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2020年5月8日(金)「大きな駅でも、駅員さんがいないかも…」

 実は、自分が住んでる近くの駅もそうなんですが、早朝の時間帯に駅員さんがいない駅があります。そこそこ利用客の多い駅なんですよ。なのに、みどりの窓口が廃止され、今度は駅員さんが早朝いなくなり…。その昔には、ホームにも駅員さんが必ず列車が入ってくるときにはいたものですが、それどころか、駅自体に駅員さんがいなくなるとは…。
 その勢いが加速しているという記事を、今日見つけました。そこから読み取ると、現在対象となっているのは、以下の駅のようですね。正式に公表されていないので、ハッキリしないところもあるのですが。しかし、なんで公表しないんだろう?

都市部に広がる〝無人駅〟五輪会場の最寄りにも JR東「事前に要連絡」 車いす利用者ら「乗りたい時に…」
共同通信が確認した駅員が一時不在となる83駅(2月末時点。18年度統計で1日平均乗車人数1万人以上、都県ごとに乗車人数の多い順)
【東京都】国立、西八王子、東小金井、日野、昭島、信濃町、成瀬、八王子みなみ野、千駄ケ谷、南千住、福生、小作、北府中、羽村、三河島、新小平、中神、相原、谷保、西府、矢野口、西国立、尾久
【埼玉県】東大宮、桶川、宮原、北戸田、新座、戸田、鴻巣、北本、南与野、吉川、新三郷、北上尾、土呂、東所沢、与野本町、籠原、三郷、日進、中浦和、白岡、栗橋、指扇、西大宮、北与野、深谷
【千葉県】南流山、南柏、幕張本郷、馬橋、北小金、下総中山、新検見川、西千葉、北松戸、東松戸、東船橋、天王台、北柏、船橋法典、千葉みなと、検見川浜、市川大野、八幡宿
【神奈川県】鴨居、淵野辺、新杉田、港南台、稲田堤、古淵、十日市場、洋光台、矢向、中野島、平間、久地、二宮、向河原、鴨宮、矢部、小机

今後列車を利用するときには、注意が必要ですね。どう注意すればいいかが、情報が少ないために難しい側面もあるけれど…。


2020年5月6日(水)「改札口の幅について~小さな駅だと車イスが通れないことも…」

 駅を利用するときに困ることの1つに、改札の幅がありますね。一般的に、自動改札は55センチ~60センチが一般的で、車イスに対応した自動改札は90センチほどあります。
 で、今日の話題は、昔の駅はどうだったか。というか、昔の駅が、現在も地方では現役だったりします。木造駅舎などは、まるで映画にでも出てきそうな雰囲気。今回更新した宮崎県のえびの駅などは、駅本屋が国登録有形文化財になっていたりする。で、木製の箱形の改札だったりするわけで。で、さすがに木製とまではいかないにしても、自動改札が導入されていない駅では、ステンレスの箱形タイプや、鉄製のパイプ?の枠組みでできた改札だったりするのです。そうすると、幅がとても狭い、ということが起きてきます。まあ、手動タイプなら最悪介助者に助けてもらって、折りたたむこともできるのでしょうが、電動タイプならまず無理。駅員さんがいる駅だったら、脇の通用口とか、駅員さんの通路を通してもらうこともできましょうが、無人駅で、それも代わりのルートがないとなると、その駅は使えない、ということになります。
 以前、私が大学生だった30年ほど前に、宮城県の全141駅を調査したことがあります。仙台市営地下鉄に自動改札が導入されていましたが、JRはまだどの駅にも自動改札はなく、駅員さんが改札に立って、スタンプを切符に押したり、小さな駅ではパチンパチンと鋏、そう、パンチを入れていたりしましたね。で、切符の一部分が切り取られ、入場の印、使用済みの印になる。で、その鋏の形も様々で、時間帯によって使い分けたりして不正を防止していたわけです。…ごめんなさい、ちょっとマニアックな話に(笑)。
 で、なにを言いたいかというと、なぜ改札が狭いか。それは、1つの理由として、あえて人が一人しか通れない幅にして、すり抜けなどの不正予防の意味合いもあったのだと。ただ、そうすると、車イスを利用すると通れない。でも、駅員さんがだいたいはどの駅にもいたので、他の業務用通路とかに案内してもらえていました。そもそも、30年前、宮城県などの地方では、車イスを使用して鉄道を利用することが本当に難しい時代でした。新幹線や地下鉄以外は、ほぼエレベーターはなし。県庁所在地の仙台駅ですら、業務用エレベーターしかなく、駅員さんに事前に電話して断って利用させてもらう…というスタイル。だから、せっかくのマップも、使えない駅の紹介ばかりだったので、「<使えない>マップ」と言われたりしたものでした。
 で、当時の改札は、というと、だいたい55センチのものが多かったです。狭い改札だと当時の涌谷駅51センチ。船岡駅47センチ。当時の鹿折唐桑駅や大谷駅、名取駅は「狭い!」と書いてあります(笑)。明らかに無理、と思えた狭さだったのでしょう。ん?名取駅は結構大きな駅だったので、もしかすると調査時に改札にいつも駅員さんがいて、恥ずかしくて幅を測れなかったのかも。そうそう、昔は各駅すべてメジャーで測ってたんです。こっそり(笑)。一番狭かったのは、陸前階上駅の43センチ。今ではどんなタイプか思い出せないのですが、鉄パイプ?式だったかな。陸前階上駅、大谷駅、鹿折唐桑駅は東日本大震災の津波の被害を受けて、駅舎が被災し、BRTシステム、まあ、簡単に言うと、バス運行になったので、比較はできませんが…。
 地方の駅は昔ながらのスロープが設置されていることが多く、せっかくホームから改札までアクセスできても、改札で通れない、ということがあり得るわけです。そして、無人駅だとすると、助けも呼べない。駅員さんがいる駅でも、早朝夜間、週末は不在という駅も増えてきています。どうぞ、小さな駅を利用するときは、充分に事前の下調べを!


