機関は難しいって。なるほどなあ、と納得したんですけど。
 要するに、地方にはお年寄りが多いし、自家用車という交通手段を持たない人が多い。だから、鉄道は廃止せずに残すべきだ。そこまではいい。ただね、鉄道を残すためには、第3セクターとなると、かなり運賃を上げないと、会社として経営が成り立たない。で、JRのときより、運賃を1.5倍に値上げしなければならなくなる。そうすると、利用できる人が限られてきてしまう。あと、車いす利用者や足腰の弱いお年寄りにとって、階段は、長く、きつい。直通列車が減り、乗換えが増える。でも、エレベーターを設置するほどの「体力」が、会社には、ない・・・。
 もともと、人口が少ない地域なのだから、赤字には絶対になるんですよ。乗る人の数はは決まっているのだから。じゃあ、バスにしましょう、鉄道はなくしましょう、ということでよいのか。じゃあ、公共交通機関って何なのか。・・・むつかしいですよねえ・・・。「住民の足のはずの鉄道が、地方へ行けば行くほど、どんどん住民から離れてゆきます。」友だちの言葉が心に残りました。


2002年11月23日(土)「IGR岩手銀河鉄道と青い森鉄道の開業」

 「IGR岩手銀河鉄道」と「青い森鉄道」という2つの新しい鉄道が岩手県盛岡駅と青森県八戸駅の間に、今年12月1日誕生します。東北新幹線が青森県八戸まで開業するのに伴って、並行する在来線が第3セクター化されることになりました。そこで、岩手県側と青森県側の上記の2社が列車の運行を担い、引き続き線路が維持されることになったのです。
 新幹線は地元の人以外には便利だけれど、地元の人にとって、案外身近じゃなかったりするのでは、と思っています。生活に直接関係しないんですよね。使うといえば遠出をする家族旅行とか、出張とか。通勤通学、通院など、本当に必要な「足」は、数百円払って乗る在来線だと思うのですよ。それが新幹線と引き換えに廃止されるんじゃ、何のための新幹線なのか・・・、と思うわけです。
 もちろん、採算性の問題はあります。とくに、今回の2社のケースは、お世辞にも人口密度が高い地域とは言えず、おまけに観光資源も豊富ではない。でも、今まで存在していたのはなぜか、そのことをいろんな角度から考える必要があると思うのです。はい。
 私も東北に住んでいましたし、2社の間の路線はJRの時、そしてまだJRが「国鉄」と呼ばれていた時代にもよく利用させていただきました。どちらかというと通過する形が多かったのですが、渋民の「石川啄木記念館」には、渋民駅から歩いていった思い出があります。
 空が、きれいなところです。夏は爽やかで、冬は雪もたくさん降ります。2社とも普通列車と快速列車のみの運転(北斗星など寝台列車は除く)ですが、盛岡〜八戸間を全区間通して走る列車(区間運転は基本的に除く。)には、車両には身障者用トイレと車いすスペースが完備しています。ぜひ機会があったら、足を運んでみてはいかがでしょうか。


2002年6月19日(水)「新幹線の威力」

 今日は、出張だったので、久しぶりの電車通勤。駅のポスターにふと目をやると、「東京−八戸2時間30分!」の文字。は〜!?八戸って、青森県だよ。何で、2時間台で着いちゃうわけ?・・・まあ、私の実家のある、ふるさと仙台も、今じゃ、1時間36分。石川啄木が知ったら、さぞかし驚くでしょうねえ・・・。
 でも、忘れてはならないのが、並行する在来線が、第3セクターになること。廃止の影も、将来的には出てくるでしょう。それが地元にとっていいことなのかどうか。「地元の人の足」というのは、本来「観光客のための新幹線の足」だけじゃなく、140円とか、210円という、細かいお金を払う人のための、「生活の足」であるべきだと思うんですけどねえ・・・。限りなく「東京中心」の社会なんだなあ、とさびしい気持ちになったりします。東京の人には自然を感じに行くための新幹線であるし、地方の人にとっては、若者を吸収し、働き手を吸収する手段としての新幹線に思えてなりません。わかる、必要なのはわかる。私も東京には憧れたし。便利だし。いまも、その「便利さ」という恩恵は受けているし。何もいえない気もするんですけど。でもね、・・・というわけです。う〜ん・・・。
 すみません、うまく表現できなくって。誤解を招きそうな気もしますが、とりあえず、アップしますね。


2001年8月8日(水曜日)

 北海道の調査、行ってきました。道東や道北は、寒かったです。根室の銭湯は、ストーブを焚いていました。北見の夜は、11度でしたし。例年より、かなり寒いと地元の方も言ってましたしね。列車の運転士さんは、「今日は雪でも降るんじゃねえか・・・」などとつぶやいていましたっけ。日本も、いろいろです。
 やはり、感じるところ、多かったです。スケール、価値観、考え方、ライフスタイル、様々な点で、北海道には独特のものがあるように感じました。まず、車社会ですよね。東京とはまた違った意味で。札幌から離れれば離れるほど、生活の足は、限りなく「クルマ」なんです。そんななか、クルマを持たないお年寄りや、子ども、高校生の通学などで、なんとか鉄道がふんばっているように感じました。都市間移動も、高速バスだってあるし、飛行機だって、広い北海道ではライバルになってしまう。鉄道は、苦戦していました。
 今回感じたことは、またおいおいアップしていきますね。では、また。お元気で。