「災害時のバリアフリー、及び安全について考える」 

 災害が起こる前の、落ち着いたときによい手だてを考えておかないと、混乱した状況下では、行政の対応を待っているだけでは結局取り残されてしまう気がします。本人や家族の努力だけではどうしようもできない状況って、必ず出てくると思う。「避難所の避難所」としての<場所>を確保する必要があると思うのです。


2005年7月27日(水)「地震、台風…。自然災害時、車いすは。」

 千葉はここ数日、自然災害が続きました。まあ、地震といい、台風といい、大事には至らなかったんですけどね。ただ、普段から災害時にはどうするかをよく考えておかなきゃ、とあらためて感じた出来事でした。そんな時、今福さんから次のようなメールを頂きました。了解も頂いたので、紹介しましすね。それぞれがそれぞれの立場で考えるきっかけになればと思います。

<震度5の地震による公共交通機関の点検のためのマヒで、帰宅難民初体験報告>
  都営三田線三田駅上の障害者福祉会館2階で、本日午後4時30分過ぎに起きた震度5の地震に遭遇しました。すごく揺れたので、とても怖かった。ちょうど、聴覚障害者の人による交通や建築物のユニバーサルデザインにおいて、聴覚障害者にとって、緊急時・災害時における音声情報しかないのがいかに不安か、視覚情報の必要性について、学んだ後でした。
 重度な難聴障害者で、酸素吸入器も必要とする人と同上地下鉄ホームに居合わせましたが、地下鉄三田線が地震による点検のため運転休止をしていることを頻繁に構内アナウンスしているのが、まったく聞こえないのは、とても不安そうでした。
私も余震が来てエレベーターが止まりはしないかと不安で、地下鉄を諦め、JR山手線にしようと思い田町駅に行ったら、すべて止まっていて、すごい人があふれていました。地震時における帰宅難民になりました。
 バスに乗り継いで帰ろうとしました。港区コミュニティバス「ちぃばす」と都営ノンステップバスを乗り継いで、なんとか渋谷駅に着きましたが、道路混雑もすごくて、渋滞で、2時間も掛かりました。午後7時の時点で、まだJR山手線は、運転再開していませんでしたので、渋谷駅から池袋駅まで、都営ノンステップバスに乗車しようと思いバス停に行ったら、長蛇の列なので、即諦めました。車いすの人もいました。
 新宿駅まで歩道伝いに電動車いすで行き、夕食を取り終わった午後9時に、新宿駅新宿線改札口に行ったら、新宿線は、運転しているということで、帰宅の途につけました。その時点で、まだ、JR総武線、東京メトロ南北線・有楽町線・東西線は、運転再開していませんでした。新宿線の車内で繰り返し音声だけの他線の運転再開・停止情報を流していましたが、これが聴覚障害者の人には聞こえないので、たまらなく不安であろうなあと思いました。帰宅したら、午後10時30分でした。
 午後5時30分には、帰宅できたであろうはずが、震度5の地震で、5時間の帰宅難民初体験でした。

<上記の今福さんのメールを読んで、やまなさんが感じたこと>
 出先で帰れなくなった時、どうするか?具体的に考えておく必要がありますねえ。
1、SOSを出せる拠点や、緊急非難所などのリストアップ。一時的に避難、休憩出来る場所はあるのか。
2、使える交通の情報をどうして得るか。
3、エレベーター5万台停止で復旧に翌日までかかった例などの当事者になったらどうする。
4、携帯はどれくらいつながらないのか。
 もっといろいろ問題点はあると思いますが、個人で解決出来ることではないので、自宅以外に外出先での遭遇に問題の具体的な洗い出しと対応策を考えておく必要を感じます。交通事情に一番詳しい今福さんでも5時間かかった!普通の障害者は?

<がったんとして考えたこと>
 私が感じたことは、以下のことです。
1.災害時、特に地震が発生した場合は、携帯は使えない。そのことを前提に、連絡方法を家族などで考えておく必要がある。
2.でも、比較的メールは通じやすいようだ。
3.電車やバスは完全にストップするはず。電車は震度5程度で線路の安全確認のため、半日は復旧しない。バスだって、道路がパンクするのであてにはならない。なので、徒歩。車いす。要は自力での移動がメインになる。ただ、電動車いすの場合は、バッテリー切れの心配がある。あと、寒さ、雨、雪…。状況が大きく左右する避難になりそう。
4.しかし、自力で移動するにしても、ルートをイメージできなければ動けない。普段からどれくらい頭で「地図」をイメージできるかが鍵となる。
5.必要な情報は、混乱した中では得ることが難しい。携帯ラジオを持ち歩きたい。(私も今は持ち歩いてます。ちょっと重くなって大変だけど。手回しでラジオと携帯が充電できるタイプ。単4が2本。おまけにライトとベルも鳴る優れもの。5000円くらいで売ってます)とにかく、暗い夜の中、AMラジオの音は、どれだけ人々を安心させることか。私は宮城県沖地震の時、本当に助けられました…。
6。水、食料は、外出先では得ることが難しいが、自宅には備えておきたい。水、食料は最低3日間は備蓄、と言うけれど、東京で大地震が起きたら、3日間で行政が動き出せるかどうか…。もうちょっと欲しいところ。