2020年5月5日(火)「長崎県内のJRの駅情報を更新、追加しました~20年前と、今」

 長崎県内のJRの7駅の情報を、約20年ぶりに更新しました。20年経って感じたのは、以前はまず、全国の主要駅を掲載しようと一生懸命全国旅をしていて、それが一段落してから各地の小さな駅をフォローする形で現在まで来ています。月日が流れるにつれて、ネットも常時接続が当たり前になり、いろんな方々が情報発信できるようになって、主要駅の情報は簡単にアクセスできるようになりました。では、「がったん」は、そのネットでまだまだ拾えない、小さな駅の情報をフォローしよう!鉄道会社でも発信していない、「利用しづらい駅」の情報を発信していこう、と考え、現在活動中です。で、そちらにエネルギーを注いでいるとですね、以前の情報が古くなり、今回の長崎県のように、あらためて見直すと、以前掲載していた7駅すべてが、エレベーターがついて、身障者用トイレが設置されている、と。20年の月日はそれだけの時間なわけですね…。
 で、今回追加した16の駅は、無人駅が大部分を占め、階段での利用が種の駅が多いです。その反面、小さな駅だからこそ、ホームからそのまま出れてしまう駅もあったり、スロープを活用できたりもします。そもそも、1日の乗降客が10人前後の駅などは、車イスを使用しての利用という需要があるか?という別の話もありますが…。ただ、「がったん」としては、そこに「駅」が存在し、「生活」があることを前提に、発信を続けていきたい。駅は、町の、人々の生活の中心です。これからの高齢化社会でも、車社会から公共交通機関中心の社会へ確実にシフトしていくはずです。そのとき、必ず駅が、鉄道が見直される時が来る。私はそう信じています。
 これからは、新しい駅情報の追加をしつつ、今まで掲載していた駅の情報も、ネットを調べながら更新していきたいと思っています。首都圏などの大きな駅は、すでにエレベーターなどのバリアフリー化が完了している駅がほとんどだと思うので。逆に、「え?この頃って、階段しかなかったんだ、こんなに不便だったんだ!」という、資料的な価値があるか…な(笑)。まあ、でも一番は、「今利用できるのか?」が大事だと思うので、まずは最新の情報を発信したいです。昔の情報を知りたい!というときは、冊子版をご利用下さい。全国主要1097駅掲載!まだ在庫あります(笑)。数十冊あります!2002年に出した冊子だから、18年前?掲載してる駅はもっと古いのもあるので…。まあ、卒論の資料とか、何かのお役になりましたら幸いです。ご希望の方は、トップページ、またはこちらからどうぞ!


2020年5月4日(月)「松浦鉄道の長崎県内の駅情報を追加しました」

 長崎県内の松浦鉄道の駅の情報を追加しました。松浦鉄道さんは、佐賀県と長崎県にまたがっていて路線が長く、駅数も多いです。元々は旧国鉄の特定地方交通線でした。全57駅のうち、駅員さんがいる駅は7駅。無人駅が圧倒的に多く、そのため、車イス等を使用した場合、単独利用は困難が予想されます。
 しかしながら、沿線は5市2町に関わる動脈の役割もあります。区間によってはバスではまかなえない程の輸送量もあり、鉄道の存在を問われているとも言えるでしょう。地域の高齢化が進んで、自家用車の保有率が下がっていくことが今後予想されます。ましてや、高齢ドライバーの事故等が社会問題化される中、「移動」を「生活」の問題としてこれから真剣に考えていく必要があるのではないでしょうか。
 高齢化、自然災害。様々な問題が山積みです。全国に、松浦鉄道さんのような小さな鉄道会社は他にもあります。今後も「がったん」は、鉄道のあり方をいろんな視点から取り上げていきたいと思っています。


2020年5月2日(土)「島原鉄道に続き、松浦鉄道の佐賀県内の駅情報を追加しました」

 昨年の12月に調査したデータを追加しています。前回は島原鉄道、今回は佐賀県内の松浦鉄道、次回は長崎県内の松浦鉄道とJR線と続きます。


2020年4月26日(日)「がったん、再始動しています」

 いつも、久しぶりに更新した後、日常に追われて結局尻すぼみ、ということが続いてきたここ数年なのですが、今回はこの新型コロナ騒動で、まさかの非日常が訪れました。この非日常の生活にも、それはそれで慣れるのに時間がかかっているんですが、気持ちを切り替えて向き合っていこう、と考えられるまでになりました。あんまり難しく考えても、いい答えは出ないし。仕事も日々刻々といろんなことが突然変わったりで、もう、振り回されて疲れてしまうし。ならば、「がったん」と向き合うことで、ちょっと、自分を立て直そうと。「書く」ということが自分にとって大切なことだとは感じていたけど、こんなにも自分を助けてくれる行為だとは思ってもいませんでした。
 なので、これからは今まで貯まっていた調査駅のデータを新しくアップしつつ、今まで載せていた駅情報を、ネットで確認作業を行いながら更新していきたいと思っています。掲載駅数も、ちゃんと合っているのやら(笑)、というところもあるので(笑)。これを契機にきちんと整理してみようと思っています。そして、また調査の旅に出たい!…と思うけど、それはさすがにしばらく無理そうなので、まずは足場を固めます!
 みなさんもそれぞれ大変な毎日を過ごしていることと思いますが、とにかく体調にお気をつけてお過ごし下さい。窓の外はとてものどかな春の日。なのに、非常事態とは信じがたい、そんな毎日。だけど、ココロはしっかり保って、健やかに過ごしましょうね。


