がったん日記 2005年5月


2005年5月31日(火)「交渉の仕方〜<痛い>言葉と<あたたかい>言葉」

 皆さんは、何か交渉するとき、どんな風に交渉しますか?その交渉を成功させるために、どんなことに気を遣いますか?
 自分だったら、まず言葉かなあ。<痛い>言葉は、自分自身たくさん受けてきたから、それが一番効果があるような場合でも、できるだけ<痛い>言葉は使いたくないです。できることなら、<あたたかい>言葉を相手には投げかけたい。あと、気をつけてるのは、感情に走らないこと。時と場合によるけれど、あんまりよい方向に向かわない気がします。
 やまなさんと話していたときも、そんな話になって。福祉の話に交渉はつきものだから、そんな時どうしてる?なんて話になったんですよね。で、思うに感情的になってはいけない。それも、現場の人に感情をむき出してもなにも解決しないんじゃないか、と。現場の人は「規則ですから」と言って対応するしかないのであって、規則に感情を持ち込んでも時間の無駄だと思うって言うんですね。そうそう!いつも自分が感じてることを言葉にしてくれたようで、すごく嬉しかったんですけど。
 まあ、自分みたいに人相手の仕事をしてると、感情と感情のぶつかり合いみたいになることもあるし、感情に訴えかけていくときもある。それは相手が人間だから大事なこと。でも<規則>に感情はないわけで、もっと違ったアプローチが必要じゃないのか、と。そういったことをおっしゃっていました。
 その気持ちの切り替えが上手にできるためには、それなりの年齢にならないと無理なのかも、と思ったりもしますが(笑)。でもね、相手に自分の気持ちをわかってもらうために、一番どうしたらきちんと伝わるか。そのために注ぐエネルギーは大変なものだけど、うまく使える人になりたい。そういう風にかっこよく年を重ねたい、と、やまなさんを見ていて思いました。…別にお世辞じゃないですよ(笑)。心からそう思うんです。相手に自分の気持ちを伝えることがすごく難しいことが、すごく増えてきているので…。
 おお、今日で5月も終わり。明日から6月ですね。よい夏をお互い迎えましょう!では、また!


2005年5月30日(月)「福祉が<安全>にシフトするとき〜自己責任とは」

 そのやまなさんと先日(といっても1週間前くらいですが)話していたときに、安全が最優先になってしまうと、かなり行動制限が今後出てくるんじゃないか、と言う話をしました。確かに、尼崎の列車事故以来、車いすを利用しての列車乗車などにいままで以上に規制がかかることが予想されます。それでも乗ろうとすると、「そこからは自己責任で」と言われかねないな、と。
 しかしですねえ、確かに責任問題が言われて大変であろうことは想像に難くないですよ。だからといって、車いす利用者にそれをしょわされても困るわけで。車いす利用者だって、同じようにお金を払って乗っている乗客の1人です。それならば、改札の上に大きな横断幕を掲示するべき。「みなさん、電車は自己責任で乗りましょう!」…そんなこと言ってたら、苦情が殺到することでしょう。なぜなら安全は目には見えないけど、サービスの大きな柱であり、それは空気のようなもの。そこで勘違いしてはいけないのは、その安全は鉄道事業者が利用者に提供するもので、利用者に求めるものではない、と言うこと。(協力はもちろん必要だけど)。
 もし、車いす利用者が鉄道を利用するにあたって、何らかの不安なことがあったときには、事業者は安全に利用できるよう設備を改善する義務があると思うんです。その努力をせず、やれ、車いすを乗り換えて、とか、介助者がいない1人の乗車は困る、とか、ハンドル型の車いすはよくわかんないから、乗ってもらっても困る、とか…。それを<自己責任>というイラクで急に使われ出した言葉で問題をすり替えられそうで、なんかいやなんですよね。
 自己責任、大いに結構。この世の中、権利や主張を言うばかりの場面も目立ち、自己責任という考え方が足りないとは思います。でもそういう言葉をつごうよく使うもんじゃないですよ、とそういうことを言いたい「がったん」なのであります。言葉を使って情報を発信するものとして。
 なんか今日は大きなことを書いちゃった気がして気恥ずかしいです(笑)。また、明日。


