車いすなどの福祉機器について

 身近に利用しているはずだけど、自分の使っているモノ以外のことって案外知らないことが多いのではないでしょうか。あと、高価だし、そんなに頻繁に買い換えるモノでもないので、新しい情報もなかなか手に入れることが難しいのが現状のような気がします。実際に使っている人の生の声を紹介していく中で、少しでも新しい世界に触れる機会になれば、と思っています。


2005年6月19日(日)「手動車いすについて」

 やれやれ、週末の休みだからと言ってなかなか自由な時間が取れずにいる今日この頃。気がゆるんじゃうのと、仕事を持ち帰ってしまうのとがごちゃ混ぜになっているって感じですね。今日は日曜日。どれだけ「がったん」の作業が進むかな?
 先日職場で手動の車いすを直してたんですね。ステップが壊れたんで。で、車いすをひっくり返して、部品を外そうとしたんですけど、すごいですね、あらためてみると。なんて言うんだろ。シンプルなんですよ、構造がすごく。ドライバーひとつで部品をバラかしたりするのが。部品ひとつひとつもすごく計算されて作られてる気がしました。ブレーキにしても、すごく小さな力でブレーキをかけることができる。てこの原理、かな?で、どの手動の車いすも部品が共通化しているから、何か部品を交換するときも、やりくりが付くし。さすが、長年使われ続けてきたスタンダード!っていうかんじですねえ。標準仕様ってこういうことを言うのか、と。
 ただ、それって、裏を返せば画一的というか、そこにあるから使うって言う感じで、おしゃれでも何でもなくって。もっと、生活の中に取り込んでいくのならば、もっといろいろ工夫できる部分があってもいい気がします。今風に言うと、カスタマイズ、っていうのカナ?色にしてもカタチにしても、その人に会ったモノをもっと考えられるようになるといいなあ、と思いました。随分変わってきているようですけど。オーダーメイドで頼める部分も増えてきているみたいですし。自分の身体の一部になるわけですから、
もっと選択の幅が広がってもいいのではないかな、と。
 あと、値段。いったい今、いくらぐらいするんだろ?と思ってネットを見たら、標準仕様のモノが1万円台で新品が販売されているところもあって。なんか昔はもっと高かったような気がしますが…。


2005年6月14日(火)「話し合いの<渦>を作りましょう!」

 おとといは車いすのことを話し合える場がもっと欲しい!と、なんだか駄々っ子のような書き込みをしてしまいましたが(笑)、自分自身まだまだ知らないことが多いし、もっとたくさんのことを知りたい!という気持ちが強いです。ただ、まあ、仕事にしろ、家族にしろ、日々が慌ただしく、そのことに気持ちのすべてを注ぎ込めないのがとても残念ですが…。
 そんなことを考えていたら、タイムリーにやまなさんからのメールが。以下に紹介しますね。
 『昨日、ある大学で福祉の講座をもっている先生と話しましたが、車いすについて少し違う視点があることに気付かされました。車いすが道交法でしか規定されていないのは問題ではないかの話をしている過程で、「手動車いすは完全に歩行者と同じだが、電動車いすはちょっと違うのでは」と言われるのです?
 手動は歩行のための代替え手段である事は誰でも疑問の余地は無い、自分の力だけで走る事もできる。レーサータイプの車いすでぶっ飛ばしている人にすれちがってビックリした事もありますが。
 電動はきちんと位置付けをして、使う人の身体機能や能力に応じて整理し直し、自転車などと合わせて公共交通機関の乗車を考えてはどうか。北欧のようにもっと誰でもが自由に乗車出来るが、占有スペースに応じて料金を徴集する。もちろん障害者は無料、高齢者はどうするか考える。歩道や専用区分についても考え直す。
 議論を特別な人のためにせず、皆の問題の中で位置付ける方が良いと言う考えです。そうすれば、電動は時速6キロ以下で走れない問題も、欧米のような基準を考えるきっかけになり得るのではないだろうか?
 「ハンディのある人だけの特別な問題にしない」と言うのはかねがね考えている事なのですが、、、、。今の一般的な考えとかなり違い、「自分の力で動かす身体機能が無い障害なので電動を使う」障害者側からどのような反応がでるかが問題です。
手動でも自力走行する人と介助してもらう人は同じか?
 細かい異論は一杯あることでしょうが、本当の意味での自立支援とからめて、議論してみたいと思います。』
 