2020年4月18日(土)「新型肺炎の影響について~みなさん、お元気ですか?」

 一年ぶりの更新となってしまいました。みなさん、お元気ですか?
 新型肺炎の影響で、今までの日常が非日常となり、先行きの見えない日々が続いています。そんななか、鉄道の周囲にも大きな変化が見られてきています。今後この状況が長引けば、バリアフリーの考え方にも大きな影響が出てくることでしょう。まずは、今の生活を安定したものにしていく努力をしていきたいと思っています。
 この一年は仕事も大変忙しく、「がったん」と向き合う時間をなかなか作ることができませんでした。しかし、まさかの新型肺炎に大きな影響を受け、これからの状況も見通せない状況です。毎日電車通勤の自分としては、今回のコロナウイルスは、自分のこととして毎日ニュースと向き会うこととなってしまいました。自分自身の気持ちの持って行き場所がうまく作れない状況の中、「書くこと」を通して「自分の日常」を上手に維持していきたいと思っています。
 なので、今までできなかったことに、時間を見つけて取り組んで行くつもりです。
 みなさんもどうか、お体大切に、毎日をお元気でお過ごし下さい。お互いそれぞれ置かれた状況は様々だと思いますが、がんばって参りましょう。では、また。


2019年3月17日(日)「3月23日、三陸鉄道がひとつに!」

 3月23日(土)に、岩手県の三陸鉄道がJR山田線の釜石~宮古間を引き継ぎ、南リアス線と北リアス線と合体して、「リアス線」として生まれ変わります。東日本大震災から8年。未だに宮城県にある気仙沼線柳津駅から気仙沼を通り、大船渡線盛駅まではBRTというばすでの運行となっていますが、盛駅から久慈駅まで鉄路で結ばれることになります。三陸鉄道のホームページでは、以下のキャッチフレーズが。「2019年3月、大船渡(盛)から久慈までがひとつにつながる。日本最初の第3セクター・三陸鉄道は、日本最長の第3セクター・三陸鉄道へ。163kmの想いをこめて マイレール・三鉄。」がったんも、三陸鉄道を応援したいと思っています!三陸鉄道のホームページでは、カウントダウン実施中です。ぜひご覧下さい。


2019年2月24日(日)「がったんのこれからについて、今、考えていること」

  現在、様々なマップが発信されていて、ネット環境を駆使した視覚的にも見やすく、情報量も多角的で詳しい、総合的なホームページがすでに複数存在します。「がったん」は基本的にテキストベースの情報であり、掘り下げるべき内容もまだまだ浅く、中身も素人感覚の域を出ないと言わざるを得ません。言うなれば「自己満足」と評価されてもおかしくなく、IT時代に乗り切れていない内容であると感じています。
 では、今自分が考える「がったん」の強みとは何だろうかと自問自答してみると、都内の大きな駅を掘り下げることは十分ではないとしても、「使える、使えない」というざっくりとした情報であれば、全国の各地域の小駅でもケアできるフットワークの軽さが、大きな武器であると考えています。そして、各地域にスポットを当てた視点ではなく、全国から地域を俯瞰した視点で見ることで、バリアフリーについて新しい発見があるのではないか。そして、地域の活性化が叫ばれている昨今、各地域がばらばらに発信している情報を上手につなげていき、それぞれの「ふるさと」を元気にしていく役割を担えるんじゃないか…ということを、おぼろげに考えているのです。
 現在、鉄道の立ち位置は大変に厳しいです。特に人口減に伴う利用客の減少、バリアフリーに対応できずに、高齢化で利用したくても利用できない人が増えつつあるハード面、そして、台風や地震など、自然災害によって被害を受けたあと、復旧できずに廃線となるケースが増えつつある現状…。「輸送」という視点で考えると、鉄道よりもっと地域に適した交通手段は考えられるかもしれない。しかし、鉄道の持つ「定時性」、「大量輸送」「安全性」「環境負荷の低さ」などのメリット、そして鉄道の駅が地域の核となることで生まれる様々な営み。これからは、高齢化が急速に進み、ハンディを感じる人たちが確実に増えていく時代です。車社会からの転換、そして既存の公共交通機関の最大限の活用。地方の鉄道を支援し、全国をゆるやかなネットワークで結ぶ、情報が集まって行き交うHUB(ハブ)としての役割を、これからの「がったん」は担っていきたいと考えています。
 じゃあ、具体的にどう動いていくかは、まだはっきりしたイメージがないんですけど、いくつかの方々と繋がっていきながら、これからの活動モデルを作っていきたいと考えています。


2019年2月23日(土)「函館近辺の車いすタクシーの情報を掲載しました!」

 先月、函館を短い時間ですが訪れていました。今まで、車いすタクシーの有無を調べるときは、駅前の公衆電話のタウンページをめくって調べていたんですね。30年前はインターネットなどなかったですから(笑)。で、最近少しずつ、前向きに再始動し始めているんですけど、調査環境にも大きな変化が起きていることを知りました。
 まず、車いすタクシーの会社が格段に増えていると言うこと。今までの車いすタクシーをはじめ、介護保険制度がスタートして、福祉輸送サービスとして幅広い事業者の方々が参入されているんだなと感じました。それぞれの事業所でホームページで情報を発信したり、地域で生活の足として活躍していらっしゃる事業所さんもいらっしゃいます。「がったん」はどちらかというと、全国各地の目的地の状況を発信するのが主な役割と考えていて、「旅行」「観光」で初めてその土地を訪れた際に役立つ情報を提供できればと考えています。その際に、各地でいろんな情報を、各事業社の方々が発信しているのに、電話番号の記載だけではもったいない。「がったん」としては、全国の利用者と各地域の情報をつなぐ役割を、今後は担っていきたいと考えているのです。
 そんなとき、函館を訪れた際、「車いすタクシー」でネットを検索したところ、「南北海道福祉ハイヤー協会」さんのホームページと出会いました。そしてエネルギッシュな北林さんとお電話でお話もさせていただきました。「せっかくお金をかけても、今ひとつのものができてしまう。北海道新幹線もそう。<こういうところが不便だよ>とわかって設計できていればもっと違ったものができたはず。計画段階から携わっていければ、もっと声を拾えて、いい物ができると思う。発信することの必要性を感じます」とのことでした。とにかく、「前」を向いて物事を考えていらっしゃるのだなあ、と。私も「がったん」を通して、いろいろ発信していきたいし、情報をつなぐ、「橋渡し」の役割を担えたらなあ、と考えている今日この頃です。北林さん、貴重なお話、ありがとうございました!今度は直接お伺いして、じっくりお話をお聞きしたいです。そのときはよろしくお願いします!