2005年5月29日(日)「車いすの存在って、危険なの?」

 なんとか、体調も戻りつつある今日この頃。またぼちぼち再開しますので、どうぞよろしくおねが意志ます。
 さて、ちょっとお休みを頂いている間に、やまなさんからメールをもらいました。内容がちょっと気になる内容だったんで、がったんでも話題にできれば、と。
 考えてみたらですね。よく飛行機に乗るときなどは「機内用の専用の車いすにお乗り換え下さい。」とか、言われますよね。今はどうなのかわかんないですけど。私が友人と飛行機に乗ったときは、おお、16年以上も前の話で。で、どんな車いすかねえ、と話をしていたら、なんてことない、ちいさな、細い車いすで。「これに乗ったらかえって危ないんじゃないか?」と思ったことを覚えています。
 その車いすの大きさは、結局のところ機内の通路巾に合わせたものなのですね。でも、それはあくまでも飛行機の都合であって、お客さんの車いすの都合は考えてくれないのかなあ、と。結局、乗せてあげるのだから、ルールを守ってくださいねえ、と言われているような気がして。それでいいのかなあ、と、ずっと思っていました。
 そうしたら、やまなさんのメールを見て、やっぱりそうことって今もあるんだなと思ってしまいました。
 やまなさんのお知り合いの方が電動車いすで名古屋城で開催中の新世紀・名古屋城博に行ったら、場内に用意してある車椅子に乗り換えてくださいとか、電動車椅子を手動に切替してくださいとお願いされたそうです。乗り換えて、と言うのも困るけど、手動に切り替えてっ、て、そりゃかえって危ないだろう、と思うんだけど。もちろんその方も説明して最終的には入場できたようですが…。
 このようなことって、愛知万博でもあるようで、バリアフリーが少しずつではあるけれど浸透してきているのかも、というのは自分の大きな認識不足なのだと思い知らされました。ハード(エレベーターやスロープ)がいくら充実したって、そのエレベーターにわざわざ別の手動の車いすに乗り換えなければならなかったり、電動車いすを手動にしなければ乗れないのだったら…。それって、どこの国のお話ですか?って、聞きたくなってしまうなあ…。
 「がったん」も結局、何を今までやって来たんだろう、とか、つい考えてしまう。情報を相手、それも関係者にだけじゃなく、不特定多数の人たちにどう伝えるかを、これからすごく真剣に考えていかなきゃ、とあらためて考えさせられたお話でした。
 後日、新世紀・名古屋城博ではスタッフを増員し、電動車椅子で来場した人を先導して案内するようになったとのことです。「結局主催者は、本当は電動車いすは一般のお客にとって危険な存在と思っている対応のように感じます。」とのやまなさんの弁。全く同感、です。 


2005年5月25日(水)「風邪?、ひいちゃいました」

 なんてことだ…。妙な時期に風邪を引いてしまいました。熱が妙に上がって、でも、咳とか鼻水はないんですよ。おなかに来てはいますが…。やれやれです。疲れがたまったのかな?おとなしく(?)、ゆっくり過ごすようにしたいと思います。 


2005年5月24日(火)「気がついてもらうために」

 昨日の続きです。
 じゃあ、「がったん」はどんなことができるのか?ちょっとあらためて考えてみたんですけど、「気がついてもらう」為に情報を発信していく。これでいいんじゃないかと。
 別にね、気負って<使命感>に駆られてしまうのもちょっと違うと思うし。自分の感じたことを、伝えたいから書く。そのことで意見が違ったり、読んでる人が不快に感じたりすることもあるかもしれない。だけれども、自分が感じた気持ちを、大切に、いろんなことをこれからも発信していきたいと思っているのです。
 もうお読みになっている方は気づいている方もいらっしゃるかもしれませんが、私は車いすユーザーではありません。なので、ユーザーの方の視点を持っているかと言えば、そういいきれないところがあります。ただし、自分の生活の多くの部分で、<車いす>が関わっています。そこから感じること、また、車いす以外の問題や課題を、発信していくことが、今自分にできることなのでは、と、今回やまなさんやその友人の方にお会いして考えた次第です。
 まあ、言ってみればマイペース、と言うことですかね。今までもそうでしたけど、ゆっくりやっていきます。これからもどうぞよろしく、です。