 う〜む…。なるほどねえ。<電動>の福祉機器に関しては、もっと違った視点で捉えて、社会生活の中でもっと使いやすくなれるよう、議論の糸口が見えてくるのではないか、という感じでしょうか。いろんな人が身近な問題として考えることができるよ、と。一理あり、ですね。考える人を増やして行かなきゃ、とは感じます。広がりが、ない気がして。そうじゃないと、何が大変だ、とか、困っていると言うことが見えにくい。結局当事者だけが抱え込んでしまいがちな気がします。
 ただ、生活していく上で、電動車いすでなければ移動できない人、または使用することで生活が著しく向上する人って、たくさんいると思うんです。その人たちにとっては、カラダの一部として、自然な形で使いたいという気持ちが強いのではないか、と思うのですね。
 どちらが生活の向上への早道なのかわからないんですけど、何かしかの<渦>を作っていく時期に来ている、そう感じています。


2005年6月12日(日)「車いすのことを話し合える場がもっと欲しい」

 以前、「車いす学会」みたいなものがあったらいいな、と言う話をこの日記でしたように思うんですけど、あらためて「車いす学会」という言葉で「google」で検索してみたら、その自分の日記がヒット(笑)。う〜む…。せっかくですから再録しておきますが。
 
 〜「車いすについて考える場がないんじゃないか。」結局二人でいろんなことを話していて、これはいい!と思ったアイディアも、それを伝える場、考えを共有する場がない。「〜学会」とか「〜シンポジウム」という集まりはいくつもあったとしても、<車いす>に関わるものはないんじゃないかと。いろいろネットで検索はしてみたんですけどもね。車いすに関わる問題はいろいろあると思うんです。「がったん」でも取り上げている<移動>の問題もそうだし。ただ、車いすそのものに対する問題について考える場が、今ないんじゃないか。使い勝手が悪いこともあるでしょう。こんな車いすがあったら、という意見もあるでしょう。そういう<生>の声が合ってもいいんじゃないかって思うんですよね。だって、他のいろんな製品だって、そういういろんなユーザーの声を反映しながらよりよいものになっていくと思うんです。車イスだってそういう仕組みがあれば、もっと変化が早い世界かなって。そのためにはいろんな声を集める場が欲しい。わかりやすい形での場が欲しい。

 今、車いすを取り巻く環境が大きく変わってきていると思うんですね。ここ10年がバリアフリーという総論について話を進めてきたのであるとしたら、これからの10年は各論としての「車いす」について話し合う場が必要なんじゃないか。そんなことを思うのです。移動手段としての車いすそのもののこともそうだし、車いすを使って生活をすると言うことはどういうことなのか、とか。
もう電動にしても手動にしても、ひとことでは説明できないぐらい広がりがあり、そこにハンドル型という新しい考え方も出てきている。ユーザーとしては、明らかに選択の幅が広がってきているはず。なのに、今ひとつ普及しないのはなぜか。行政の壁か、情報の少なさ、なのか。いいものをたくさん知りたい。伝えたい。共有したい。そして、一つの渦を作りたい。そうすることで、もう少し過ごしやすい社会ができるんじゃないか。そんなことを今考えているところなのです。


2005年6月7日(火)「電動車いすのスピードについて」

 先日道を歩いていたら、歩道をシャ〜ッと速いスピードで横切る電動車いすが。そのスピードが、とにかく今まで見たことがないスピードだったので、ちょっとびっくりしたんですね。で、そのことをやまなさんに話したら、その電動は外国製の車いすだろう、と。外国製の車いすは、もともと12キロのスピードを出せる性能があり、だけれども、その車いすを日本で使用するにあたっては、速度が最高6キロに定められているんだ、と話して下さいました。
 「でもね」とやまなさん。「実際6キロのスピードはかなりゆっくりで、一般的な日常生活を営むには不自由なことが多い。だって、普通に生活していれば歩くだけじゃなくって小走りもするし、急いでいれば駆け足、って時もあるだろう。なのにそれを一律に「車いすだから6キロ」と決めるのはどうなのかなあ。」「車いすはいわば<足>のかわりであり、歩行者であるわけで。道交法上、自転車のような軽車両ではない。だから、本人の運転技術の問題もあるだろうけど、普通の生活に近づける、そんな電動車いすとして、柔軟に使い方は考えてもいいのじゃないか。」
 <電動車いすは6キロ>という固定観念が今まで私の中にもあったので、いざ、すごいスピードの車いすを目にするとびっくりしちゃうけど、スピードが出る車いすもある、と頭の片隅にちょっとでもあれば、もっと受け止めやすいのかな、と感じました。