2019年1月21日(月)「山梨県、岡山県の情報を追加更新しました」

 昨年8月に調査した山梨県、昨年12月に調査した岡山県の駅情報を追加更新しました。ご活用下さい。最近はJR各社の方針で各駅の電話番号を公開しない方向で進んでいるようです。そのため、駅情報に掲載している電話番号が現在使われていない場合が多くあると思われます。今後、公開されなくなった電話番号に関して削除して行く予定です。とりあえず、昨年までの調査済みデータをアップしてから。
 少しずつ、少しずつ、「がったん」と向き合おうという気持ちの余裕が出てきました。本業の忙しさは相変わらず、というか、どんどん忙しくなっているんですが、それ以上に、「がったん」を大切にしたい気持ちが大きくなってきたんでしょう。そんな日が、じっと待ち続けることで芽生えてくるんだな、時の流れって、すごいな、と自分のことですが、感じる今日この頃です。今後ともよろしくお願いします。


2019年1月12日(土)「<今>と<これから>のがったん~スタート31年目の新年に」

 前回の新年のご挨拶から2年が経ってしまいました。仕事との両立に悩みながらの2年間だったような気がします。調査自体は細々と続けているのですが、アップするに至らずため込んでいるのが現状です…。
 自分自身、昨年50歳になり、これからの残りの人生を考えるようになりました。自分自身の青春時代そのものといってもいい「がったん」。このまま尻すぼみ状態で終わらせていいのか、もうすこし悔いの残らない活動にできないか。そんなことを最近思っているのです。
 全国を網羅するホームページも、「らくらくおでかけネット」さん、「えきペディア」など、どんどん充実してきています。じゃあ、「がったん」の存在意義は何だろう?と考えると、地方の小さな駅をフォローできるところかな、と。今はネット環境も充実し、調査方法ももっと効率的にできるような気がしますし、ネットワークの持ち方も工夫次第で、上手な発信の仕方ができそう。
 今年は「がったん」もスタートして31年になります。今年と来年で、今後の方向性だけは出したいなと考えています。時々、こちらをのぞいていただけると嬉しいです。今年もよろしくお願いします。


2017年1月1日(日)「新年のご挨拶」

 明けましておめでとうございます。今年も「がったん」をよろしくお願いいたします。
 …と、まあ、更新の間隔が空きまくっている昨今ですが、みなさま、お元気でいらっしゃいますか?昨年は、自然災害の多い年でしたね。北海道の台風、水害、熊本の地震…。それによって、地方交通のあり方が浮き彫りになったともいえるでしょう。被災した鉄道は、これを機会に、採算がありそうなものは復旧させ、そうでない鉄道は、バス転換。分かりやすいといえば分かりやすいです。でも、本当にそれでいいのか、という気もします。カジノ法案はあんなに熱心に議論するのに、地方交通のあり方を国会で真剣に議論する機会って、そんなになかったんじゃないか。自家用車があればいいのか?いやいや、高齢ドライバーの運転のあり方がこれだけ話題になっている昨今です。その方々から免許を取り上げたら、生活の足がなくなってしまう。そして、それは今若い世代の問題でもあるはずです。誰でも年を取るのですから。
 と、まあ、いろいろ書きたい話題もありますが、去年は「がったん」的にもいろいろ地味にメンテナンスしていた一年でした。まず、ホームページをniftyで管理していたんですが、nifty側でホームページサービスを変更するとの連絡を受けまして。で、アドレスが変わりました。そして、サポーター制度を休止としたのも去年ですね。あと、郵便局の振込口座の局を、職場近くの郵便局から自宅近くに移したり。最近使われることがほとんどなくなりつつあるのですが、そのままほっとくと廃止されてしまうので、使ってますアピールを(笑)。
 で、年末も近づき、これで少し落ち着いたと思ったら、ある日突然カウンターが非表示になってる!そうだ、niftyのホームページサービスに紐付けされていたんだっけなあ…、と、これも慌ててレンタルカウンターを設置してみたり。
 …要するに、まだ、「がったん」の復活をあきらめていない、と言うことです。いずれ、自分の気持ちに(仕事に?)余裕ができたら、真っ先に取り組めるよう、メンテナンスは怠らないよう、この一年取り組んでいきたいと思っています。今年もよろしくお願いします!