2005年5月22日(日)「情報のある場所への道案内を」

 昨日大阪のやまなさんが東京にいらっしゃるというので、新宿でお会いして、いろんなことを話しました。またすこしずつ紹介していきたいのですが、特に印象深かったのは、情報の共有化、活動の横の連携の必要性について。
 欲しい情報がなかなか得られない、またはたどり着けないのはなぜだろう。視点は様々ですけれど、調査している人はたくさんいる。でも有益な情報がどこにあるのか?情報のある場所への道案内をしてくれる<役割>を担う人、ホームページ、もしくは団体がいない。
 昔は媒体として冊子版が中心だったから、それこそどこにどんな情報があるのかがわからず、せっかくの情報を共有することがなかなかできませんでした。しかし、今やインターネットでホームページを使って情報を発信できるようになり、随分便利になりました。リンク集でいろんなホームページを渡り歩けたりしますしね。だけれども、なんか、もう一つ足りない気がする。すっきりしないっていうか。自分の望んでいる情報がもっとあるはず。それをなんとか見つけたい。
 横のつながりって、簡単そうでいてなかなか難しいんですよね。主義主張、あと、自分たちが調べた、という自負もあるだろうし。ただ、情報をもっと共有することができたら絶対便利なはずで。一元化、とまではいかなくても、上手にリンクし合うなど、できることがあるような気がします。
 そんなことを考えていたら、神奈川県の福祉輸送事業連合会「お出かけ応援団」さんから名称変更のメールをいただいたんですね。「お出かけ応援団」さんは神奈川県の福祉タクシーのネットワーク作りに取り組んでいらっしゃるんです。トップページには以下の言葉が書かれていました。「利用者の方の利便を「最優先」に考え、事業者間の情報・連絡を密に取り合えるネットワークを構築致しました。福祉輸送事業連合会ならびに連合会会員にご依頼を頂いた移送(送迎)業務を99%(ご依頼に対する移送実績率)を達成させて頂いております。一事業者だけでは不可能な事を、事業者間のネットワークで可能にしました。」
 簡単なことに見えるけれども、実は難しいこと。「がったん」にそういう役回りができるかどうか。どんな取り組みをしていけばいいのか、今考えていることを次回書いてみようと思っています。


2005年5月18日(水)「どうしても本業が忙しく更新できずすみません」

 すみません、更新をお待ちいただいてる方。どうしても本業が忙しく、「がったん」に割ける時間が取れません。よって、もう少し更新できるまで時間を頂くことになりそうです。どうぞよろしくお願いします。
 今週、来週と運動会の歓声が聞こえてきそうですね。何ごとにもよい季節と言うことなんでしょう。そういえば、今日職場から大きな虹が見れたんですよ。それも二重の!二重の虹なんてはじめてみました。なんか、それだけで嬉しい。そして、それだけでワクワクできた自分が、嬉しかったです。
 5月。元気にいきましょうね。


2005年5月14日(土)「車いす支給条件や安全についてやまなさんが考えていること

 やまなさんからメールが届きました。以前この「がったん日記」でも紹介したハンドル型電動車いすですが、まだまだ知名度が低い、ということなのでしょうか。私自身やまなさんにお会いして、はじめてハンドル型電動車いすを見たときの衝撃はとても大きくて。安全かな、とも感じたし。ただ、どこかで「線」を引こうとするのではなく、使う人が判断することができるようにしないと、せっかくいい物も利用しにくくなっていくなあ、と感じました。よく中学校でヘルメットをかぶって自転車に乗ってる子どもたちを目にしますが、心配したらきりがないし…。安全=責任の昨今。それが行き過ぎると生活はしにくくなるわけで、その兼ね合いを考えていく必要があると、あらためて感じました。

<やまなさんからのメール>
1、補装具支給で電動車いすを制限している誤りについて
 今、大阪市では補装具として電動車いすを申請出来る条件に重度の下肢機能障害であって、電動車椅子によらなければ歩行機能を代替え出来ないもの」との国の基準に加え、上体にも障害があること」とし、下肢障害1級でも申請させてくれません。理由は手動車いすが使える障害者が電動を使うと、身体機能が衰えるからだそうです。でもこれは真っ赤なウソで、真意は高価な電動が増えると予算で賄えないからと誤解しているからです。
 手動車いすで介助無し外出は、普通の歩行障害者にはとても無理なのは、皆知っていることなのに、外出の意欲を削ぐことを制度として行っているのです。電動を使い、介助無しで、好きな時に自由に、数多く外出できる方が身体機能の改善にも有効なことは明らかです。上体に障害が無いが歩行できない人はかなり多いと思いますが、全身の重度障害者と違い重装備の電動車いすは必要ありません。機能は優れているが、価格も安くて簡単につかえる車いす=小型ハンドル型なのです。福祉職員の話では手動車いすの補装具支給金額は、少し改造を加えると15〜6万円程度になっているそうで、なんと小生の電動車いす定価13万円余の方が安い!
 変な制限をせずに自立単独外出を促進する方が、介助費用を負担するより安上がりなのに、なんで気がつかないのでしょう。10万円を少し越す程度の機能的な電動車いすを国産でも開発して(製造は安い外国でやれば十分可能です)普及させると、自立には役立つと思うのですが。大阪市で上肢障害が無くても電動を補装具支給される実績を作ろうとしています。