 都市機能のもろさは充分想像はつくものの、実際に起きてみると、あらためてその大きさに気づきます。電車に頼るしかないこの都市間移動で、「電車が止まる」=「生活が止まる」とも言えるのでは、と思います。きっと、バスなども、道路状態を考えれば現実的ではなさそう。結局自力移動でしか解決策はなさそうであり、その時頼りになるのは、自分の中にその町の「地図」が頭に描けるか?というところなのだと感じました。普段からの訓練が必要ですね。「災害時車いすマップ、ハンディマップ」などというモノが必要かも。(2005.7.)


「最近の電車のスピードについて」

 昨日電子どもたちと一緒に乗りました。どうも尼崎の事故から電車の先頭に乗るのがちょっと怖くなってしまい、一番後ろの車両に乗ったりしてるんですけど。子どもたちは線路を見たいんですけどね。「ここからも見えるさあ」とかいって、最後尾の走り去る車窓を見させる、と(笑)。しかし、感じたのは、常磐線の快速に乗って、直線コース。いつもだったらぶわーって飛ばしているような木がするんですが、なんか、妙にゆっくり。最高90キロでしたね。標識には120キロとか出てた気がしますが。土曜日だし、ダイヤに余裕があったのかもしれません。そうかと思うと隣のホームを特急列車の「ひたち」がすっごいスピードで通過していきます。同じ線路を130キロ強で飛ばすわけで。曲線の区間もあるから、今更ですが、過酷なダイヤで走っているんだな、と感じます。それが、利用者の求めているものなのか、他者との又は高速バスとの競争に向けた企業努力なのか、わからないけれど、少し私たち利用者も考えるべき時期に来てるのかもしれません。速けりゃいいのか、って。
 でも、今だから思いますけど、回復運転って、ちょっと考えちゃいますね。車内放送で「これから回復運転に努めます」とか言われると、今まではよろしくたのむよ、とか思ってましたけど、今はもういいよ、ゆっくり頼むよ、とか思っちゃいますね。仕事遅刻してもいいから、って。それくらい心に残る、大きな事故でした。
 そう感じていたら、やまなさんからメールが届きました。割と日常的に電車を利用している人にとっては他人事じゃないし、同じようなことを考えて利用しているんだろうな、と。そんなことを感じました。
<やまなさんからのメール>
 「JR尼崎事故の後、車いす乗車に対して対応が変化していないか確かめるため、大阪駅〜芦屋駅(山陽本線)、芦屋駅〜天満宮駅(東西線)へ乗車してみました。
 対応が丁寧になっていました!若い駅員はあまり変わりませんが、年輩の駅員は親切になっている感じがします。
 また、大阪駅は駅ビル大改造に備え、さまざまな付帯工事が始まっていて、ホーム改造が0番線から順に行われ、現在3番線工事中です。環状線や関空快速の0番線に新しくエレベーターが付いていました。今後数年間、大阪駅は工事でホームがいつもと変わったりしますので注意が必要です。
 東海道・山陽本線の新快速は直線区間が多く、時速130キロでぶっとばす感じですが、乗っていてずいぶん早いなあと思います。この前横浜〜新宿間の湘南ラインに乗った時は、カーブや高低が多くて危ない路線だなと思いましたが、東海道・山陽線の京阪神間は比較的真直ぐで軌道敷地も広くそれほど危ない感じはしません。(このスピードで私鉄の狭い軌道敷地だったら恐怖を感じるかな)
 駅員の話では、「本線は違いますよっ。」とのことでした。ちなみに大阪市営地下鉄の最高時速は70キロで、それ以上の高速運転は出来ないので安心して下さいとのことでした。電車のスピードにちょっと神経質になっているこの頃です。」
 
 電車から降りて改札に向かおうとすると、下の娘が「車掌さんに手を振らなきゃ!」といって、そのままホームに。いつの時代も憧れなんですよねえ。照れくさそうに手を振り返してくれた車掌さん、ありがとう。世間からの視線が厳しい今日この頃でしょうが、安全第一でどうぞよろしく。(2005.6.)