2005年5月14日(土)「車いす支給条件や安全についてやまなさんが考えていること

 やまなさんからメールが届きました。以前この「がったん日記」でも紹介したハンドル型電動車いすですが、まだまだ知名度が低い、ということなのでしょうか。私自身やまなさんにお会いして、はじめてハンドル型電動車いすを見たときの衝撃はとても大きくて。安全かな、とも感じたし。ただ、どこかで「線」を引こうとするのではなく、使う人が判断することができるようにしないと、せっかくいい物も利用しにくくなっていくなあ、と感じました。よく中学校でヘルメットをかぶって自転車に乗ってる子どもたちを目にしますが、心配したらきりがないし…。安全=責任の昨今。それが行き過ぎると生活はしにくくなるわけで、その兼ね合いを考えていく必要があると、あらためて感じました。

<やまなさんからのメール>
1、補装具支給で電動車いすを制限している誤りについて
 今、大阪市では補装具として電動車いすを申請出来る条件に重度の下肢機能障害であって、電動車椅子によらなければ歩行機能を代替え出来ないもの」との国の基準に加え、上体にも障害があること」とし、下肢障害1級でも申請させてくれません。理由は手動車いすが使える障害者が電動を使うと、身体機能が衰えるからだそうです。でもこれは真っ赤なウソで、真意は高価な電動が増えると予算で賄えないからと誤解しているからです。
 手動車いすで介助無し外出は、普通の歩行障害者にはとても無理なのは、皆知っていることなのに、外出の意欲を削ぐことを制度として行っているのです。電動を使い、介助無しで、好きな時に自由に、数多く外出できる方が身体機能の改善にも有効なことは明らかです。上体に障害が無いが歩行できない人はかなり多いと思いますが、全身の重度障害者と違い重装備の電動車いすは必要ありません。機能は優れているが、価格も安くて簡単につかえる車いす=小型ハンドル型なのです。福祉職員の話では手動車いすの補装具支給金額は、少し改造を加えると15〜6万円程度になっているそうで、なんと小生の電動車いす定価13万円余の方が安い!
 変な制限をせずに自立単独外出を促進する方が、介助費用を負担するより安上がりなのに、なんで気がつかないのでしょう。10万円を少し越す程度の機能的な電動車いすを国産でも開発して(製造は安い外国でやれば十分可能です)普及させると、自立には役立つと思うのですが。大阪市で上肢障害が無くても電動を補装具支給される実績を作ろうとしています。

2、安全と自由について、リハビリセンター看護士さんに話したこと
 昨日、大阪市のリハビリセンターに初めて行き、電動車いすの補装具支給の必要性の判定を受けました。判定医に付いていた看護士さんは小生の小型電動車いすに関心を持って話し掛けてきました。「安全ですか、転倒しそうに見えるのですが」これがいつも一番よく聞かれる定番の質問です。専門家ほど普通の車いすに慣れていると危なっかしく見える様です。介護関係者はほとんどそう質問してきます。日本の国が車いすとして認定しているものが危ないはずありません!
 考えてみて下さい、普通の車いすの巾で普通の市民生活ができますか?世の中は車いすの巾を基準に出来ていません。障害者でも高齢者でも社会参加するための最低限を確保しようとするのがバリアフリー法でありハートビル法ですが、車いすや障害を持つ人の為の「特別な基準」にすぎません。これが一般的な基準になるまで、現実に合った車いすが必要です。「大型のものは安全、小型は転倒しやすい」こんな単純な考えで車いすを考えている人が多いのです。なぜなら私への質問は何時も決まって「安全ですか?」安全ってそんなに大切ですか?自由に行きたい所に行けることを我慢するほどの価値がありますか?どちらを選択するかは個人の判断です。こんな時に使うのが「自己責任」ではありませんか?
 JR事故で世の中が過剰に安全にシフトしては困るなと案じています。車いすの世界は既に、十分すぎて困るほど安全第一主義がはこびっています。安全の基準は非常に個別的な面と一般的な面が、両立しなければばらない難しい点はあります。鉄道事業者などに求められるのは一般的な安全の確保ですが、それに対応して個々の安全は、他人がきめるので無く自己責任で決めるのが原則ではありませんか。独り善がりでなく合理的な判断の選択なら、安全は人に決めてもらうものでない、自分で決められる自由こそ、自立した社会生活をおくる基礎だと考えているのですが。