2016年8月17日(水)「未来のカタチ」

 先週宮城の母と一緒に、陸前高田の親戚巡りをしてきました。仙台から一ノ関までは新幹線。そこからは、大船渡線が気仙沼までしか動いてないので、一ノ関でレンタカーを借ります。最近は、こんな感じですね。
 で、一ノ関からレンタカーだと、気仙沼を経由せずにダイレクトに陸前高田に入れるので、2時間かからない。で、震災前の大船渡線だと、快速、普通それぞれでやはり2時間弱。本数は少なく、車両も1両か2両。でも、お客さんも立つほどではない…。確かに輸送力という点では、震災前から鉄路を残す意味が問われかねない状況ではありました。
 路線バスもあるんですけど、一ノ関からは一般道を走行して山道。所要時間は、やはり2時間弱。おふくろは山道で酔ってしまうと話し、列車がやはりいいなあ、としみじみ。仙台から陸前高田への直通バスも、お客さんもそこそこだそうです。
 大船渡線、気仙沼線の不通区間では、BRTという代行バスが走っています。本数が増え、バス停も増えるなど、よい面もあるようです。しかし、朝の高校生たちを乗せきれない、道路の渋滞にはまりやすいなど、負の側面もあります。やはり、鉄道のよい点は、大量輸送、定時制、そして中~長距離移動に適していると言うことでしょうか。このBRTとうまく組み合わせることによって、地域の復興に生かすことができないだろうか、と考えてしまいます。
 今、地方は、お年寄りの方がとても多いものの、自動車免許をもっている方も多く、目立って不便さは感じていないかもしれません。すでに以前まであった路線バスも、震災前からどんどん減っていました。しかし、あと10年したら、免許を返上する方も増えることでしょう。そのとき、すでに路線バスもない地域は、生活の足を奪われてしまいます。デマンド交通などの取り組みも始まっていますが、お年寄りの方々に浸透していくのはなかなか大変なようです。
 そして一番懸念しているのが、今後地震や水害等で、今動いている地方の鉄道が不通になった場合、そのまま復旧できずに廃線のい道をたどってしまうのではないか、ということです。今、地震以外でも、岩手県の山田線、福島の只見線、そして北海道の日高本線など。復旧にはかなりの金額がかかってしまうとはいえ、災害時にあらためてその地域にとっての鉄道の意味が問われるケースが増えていくのではないでしょうか。
 あと、JR北海道が、経営不振により、ローカル線を中心にかなりの間引きダイヤを実施しています。車両の更新ができないのが主な理由のようですが、ただでさえ少ない本数が減らされると、ますます利用客の足が減ってしまうのではないか。そして、採算のとれない路線の大幅な廃止も計画されているとのことですから、今後の動向が心配です。
 最近は、経済効率が第一で、本当に大切なことが見えにくくなっている気がします。儲けようと思って取り組む分野じゃないと思うんです。生活のために必要かどうか。そのためなら、多少の支援も必要でしょう。以前のような国鉄(日本国有鉄道、ですね)のような仕組みも、あらためて検討してもいい気がします。そうしないと、どんどん東京や都会ばかりに人が集まるしかない状況になってしまう。
 311の震災時。燃料を関東からや福島に送るとき、道路も線路も痛んでいた中、新潟~日本海~青森経由や、新潟~磐越西線経由で貨物列車を迂回して運行し、届けたニュースが忘れられません。非常時の選択肢を増やす。公共交通機関として、そんな側面もある。未来のカタチを、慌てて答えを出さずに、考えていく必要があると思う夏なのです。


2016年8月4日(木)「サポーター制度休止のお知らせ」

 「がったん」のあり方を考える夏にしたい。そんなことを思いながら、この夏を過ごしています。一度、ペースを落としてしまったので、すでに「がったん」の情報は、かなり鮮度が落ちています。だからといって、またすべてを一から調べ直すエネルギーも資金もない。今できること、これからできること。そして、ペースを落とした中でも、なにか新しいことを始められないだろうか-。
 そのためにも、少しずつ今までの活動を整理していきたいと思っています。無理のないペースで、責任をもって活動できることを考えていく必要があるかな、と。
 その一つとして、今まで行ってきた「サポーター制度」を、一度休止させていただくことにしました。何か起きたときに素早く対応できる状況ではないと判断したためです。サポーターの方々には、それぞれにメールにて連絡を取らせていただきました。中にはアドレスが変わっていて連絡の取れない方もいらっしゃいます。もし、こちらをご覧いただけていましたら、ご連絡をいただけたら幸いです。以下にそのメールの文面を載せておきたいと思います。今まで携わっていただいた多くの方々に、心から感謝申し上げます。ありがとうございました。

「がったん」サポーターの皆様へ
 すっかりご無沙汰しております。ハンディマップがったん作成委員会の吉田です。お元気でいらっしゃいますか?
 さて、このたび、がったんのサポーター制度を一度休止させていただくことにしました。理由としては、「がったん」のホームページの更新が定期的にできない状況が続いていること。また、ニフティのホームページサービスが変更され、アドレスが変更になったこと。大きくは以上の2点です。
 「がったん」は1988年に冊子版としてスタートし、2000年から16年間、インターネットを通して情報の発信を試みてきました。インターネットで発信してきたことで、多くのつながりが持てたことが、大きな収穫であったと感じています。サポーター制度も、そうした「つながり」を目指した取り組みでしたが、13年間たった今、一度ここでお休みをいただき、新しい試みを模索していきたいと思っています。今までご協力いただいた皆様には、感謝の気持ちでいっぱいです。本当にありがとうございました。もしよろしければ、感想等をお寄せいただけましたら幸いです。今後の活動に生かしていきたいと思っています。
 冊子版から28年。ホームページをはじめて16年。私も子育てがあと少しで一段落しそうです。二人とも成人前後ですから。月日が流れるのは、本当に早い。夜泣きする子どもたちの合間を縫ってパソコンと向かい合っていたのがなつかしいです。
 「がったん」の更新は、間隔は空いてしまうかもしれませんが、少しずつ再開します。そして落ち着いたら、あらためてじっくり腰を据え、「がったん」と向き合う時間を作っていきたいと思っています。軌道に乗ったら、またお力を貸していただくことがあるかもしれません。そのときにはご協力よろしくお願いいたします。
 今年の夏も暑い夏になりそうです。どうか、体調を崩さぬよう、お元気でお過ごしください。13年間、ご協力、ありがとうございました。
           平成28年7月30日 ハンディマップがったん作成委員会  代表 吉田 二郎