2、安全と自由について、リハビリセンター看護士さんに話したこと
 昨日、大阪市のリハビリセンターに初めて行き、電動車いすの補装具支給の必要性の判定を受けました。判定医に付いていた看護士さんは小生の小型電動車いすに関心を持って話し掛けてきました。「安全ですか、転倒しそうに見えるのですが」これがいつも一番よく聞かれる定番の質問です。専門家ほど普通の車いすに慣れていると危なっかしく見える様です。介護関係者はほとんどそう質問してきます。日本の国が車いすとして認定しているものが危ないはずありません!
 考えてみて下さい、普通の車いすの巾で普通の市民生活ができますか?世の中は車いすの巾を基準に出来ていません。障害者でも高齢者でも社会参加するための最低限を確保しようとするのがバリアフリー法でありハートビル法ですが、車いすや障害を持つ人の為の「特別な基準」にすぎません。これが一般的な基準になるまで、現実に合った車いすが必要です。「大型のものは安全、小型は転倒しやすい」こんな単純な考えで車いすを考えている人が多いのです。なぜなら私への質問は何時も決まって「安全ですか?」安全ってそんなに大切ですか?自由に行きたい所に行けることを我慢するほどの価値がありますか?どちらを選択するかは個人の判断です。こんな時に使うのが「自己責任」ではありませんか?
 JR事故で世の中が過剰に安全にシフトしては困るなと案じています。車いすの世界は既に、十分すぎて困るほど安全第一主義がはこびっています。安全の基準は非常に個別的な面と一般的な面が、両立しなければばらない難しい点はあります。鉄道事業者などに求められるのは一般的な安全の確保ですが、それに対応して個々の安全は、他人がきめるので無く自己責任で決めるのが原則ではありませんか。独り善がりでなく合理的な判断の選択なら、安全は人に決めてもらうものでない、自分で決められる自由こそ、自立した社会生活をおくる基礎だと考えているのですが。


2005年5月11日(水)「みんなでデータベース、作りましょう」

 九州の海老津駅の情報をしらかわさんより送っていただきました。ありがとうございます。あと、宮城県仙台駅の最新情報をアップしました。
 よろしければ皆さんも、お近くの駅の情報を「がったん」までお知らせ下さい。調査用紙もありますので、ご活用下さい。みんなでデータベース、作りましょう!


2005年5月10日(火)「視覚障害者のホーム転落事故について」

 昨日はたまさんのメールを紹介しました。私自身、視覚障害についてあまり詳しくないので、大きなことは言えないんですけど。いろんな方の話を聞きながら、自分なりに感じたことを言葉にしていけたら、と思ってます。
 
 今日は視覚障害者のホーム転落事故についてやまなさんのレポートを紹介します。
 「この頃、視覚障害者のホーム転落事故が相次いで報道されています。今日も新幹線の新山口駅で、点字ブロックが設置されていない場所での盲導犬の誤誘導による転落事故が新聞に大きく載っています。
 本格的な対策はDPIなどの主張のように、ホームゲートの設置が一番でしょうが、システム導入に関わる設備は費用の点でも困難で新設の路線以外では普及していないのが現実です。いつも思うのですが、何故周りに人がいる所でこんな事が起るのか、皆でどうしてサポート出来ないのか、もどかしく感じています。
 次善の策として列車の乗降口以外の部分には可能な限りサクを付けること、簡単なモノでよいから早くやる!これは各駅で実態に合わせて要求を出して行く事が必要です。
 お金がかからず直ぐ出来ることがもう一つあります。視覚障害の人がホームに入ろうとしたり、乗降する時周りの人が必ず声を掛けて手助けする。乗車の時は改札で行き会わせた人が誘導する。下車の時は改札迄誘導する。この事が社会的な習慣になるよう学校で教育したり、マナーとして定着するように皆で実行する。当事者の方々も自信があってもホームでは、自分に方から声を掛けて誘導してもらうようにしては如何でしょうか。
 視覚障害の当事者でないのでこんな事が本当に良いのか分かりません。ご意見を聞かせてください。」
 