 新潟の地震を心配していたら、大阪のやまのさんから、とても考えさせられるメールを頂いたので、紹介します。

<やまなさんからのメール>
 「早いもので、あの大震災からもう10年。もう別世界の出来事のようですが、新潟や大津波の影響もあってか新聞もテレビも大々的に特集を組んでいます。私は大阪在住なので直接被害は受けなかったのですが、高齢の長兄が被災し救援に何回も神戸市の西端の町まで、被災地を横断し状況を体験しました。
 当時は車椅子使用者でなく、町の様子を見る事が出来たのですが、車椅子生活の今だったら、被災の真っただ中にいたらどうなるか考えるとゾッとしますが、シュミレーションして備えておかなければ命にかかわります。災害対策に障害者への視点は在るのでしょうか?DPIでも取り上げていない様に思うのですがどうなのでしょう。
●震災時に起る事
1、電気、ガス、水道が止まる。
  復旧は電気が早いが最短で3日はかかる。ガスは1〜3ヶ月必要。電気が止まると水道も出ない。電動は充電が出来ない。トイレも大問題。携帯、パソコンなど電気の必要なものはどうなる?
2、バリアフリーは無くなる。
  道路は障害物だらけになり、亀裂や段差が至る所に生じる。避難所まで行けるか、仮設住宅などで車椅子生活は出来るか。
3、公共交通機関は部分的にしか復旧しない。通常の乗り継ぎなど出来なくなり、自力で移動するか車で運んでもらうことの出来る範囲で生き延びなくてはならない。

 もっと色々あると思いますが、ちょっと考えてみただけでも難問山積です。火災や津波がともなうともっと状況はひっ迫しますが、とにかく3日持ちこたえれば何とかなると考えて、日頃から考えておかなければならないでしょう。
最低限、もしもの時頼れる人が周りにいますか?災害時の車椅子生活を考えることを始める必要があります。」

 なるほど、そうですね。やまなさん、ありがとうございます。私が思うに、障害を持った方々の避難の仕方を各地域の行政単位で考えておく必要がある時期に来ているように思います。
 例えば、大きな市に一つは養護学校があると思うので、そこを指定避難所に指定しておき、自宅近くの避難所で生活できない状況(たくさんの人がいて不安定になってしまい、大きな声を上げてしまう、深夜も看護が必要、風邪などの感染症が心配、普段飲んでいる医薬品(生命維持にかかわるものなど)の確保が必要、排泄面で特別な配慮を必要とする、等)であれば、事前に指定されている養護学校に行く、とか。あと、福祉センターとか、公民館とか。場所は養護学校じゃなくてもいいと思うんですが。誰が見ても、指定しても納得がいくような場所が理解を得やすくていいかな、と。
 でも、災害時は混乱することが予想されるから、あらかじめそこに避難した方がよい、という人の基準を作って、認定し、パスを発行しておくとか。そうすると、想定される人数もあらかじめ絞って置けるし、備蓄品、医薬品などを適切に準備しておけそう。そうそう、本人だけじゃなく、家族単位での避難になるでしょうから、人数を想定しておくことは大事になってくると思うので。
 災害が起こる前の、落ち着いたときによい手だてを考えておかないと、混乱した状況下では、行政の対応を待っているだけでは結局取り残されてしまう気がします。どんなものでしょう。もしかすると、障害者を一カ所に押し込めちゃうのか、隔離するのか?という意見も出てくるかもしれない。特別扱いじゃないか、とか。でも、本人や家族の努力だけではどうしようもできない状況って、必ず出てくると思う。だから、利用するかどうかはそれぞれで判断すればよいことにして。まずは、「避難所の避難所」としての<場所>を確保する必要があると思うのです。
 それぞれの市に問い合わせると、現在の取り組んでる動きを教えてくれると思います。皆さんの地域では、どうですか?
(2005.1.)


 今日の関東地方のNHK教育TVで福祉の特集をやっていて、そこで中越地震の被災地での障害者の生活にスポットを当てていました。そこで感じたことをここにメモしておきたいと思います。
1.車イスで生活している人が、地震にあったとき。
 ※移動の自由が制限される難しさがある。
 ○道路がでこぼこになり、車イスで走行ができない。また、割れたガラスも走行の妨げとなった。
   →逃げ道がなくなる!
 ○避難所は仮設トイレも使いにくく、建物の段差などもあり、過ごしにくい。
   →車の中での避難生活を余儀なくされる。
 ○電話がつながらない→メールでのやりとりはつながりやすい。
 ○自分なりの避難マニュアルをこの機会に作成した。
2.知的障害、自閉的傾向のある人、精神障害のある人が、地震にあったとき。
 ※目に見えない障害への理解の難しさがある
 ○新しい環境の変化になじめない。
 ○大きな声を出したとき仮設住宅に居づらい。(壁が薄いので)
 ○冷たい視線に耐えきれず、車中での生活を余儀なくされる。
 
 行政側も障害者がどこでどう生活しているのか把握できない、障害者が相談できる機関がない、という問題も。今後はコーディネーターを中心とした支援システムを構築していく必要があると、番組は締めくくられていました。
 私が思うに、障害を持っている人にとって、行き場所、居場所がないんですね。関西大震災では、避難所が混乱した反省を元に、数ある避難所のうち、養護学校を障害者の避難所として指定したとの話を聞きました。そうすることで、居づらいという思いも軽減され、情報が集約する場所としてセンター的な役割を担うことになる。「養護学校に行けば相談できる」という安心感ができると思うんです。それがこのシステムで一番のよいところだと思う。どうでしょう?ぜひ各地で知恵を出し合い、住みやすい生活を考え出していけますように−。(2004.12.)


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