2016年7月23日(土)「URL変更のお知らせ」 

 お久しぶりです。皆様、お元気でいらっしゃいますか?
  「がったん」もなかなか更新ができず、申し訳ありません。本腰を入れるのは、まだもう少し難しそうです。そうこう言っている間に、がったん的にもいろんなニュースがありましたね。自分の中では、東北の鉄道の復旧が進んだことが、大きなニュースといえるでしょうか。ただ、地域によっては明暗が分かれている部分もあり、一概によかったとも言えないかな、と。
 まずは、仙石線と石巻線の復旧ですね。これは大きかった。動脈がつながった、という印象です。あと、岩手県の山田線は、三陸鉄道が引き継ぎそうな動き。大船渡線と気仙沼線は、鉄路復旧を断念した、というニュースも。
 この太平洋側には、並行して三陸自動車道の建設が急ピッチで続いているという現実もあります。復興=道路、という図式は、わかりやすい形なのかもしれません。ただし、車を中心とした生活が、今後いつまで続けられるのだろう、という不安が私の中にはあります。昨今、高齢者が関わる自動車事故が増えてきています。超高齢化社会では、認知症の問題は避けられません。そうなると、免許保持者が今後減少していくと思われます。そのときの「生活の足」をどう保障するのか、ということを考えた上で、町作りを考えていく必要があると思うのです。
 鉄道にこだわらず、バス転換でも対応できるのでは、という声も聞きます。ただ、バスの輸送量で今後免許を返納した高齢者が増えた時に、鉄道のインフラは残していくべきではないのか。鉄道は、一度なくすと元に戻すのは大変です。できるだけ将来のことをイメージして、よい町作りにつなげていく必要があると思っています。
 「がったん」も、今後もベースは維持しつつ、できる範囲でできることに取り組んでいこうと思っています。
 
 16年もお世話になっていた、niftyのホームページサービスが変更されることになり、それに伴いURLのアドレスが変わります。サービス提供終了日時は、2016年9月29日(木) 15時で、 2018年3月29日15時まで移転通知ページが表示されるそうです。お手数をおかけしますが、もしよろしければ、ブックマークの変更をお願いします。新しいアドレスはhttp://gattan.o.oo7.jp/です。


2014年10月6日(月)「がったん、26周年」

 9月になり、「がったん」も冊子版を始めてから26年、ホームページを初めて14年がたちました。最近は更新も滞りがちで、この夏こそは!と思いつつ、仙台の母の介護認定とか岩手のこととか、いろいろ帰省ばかりしていた夏でした。下の7月24日の日記も、アップできずに日が経ってしまい、でも、そのとき感じたことだから、とそのまま載せることにしました。
 震災で大きく変わった生活。自分なんかは、それほどではない。でも、何かが変わった。そう感じています。千葉で暮らしていると、そのことをふっと忘れそうになることもあるけれど、現実はなかなか消えないし。ふるさとに帰ると、はっ!と我に返るんですよね。今までのふるさとではない。だからこそ、新しい生活に気持ちを切り替えなきゃ。そう思って、3年半。がんばっていきたいと思っています。


2014年7月24日(木)「常磐線・広野~竜田間復旧」

 お久しぶりです。また3ヶ月弱、更新が滞ってしまいました。すみません。その間、掲示板を休止したり、そのほかいろいろあったのですが、その間立ち寄ってくださったみなさん、申し訳なかったです。
 まあ、一言で言うと、本業が忙しかった。それに尽きるのですが。ようやく、夏が来て、仕事的にも少し気持ちにもゆとりができてくる時期。8月終わりまで、少しは「がったん」に時間を割いていきたい。きっとそのことが、自分の心のバランスにも良いのではないか。…なーんて、都合のよいいいわけをしてみたり。もう、マイペースの極みです(笑)。
 そんなこんなしている間に、福島県常磐線の広野~竜田間の運転が再開されました。ただ、福島第一原発の収束が難しそうな状況で、この復旧を喜んでいいのかどうなのか…。自分としては、千葉で常磐線沿線に住み、帰省で仙台まで常磐線を使ってよく帰っていたもので、ぜひ安心してまた列車が走る日が来るのを待ちたいと思います。
 みなさん、よい夏にしましょう。


2014年4月7日(月)「震災から3年。三陸鉄道全線復旧。」

 みなさん、お元気ですか?前回の更新からまた時間がかなり空いてしまいました。ご無沙汰しております。
 私は元気で過ごしてます。仕事が忙しいのと、あと、田舎の地震で痛んだ家を手放すことになり、その片付けや手続きで、3月末までてんてこ舞いでした。母の高齢者住宅での一人暮らしも落ち着いてきたので、決断した、というところです。空き家にしてると、いろいろと不具合が出てきて、近所にも迷惑をかけるし、防犯上もまずくなってきて。私も離れて暮らしているので、その都度ふるさとに帰ることになり、ちょっと、今はへとへとですね…。でも、思い出を自分の意思で手放せたおふくろは、いろんな意味で幸せだったのでは…、と、津波や原発でつらい毎日を過ごしている人のことを思うとね、感じているわけです。とはいえ、思い出を手放すということは、息子の私が考えていることよりもずっとずっと大きいことだとは、わかっているんですけどね。
 …とまあ、更新できなかったいいわけをしている感じになってきましたが(笑)、そんなこんなで、掲示板も、書き込み減少という理由で、使用できなくなってしまいました。管理、という面では、手が回らなかったというのが事実です。今まで書き込んでくださった方々には、本当に感謝の気持ちでいっぱいです。もう少し、自分の生活に、気持ちの余裕ができたら、また復活したいと考えていますので、そのときはよろしくお願いします。それまでは、メール等で情報をお寄せいただけると幸いです。
 昨日、岩手県の三陸鉄道が全線で復旧しました。復興ということが目に見える形で現れて、うれしいなあ、と思う反面、隣接する山田線や大船渡線、気仙沼線は、BRTの道を歩みました。仮復旧、とはいうものの、将来的には不安が残ります。被災していない線路をわざわざはがしていく作業は、想像しただけでつらいものがあります。地元にとって、鉄道がどういう意味を持つのか。それをあの震災以降、じっくり話し合い、考えを深める時間を、私たちは持てたでしょうか。日々の生活で精一杯の部分はあったにせよ、効率化の側面で、地方の生活を考えていないか、私たち、特に都会に住む人たちは考えなければならないと思います。原発にしてもそう。地方に何かを託した上で成り立っている便利さがあると言うことを、忘れてはいけないと思います。そして、次の地震は、都会の番です。そのとき、どんな行動をとるのか。たくさんの人に「役に立つ」ものから直すのか。それはある意味正しい。だけど、それだけでいいのか。そんなことを考えずにはいられなかった、三陸鉄道のニュースでした。
 これから、超高齢化社会がやってきます。私も、介護のことが現実的なこととして、自分の生活の中に入ってきています。そして、自分自身が年老いて暮らす日が確実にやってきます。車も手放すような年齢になったとき、自分が今の地域に暮らせるのかどうか。鉄道やバス。なくなった生活の足は簡単には戻せません。大切に育てていきたいです。
 更新の間隔がまた空いてしまいがちになるかもしれませんが、これからも「がったん」をよろしくお願いします。ぼちぼちと、つぶやいていきますので。