 私も先日家族みんなで、「クイール」という映画を見たんですけど、<見えない>という世界で生活するということ。その世界はなかなかイメージしにくいと感じます。中でもホーム上の転落防止柵は、ぜひ設置を進めて欲しいと思います。写真は埼玉高速鉄道の東川口駅の転落防止柵です。
 安全に関しては、今の技術でできることはすべてしていく。尼崎の事故のATSシステムもそうだし。お金はかかることかもしれないけれど、ぜひ。


2005年5月9日(月)「点字ブロックのもつ意味とその働き」

 広島県福山市のたまさんからのメールの続きです。
「JR宮島駅からの点字ブロックが灰色のタイルと同化して弱視者には不便でした。」
 言われてみると、この種のタイルが多いですよねえ。全盲の方だけじゃなくって、弱視の方にとっても点字ブロックは大事な物。特にあの「黄色」の色が視認性が高いということで黄色になってると思うんですが、景観上よくないと考えているのか、銀色や茶色、道路のタイルと同化していることが多いですね。
 写真は宮城県仙台市の中央通りですね。そのアーケード内の通路に点字ブロックがあるんですけど、ここも「茶色」でした。また、この周囲のタイルがつるつるで、滑りやすいんですよね、雨で濡れると。何とかならんですかね。
 まあ、この歩道に黄色のブロックの色は、浮いてしまうような気もしますが、逆に周囲から「浮く」と言うことは、見えにくさを感じている人にはとてもいい環境と言えるのでしょうね。点字ブロックのもつ意味、働きなどを知っていれば、このような設置の仕方はできないと思うんですけど。なので、知ってもらう努力をし続けなきゃ、と言うお話でした。
 次回は、視覚障害者のホーム転落事故について、やまなさんのレポートを紹介します。


2005年5月8日(日)「ホームページビルダー9に更新」

 今までがったんは「ホームページビルダー6.5」で作成してきましたが、このたびたびバージョンを「9」にアップしました。そのことででどんなことができるようになるのか、多機能なので謎ですが、いろいろ試してみるつもりです。しかし!なんだかまったりした動きになっていて、入力して変換するのにすごくストレスがかかるんですけど。しばらく様子を見るつもり。相性ってあるんでしょうね。やれやれ。


2005年5月7日(土)「声、出していきましょう」

 広島県福山市のたまさんからメールをもらいました。
 「尼崎の事故・地震の避難所生活…他人事でありませんねぇ。今住んでいる場所から避難所が遠いし車いす生活をしてる事を近所の人は知らないのでどうなる事か?名古屋の洪水の時も知人の一人は電動車いすが水没しエレベーターも止まり救助隊が来なくて仲間がボートで救出に向かったと聞いてます。ちゃんと震災を教訓にマニュアル作ったのに…。福山市は洋式トイレも少なくポータブルも15個しか予備がないので避難所なんて行けないしどうなるんかなぁ?支援法は改悪の方に向かってるし、社会的弱者はどんどん生活しにくくなってる様に思えます。介助を受けないと生活できない者からお金を搾取するなんておかしいと思うのですが、精神障害者も通院時に5%負担のおかげで薬をもらったり治療を継続する32条が廃止されそうで大変です。がったんさんもできる所から頑張ってみえてすごいと思いますがまだまだ在宅や施設に隠れてる人も、多い現実を多くの人に知ってもらわないと変わらんのかなぁ?」
 みんなそれぞれの立場で、先日の尼崎の列車事故は衝撃を受けていて。そのことが、一般の列車事故(列車事故に一般もなにもない気がしますけども)と違って、いろんな問題を含んでいるのだと言うことを、あらためて実感しました。別に社会には、列車事故だけじゃない問題が山積みで。しかしながら、当事者じゃなければわかりにくい問題もあるわけで。多くの人に知ってもらうことの大切さを感じます。たまさん、声、出していきましょう。