2005年4月16日(土)「車いすを選択すると言うこと」

 広島のtomokoさんからメールをもらいました。
 「やまなさんのハンドル型電動車椅子は小さいタイプなんですね。普通のタイプの大きいのしかみたことがなかったので。車椅子と一口にいっても…障害によって 様々だと思うし…そういう考える場が あったら いろんなことが わかることがあるかも…と思います。
 私の今乗っている車椅子も こっちの方がイイかも 軽いしと教えてもらったタイプです。もう一台ほしいのでカタログを見ながら、検討中です。
 ☆確かに迂回することが多い。駅の表示は がったん日記にあるようなものが わかりやすいかなと思います。広島駅  も今度 よくみてきます。
 ☆路面電車に乗ってきました。車両の中から一枚 鉄板を、中にいる料金を計算する人がいて その人が出してくれて   乗るようになってました。車両とホームに隙間があるためです。段差がないタイプに乗ってきました。」

 車いすにもいろいろあると言うことを、私も仕事で接することが多いはずなのに、最新情報ってなかなか手に入りにくいもののような気がします。外国製のものとか。使いやすさで選べば、もっと選択肢は広がると思うのですが。


2005年4月3日(日)「車いす学会って知りませんか?」

 「車いすについて考える場がないんじゃないか。」結局二人でいろんなことを話していて、これはいい!と思ったアイディアも、それを伝える場、考えを共有する場がない。「〜学会」とか「〜シンポジウム」という集まりはいくつもあったとしても、<車いす>に関わるものはないんじゃないかと。いろいろネットで検索はしてみたんですけどもね。車いすに関わる問題はいろいろあると思うんです。「がったん」でも取り上げている<移動>の問題もそうだし。ただ、車いすそのものに対する問題について考える場が、今ないんじゃないか。使い勝手が悪いこともあるでしょう。こんな車いすがあったら、という意見もあるでしょう。そういう<生>の声が合ってもいいんじゃないかって思うんですよね。だって、他のいろんな製品だって、そういういろんなユーザーの声を反映しながらよりよいものになっていくと思うんです。車イスだってそういう仕組みがあれば、もっと変化が早い世界かなって。そのためにはいろんな声を集める場が欲しい。わかりやすい形での場が欲しい。
 だったら、自分達で作ればいいんじゃないか。みたいな話しになったんですけど。具体的にどうすればよいかっていうのは、イメージがわかないんですけど。ちょっといろいろ考えてみたいと思っています。ご意見等ありましたらお知らせ下さい。
 あと、昨日の日記で3枚目の写真は、ハンドル型電動車いすの充電器です。昔私が使った充電器って、ジョイスティック型のものでしたが、すごく大きくって、ボックスティッシュ2箱分くらいの大きさでしたが。やまなさんの充電器を見てカルチャーショック、でした。パソコンのアダプターといい勝負ですものね。


2003年10月26日(日)「福祉用具法について」

 昨日の朝日新聞の「私の視点」というコーナーで、「福祉用具法」についての記事が載っていました。施行されて今年で10年になるというこの法律。車イスやつえ、介護用ベット、福祉車両といった福祉用具を普及させ、暮らしに不便さをもつ人を支えようという趣旨でできたとのことですが、なかなか経済性という壁を乗り越えられないでいるのが現実、と記事には記してありました。福祉用具は利用者数が限られ、障害も人それぞれ。一つひとつの用具がその人のため、といった特別な事情もあり、大量生産でコストを下げるといった試みができにくい、という面もあります。経済性、という言葉がもともとなじまない分野なのかもしれません。
 用具はなんと言ってもアイディア!実際に困っている人たちのニーズにどれくらい迫れるか。福祉機器展も毎年開催されますが、ぜひあっと言わせる用具がこれからも出てくることを期待したいものです。
 しかし、昨日の「身体障害者補助犬法」といい、「福祉用具法」といい、もっと多くの人に知ってもらいたい法律が実はいっぱいあるんだな、と。またひとつ勉強になる今日この頃なのでした。


2003年10月14日(火)「20キロ走れる電動車いす発売」

 先日の朝日新聞にトヨタ自動車系部品メーカーのアイシン精機が、11月1日に20キロ走れる電動車いすを発売すると発表したそうです。1回の充電で20キロ。結構な距離ですよね。手動の車いすのフレームを利用するタイプでは業界最長距離なんですって。価格は37万円。安いと見るか、高いと見るか。う〜む。
 リンク集を整理してみました。自分がよく使う便利なホームページを、今までは自分の「お気に入り」に入れてたんですけど、なんか、今ひとつ面倒で。じゃあ、「がったん」のリンク集に入れておけば、とっちらからずにすむかな、と。まずは自分で使いやすいHPをつくる、というのが、「がったん」の基本なので。もしよろしければ、皆さんも使ってみて下さい。きっと重宝しますよ。