2013年9月1日(日)「はじめてから25年。これからの<がったん>」

 今日から9月。4ヶ月も更新が滞ってしまいました。みなさん、お元気ですか?
 夏が来るので、少しはじっくり「がったん」と向き合えると思っていたのですが、仕事も忙しさが続き、おまけに自分の田舎のこともあり、なんだかんだと忙しかった夏でした。今までの人生で、一番忙しかったかなあ…・
 そんななか9月になり、「がったん」も冊子版を始めてから25年、ホームページを初めて13年がたちました。忙しかったと言いつつも、夏の初めには、ANAのマイルの期限切れが近づいたこともあり、急遽南九州の調査に出かけたりもしました。また、ストックがたまっていたりするわけで、気持ちは途切れておりません。…とか言いながら、ノートパソコンの調子がいまいちで、これから修理に出しにいってきます。2週間ぐらいかかるかな…。
 あと、気になっているのが、掲示板の怪しげな書き込みです。自動的にかつランダムにかき込まれるために、昔の内容の書き込みとかも標的になっていて、順不同になっています。その都度消してはいるんですが、なかなか対策がとりづらいです。ご迷惑をおかけしています。
 
 さて、交通関係、特に鉄道の移動に関する状況は、東日本大震災以降大きく変化しているように感じています。特に大雨等の災害による線路の路盤流出に伴う運休が目立ちますね。そして、地方の鉄道は、東北の花輪線など、運休になったまま方向性を示せないケースも出てきているようです。まるで、自然災害を理由にそのまま廃線にしてしまうケースが、今後増えていくのではないかという心配が、頭をよぎります。
 地域における鉄道の存在意義は、単に移動手段というだけではありません。人の流れ、町のカタチ、そして、故郷のカタチを大きく変えていくものと言えるでしょう。ぜひ、これからも話題にして、みんなで考えていく必要があると感じています。そのひとつのきっかけに、「がったん」がなれたら幸いです。
 25年。大きな大きな一区切り。これからもゆっくりではありますが、みなさんと成長していきたいと思っています。これからも、どうそよろしくお願いいたします。


2013年5月6日(月)「記憶から遠ざかっていくもの」

 秋田、岩手、山形の駅情報を追加しています。東北の情報も、ずいぶん増えてきています。まあ、古いままの情報もあるんですけど、じっくり更新していきます。
 このGWに、仙台の実家に帰省。半壊判定を受け、今は誰も住んでいません。おふくろが元気なうちに、少しずつ片付けを始めています。近所もそうだし、待ちの至る所に更地が目立ってきています。仮設住宅も変わらずにあり続ける一方、その傍らで、新築分譲住宅や高層分譲マンションの販売や、地下鉄東西線の建設が進んでいました。
 ああ、オリンピックといい、各地の新幹線建設といい、華やかな話題が先に立ちますが、お金の使い方を、もう少し全体で立ち止まって考える余裕が、あってもいいのではないかとも思います。あの地震の後、町中では灯油やガソリンを買う人の長い列が続き、スーパーでは2時間並んで、やっと買えたのは1000円のレタスだったという話も聞きました。2年という月日は、いろんなことを記憶から遠ざけてしまうのだなあ、とあらためて思った帰省でした。


2013年4月7日(日)「それぞれの春」

 今日は千葉、すごい風が吹いています。春の訪れは、実に豪快です。
あの震災から2年がたちました。三陸では気仙沼線と大船渡線が、バス高速輸送「BRT」をスタート。三陸鉄道では、南リアス線の盛~吉浜間が復旧。少しずつ、いろんなことが動き出しています。
 なにが正しいかは、今はわからない。もしかすると、この先もわからないかもしれない。でも、生きていくことには変わりはないのだから、一つずつ選択していくしかない。できるだけ「正しい」と思える答えを見つけながら。
 みなさんの春は、いかがですか?


2013年1月16日(水)「流されてしまった駅、壊れてしまった駅をどう掲載しよう…」

 今回、岩手県のJRの駅を追加しました。追加しながら思ったのは、岩手県のみならず、宮城県、福島県の3県で、津波で流されてしまったり、壊れてしまった駅が少なからずあり、この「がったん」にもすでに掲載されているのですね。で、あの大震災以降、そのままの表記にしてあります。これが果たしていいことなのかどうか…。たぶん、再建されたときには全く新しい駅舎になるだろうし、そのときにはバリアフリーに配慮されたすてきな駅舎になるでしょう。そのときまで、今のまま表記しておこうとずっと思っていました。ただ、情報としては、今後混乱してしまうこともあると思います。
 まもなく、震災後2年がたつというのに、現地では流出した駅について、青写真すら描かれていないのが現状です。挙げ句の果てには、鉄道としての復旧が断念されそうな気配もあります。果たしてそれが正しい選択なのか。もっと議論する余地があると思うのです。「がったん」としては、なんらかの方向性が出されるまで、震災前の情報をもうしばらく掲載していこうと考えています。そこに、駅があったことを伝えるために。時間の経過とともに、忘れてはいけない。動かせる部分があるのなら、動かせるところから動かす。三陸鉄道の判断は、やはり正しかったと思います。「そこに在ること」を、しっかり発信しなければならない。もちろん、<現在震災のため運休中です>との表記を併記しながら。ご理解いただければ幸いです。
 今後とも東北地方を中心に、駅データを追加していきます。これが「がったん」にできる、東北地方への「支援」のカタチと受け止めていただければ幸いです。