2005年5月5日(木)「わかりやすい、ということを、もっと!」

 今、仙台の帰省が終わり、高速バスの中。仙台へいくときは新幹線だったですが、帰りはお安く。ホントは行きも高速バスにしたかったけれど、夜行となると、自分の体力に自信がなかったので…。20代に駅の待合室で寝たりもした頃の猛烈なエネルギーは、すっかりなくなってしまいました。だって、夜行の座席で過ごした翌日は、眠いし節々痛いしで、仕事になんなかったりするんで。棒に振るよりは新幹線、と。あと、時間ね。新幹線の「はやて」だと、東京−仙台が1時間30分弱で着いちゃうんですよねえ。高速バスだと約6時間。プラス渋滞にはまればさらに数時間。でも、滅多にないし、渋滞にはまることなんて。私自身、今まで体験したことないんですよね。早着することはあっても。
 しかし。私は天下のGWを甘く見ていたのかもしれない…。今、高速で福島県に入ってきたんですけどね。さっき、国見SAで渋滞情報を聞いたら、断続的に渋滞していて、浦和料金所までトータル4,50キロの渋滞ですって!こうして書いてるうちに、事故処理とかで止まってしまいました…。このバスは21時45分に東京駅着なんだけど、いったい何時に着くのでしょうか…。2時間遅れて24時まわったら、今日中には千葉には帰れないと言うことになりますね。…ああ、なんか、新幹線の方が安かったかも(笑)…って、笑ってる場合じゃないんですが(笑)。
 で、今朝(5月4日)上野駅ホームで、写真の表示を見つけました。エレベーターの位置を示したものですが、シンプルですが、わかりやすいかな、と。で、矢印の方向に行くと、まあ、もう一つ表示があります。ただ、最初の表示にまず気づくことが大前提であって、どこかしこにでもこの表示があるわけではなく、大きさも視認できるかな、という状態ではありますが。でもでも、わかりやすく前進はしているかな、と。で、上野駅新幹線ホームの床面を見るとですね、先発列車と後発列車の整列位置を色別にテーピングしているんですね。ですので、エレベーターの位置情報も、壁などの表示と床面表示と並記していくと、便利になるなあ、とあらためて思いました。
 アイディアって、いろいろあると思うんだけれども、規格がまちまちだと混乱したりしてしまいがちなので、もっとアピールして、スタート段階である一定の方向性が出せていければと思うんですけれども、なかなかアイディアや意見をまとめていく場がないんだな、とあらためて感じますね。うまい具合に、なんか、アイディア集というか、ヒント集というか、ネタ集みたいなページを「がったん」上に作ろうかな、とも思ったりもしますが。以前やまなさんと話題にも出ていたんですが、「車いす学会」みたいな意味合いの。
 それを考えたときに、今「がったん」のホームページ上に「がったん「つぶやき館」「写真館」(日記、テーマ別倉庫)トイレ、マーク、駅、垂直移動等の写真やがったん日記をテーマ別に掲載」というコーナーがあるんですけど、これを発展させて、車いすにまつわることを考えていくページにできればいいかな、と。基本的には「がったん日記」のダイジェスト版なんですが、もう少し項目を整理して、あと、今までの掲示板への書き込みなども整理してですね、まとめたならば、面白いだろうなあ、と…。う〜む…。…その時間がどこにある!と言われそうですが(笑)。え?いやいや、かみさんに(笑)。いや、待て、隠れ同僚か(笑)。まあ、私のいいところは、できる範囲でがんばるところですから。(トカイイナガラ、ヤリハジメルトコンヲツメテムチュウニナルクセニ、ナ〜ンチャッテ)。ま、まあ、今の思い、というか、夢を語ったと言うことで。
☆結局バスは24時直前に2時間遅れで着き、25時頃家に着きました。ふ〜。


2005年5月4日(水)「がったんを<データベース>から<広場>へ」

 今、福島駅。新幹線で仙台に帰省中です。自由席ですが、GWとはいえ中日。あれ?と言うくらい空いてます。まあ、一番電車ですからね(笑)。空いていても当然かな。しかし、あの大阪の事故のあとなので、ちょっぴり緊張しちゃいました。というか、緊張してます。常磐線の普通列車も、なんだか、真ん中の車両が妙に混んでいて、両端の車両付近は空いていたように思いました。その反面、新幹線は仙台に向かう列車は、指定席が先頭、自由席が後ろ、とあらかじめ決まっていて、あんまり選択の余地がない。逆に、仙台から東京へ向かうときは自由席車が先頭で、指定席が後ろになると。なんだか、それも、運命、と言ってしまえば、それまでなんだけど、指定券を見て、先頭車両だったら、ドキ、ですよね。
 で、掲示板でしらかわさんも書いていらっしゃいますが、身障者用席って、編成のどちらか一方の端側に設定されることが多いと思うんですね。これもまた、選択の余地はない。おまけに、普通列車とかだと、車いすを利用してるとそれこそ先頭車両か最後尾車両に誘導されることが多くて。事故がなければいいんですけど、なんか、考えてしまいます。
 今回の事故もそうですし、以前の様々なテーマに関して、いろんな方からメールなどでそれぞれが感じたことを寄せていただくことが増えました。私自身はじめて知ることも多かったりで、勉強になることが多いですし、なにより「そういうことで困っている人がいるんだ」とか、気づくきっかけになってると思うんです。
 <障害>というテーマはすごくデリケートなテーマで、私自身すごく言葉を選びながらこのホームページを育ててきました。これからも、その姿勢は変えることはありませんが、もっといろんな意見をちょっと勇気を出して発信していくことも大事じゃないか、と。考えているんです。社会がいろんなカタチで動いている今、単なる「データベース機能」としてだけではなく、小さな声かもしれないけれど、自分達の気持ちを伝えていく「広場」としても「がったん」を機能させていきたいと考えています。
 なんだか、今日は大きなことを書いてしまいました(汗)。では、また!


2005年5月1日(日)「続・鉄道事故。その時…」

 きょうさんからメールをもらいました。読んでみて、思わず頷いてしまって。きっと思い当たる人がいるはず…。そう思ってご紹介しますね。
 「あの事故のニュースを聞いていて、私はすごく心配になりました。車いすで電車を利用する時、乗降に時間がかかる時があります。駅員さんがスロープを用意して、一般の乗客が乗り込んでから車いすでの乗車になります。混んでいたり、乗降客が多かったりすると、余計に時間がかかることにります。私は、今まで時間がかかってもいいじゃないか、かかると言っても1〜2分のことだから、そのくらいは他の乗客の方には待っていてもらおうと思って利用していました。
 この事故の原因はまだ解明されていません。ニュースなどで色々なことが取りざたされていますが、その中に列車の運行時間のことも言われてています。列車が遅れることはあってはならないことのようにも言われています。列車の遅れを取り戻すために、スピードが出ていたとしたら・・・と考えると、乗降に時間はかけられないのかとも思ってしまいます。実際私が利用する在来線は乗降時間がすごく短いです。1分も止まっていないのではないかと思われるほどです。
そのくらい余裕がない時間のなかで、私達がほんとうに安全に電車を利用して移動ができるのかと心配になります。
 こんなことを考えていると、もう、JRだけの問題ではなく社会全体の問題として解決して行かなければ、いつまた同じようなことが起きるかもしれませんよね。せっかくのゴールデンウィークの始まりに、気持ちは暗くなりがちです。」
 私が住んでいた田舎の普通列車でもここ数年、「停車時間はわずかになっております。降りる準備をしてお待ち下さい。というアナウンスが結構流れている気がします。お年寄りが多いのにもかかわらず、大変だなあと思ってました。田舎の場合は単線で、反対列車の行き違いや、特急列車の追い越しなんかがあるから、ちょっとでもダイヤが遅れると、全体がめちゃくちゃになる、と。都会の場合は、他の列車への乗り換えなどに遅れが波及する…。その根本的な問題は、限られた線路にぎりぎりの列車を走らせようとすることによる無理が、どこかにあるからではないか。と、そう思うわけです。都会で言えば、列車を1分、2分スピードアップすることに、どれだけの意味があり、どれだけの人がその1,2分を望んでいるのか。そりゃあ、1,2分早く着けば着くことにこしたことないけど、別にそうじゃなきゃないで、生きていくことはできるし。乗り降りのたびに「早くしろよ!」なんて声をかけられるようになったら、ホント暮らしにくいですよね。「ゆっくりでいいよ」なんて声をかけれない社会なんて、やっぱり間違ってると言うことを、哀しくも証明した事故だったと言うことなのでしょう。それにしてもあまりにも代償が大きい…。同じことが起きないために、もう一度「時間」や「生活スタイル」を考え直す必要がありそうですね。子どもたちが今の生活が「当たり前」だと思わず、大きな犠牲の上に成り立っているということを少しでも感じてくれるよう、私たち大人が生活していくことが最大の防止策なのかな、と思った今日この頃です。
 ごめんなさい、きょうさん。うまくまとまらなくって。