2013年1月15日(火)「老いて車を手放すときが、必ず来る」

 年を重ねると、誰しも自動車の運転は難しくなります。というか、判断能力、運動能力ともに衰えていきます。私は大丈夫、という人が多いとは思いますが、いつかは運転できなくなるはずです。できなくなる時が、事故を起こしたときなのか、運転免許証を自主的に返納したときなのか、それは人様々なのだとは思いますが、確実にそのときはやってきます。というか、事故を起こしてほしくなので、危ないな、と思ったら、運転はやめてほしい。お互いに。
 しかしまあ、地方は車社会です。確かに車がないと、不便です。鉄道、バスともに、どんどん減ってきているので、公共の足がないのです。ないので、自家用車に頼らざるを得ない。なくしたのは、ほかならぬ自家用車、なのですけど。
 車を運転できなくなったらどうするか?もう、家族の若い人に乗せてもらうしかない。でも、その「若い人」が、決定的に少なくなってきている田舎が多いんです。周りは高齢者ばかり。「限界集落」なんかは、その最たるものでしょう。
 大震災に見舞われた東北三陸地方も、その典型的な地域といえるでしょう。あと5年、10年したら、運転したくてもできなくなるお年寄りがぐっと増えるはず。そうしたときに、鉄道も流されたまま、バスも1日に数本、という現実を地方は受け止めなければならないのか。便利な都会に住む側の人間が、「そんな田舎に住むのが悪い」と暗に非難しているようにも感じてしまうのです。考えすぎでしょうか。
 そうこうしているうちに、三陸道という高速道路もどきの道路がどんどん建設されています。確かに便利になるかもしれないけれど、あくまでも免許がある人間しかその恩恵は受けられない。生活の足としての鉄道やバスの代わりにはならないと思う。なのに、それが復興事業としてどうだどうだと押しつけられている気がしてならない。あと20年先の地域の将来像を描いて高速道路を作っているんだろうか。その高速道路の上を、20年後、その地域の何人が車を走らせることができるんだろう。一部の人だけが潤うものであってはならないと私は思うのですが…。
 どうも最近、「福祉」という言葉が、「景気」という言葉につぶされそうだな、と感じます。「コンクリートから人へ」が「人からコンクリートへ」。それで、本当にいいのかな。誰かがもうけて、気がついたら、人は都会にしか住めなくなるんじゃないか。そんないびつな国になりそうで怖いなあ、と。東北に帰省したり、がったんの調査をするために東北各地を訪れるたびに思うのです。

 …とかいいつつ、今回は、昨年夏に調査していた弘南鉄道の情報をアップしました。どうぞご利用ください。調査中、突然の石川プール前付近ですさまじい雷と豪雨に遭遇し、そのまま、「ばんっ!」と停電に(笑)。あのときはびっくりしました(笑)。20分くらいしたら復旧したんですが、すごい音だったんで。わかりやすいっちゃ、わかりやすいんですが。
 そうそう、前回更新した後に、パソコンのデータを引っ越しやら整理やらしていたら、こちらもデータがいっぺんに飛んでしまった(泣)。バックアップも昨年夏以来とってなかったので、完全に消えてしまったデータや写真もあり、かなりへこんでおります。4,5年前にもデータを間違って消しちゃって、3年分くらいの家庭の写真をなくしてしまったことがあり、かなりバックアップには気をつけていたんですが、つい忙しくて怠けていたのです。復旧に要する手間と時間を思えば、やはりバックアップをまめにしておかなければ、と痛感した次第なのでした。「がったん」もほぼ以前の状態に戻せたと思うのですが、もし不具合があれば教えてくださいませ。
 ではでは、今回も私のつぶやきにおつきあいいただき、ありがとうございました(笑)。


2013年1月4日(金)「故郷の駅を、大切にしたい」

 
新年、明けましておめでとうございます。今年も「がったん」をよろしくお願いします。
 昨年の掲示板に書き込んでいただいていた情報をアップしました。大変遅くなり、かばごんさん、申し訳ないです。それにしても、折尾駅は、大きく変わりますね。時間をかけて、町全体が大きく変わっていくのだなあ、と感じます。
 離れているとしみじみ思うんですけど、故郷の風景は、自分なんかはまず、駅前から始まるんですよね。あ、乗ってる車窓の山並みとかもそうか。で、駅について、駅前に降りたって、「ああ、帰ってきたなあ」と。この年末年始も、多くの人がそのような思いを抱かれたのではないでしょうか。ただ、岩手、宮城の被災地では、駅ごと津波にさらわれてまっさらな更地になっている所も多くて。で、未だに、そのまま。で、あれ、ここら辺だったかな?と想像するしかない。駅のあった場所を探し歩くなんて、もう、迷子になった気分でしたね。周りを見渡すと、見慣れた建物が何もなくて。あっても、ぐしゃぐしゃになったまま、という建物も多い。随一、山並みが、海が、帰ってきたことを思い出させてくれます。そして、福島の方々にとっては、故郷のその「場所」に立つことのできない方々もいます。でも、きっと、その方々にとっても、故郷の風景の一部に、駅の風景があると思うんです。
 町作り、とよく言いますが、それだけ人の心のよりどころになるのが、駅だということを、私たちは心の片隅において取り組んでいきたい。便利になるだけじゃなく、生きて行く、生活のよりどころになるような、そんな町作りをしていく必要があると、年の初めにあらためて思うのでありました。
 新年早々、重たくてすみません。でも、自分にとって、大きな大きなテーマなので。これからもお付き合いいただければ幸いです。皆様にとって、今年一年がよりよい一年になりますように-。


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